今村昌平: 総合

人:監督 関連作品数ランク589位(全体数3,987中) / 関連作品数16 / 偏差値55.66)588位 <= =>590位

読み仮名(平仮名)いまむらしょうへい
英語名Imaura Syohei
生年月日1926/09/15
没年月日2006/05/30
出生国日本
性別
職業監督
経歴/説明1951年、大学を卒業し、松竹大船撮影所に入社。初の助監督公募で2000人中8人という難関を突破して合格。主に小津安二郎の助監督をやりながら、松竹大船助監督部の幹事にまでなるも、収入や仕事で不満を感じ、1954年に日活に移籍する。「松竹では束縛だらけだったが、日活はまったくなかったから驚いた」と松竹と日活のギャップを語っている。

1957年の名作・川島雄三監督作品「幕末太陽伝」や浦山桐郎監督の「キューポラのある街」の脚本家でもある。学生時代からの友人であるフランキー堺小沢昭一加藤武との親交が深い事も知られている。「神々の深き欲望」の過酷な撮影現場に耐え切れず脱走を試みた 嵐寛寿郎のエピソードは有名。

1961年の「豚と軍艦」、「にっぽん昆虫記」、「赤い殺意」などで監督として世間に認められるも、一時は企画がまったく受け入れてもらえず、胃潰瘍を患いながら明日の米にも困るどん底の赤貧生活を経験している。

1979年、佐木隆三の「復讐するは我にあり」の映画化権を多くのライバルから奪い、公開し見事に復活を遂げたが、翌年の「ええじゃないか」の大失敗で「天下の今平も終わったな」と観客を失望させた。起死回生の「楢山節考」を発表。本作と「うなぎ」で、日本人では初めてカンヌ国際映画祭で2度グランプリ(現・パルム・ドール)を受賞している。同じ功績ではアメリカのフランシス・フォード・コッポラ監督など5名がいる。なお「楢山節考」を出品した時は、「カンヌ(映画祭)出品のために作った作品ではない」とカンヌ映画祭を欠席。「うなぎ」の時は出席はしたものの受賞作を発表する前に帰国した。

2006年5月30日午後3時49分、転移性肝腫瘍のため東京都渋谷区の病院で死去。享年79。遺作は「11'09'01/セプテンバー11 」中の短編。
作成者 [編集履歴]ラマンチャ
最終変更者/日時 ラマンチャ / 2006/09/22
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統計値[関連(出演)作品]
日本良い51.2911269,129

関連作品 (開始日順: ↓の区分名のリンクで並び順を評価の良い順/評価数順などに変えられます。)
12002/02/01海外映画ロスト・メモリーズとても悪い(-2.00)-2.0046.031その他
21998/10/17日本映画カンゾー先生   0監督・脚色
31997/05/24日本映画うなぎ普通(0.33)0.9949.563監督 / 脚色
41989/05/13日本映画黒い雨とても良い(2.40)12.0059.475監督 / 脚本
51987/08/01日本映画ゆきゆきて、神軍とても良い(2.25)9.0056.774企画
61986/04/26日本映画君は裸足の神を見たか   0プロデューサー
71981/03/14日本映画ええじゃないか良い(1.00)1.0049.571監督 / 原作 / 脚本
81979/04/21日本映画復讐するは我にありとても良い(1.67)5.0153.183監督
91976/10/23日本映画青春の殺人者とても良い(2.00)4.0052.272製作
101964/06/28日本映画赤い殺意   0監督 / 脚本
111963/11/16日本映画にっぽん昆虫記普通(0.00)0.0048.671脚本 監督
131963/10/13日本映画競輪上人行状記   0脚色
141962/04/08日本映画キューポラのある街良い(1.00)1.0049.571脚本
151961/01/21日本映画豚と軍艦普通(0.00)0.0048.671監督
161957/07/14日本映画幕末太陽傳良い(0.50)2.0050.474脚本



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