江利チエミ: 総合

人:歌手 関連作品数ランク625位(全体数1,572中) / 関連作品数5 / 偏差値48.00)624位 <= =>626位

読み仮名(平仮名)えりちえみ
英語名CHIEMI ERI
生年月日1937/01/11
没年月日1982/02/13
出生国日本
出身都道府県東京都
出身地東京市下谷区(現・東京都台東区下谷)
性別
血液型A
職業俳優 歌手
経歴/説明本名、久保智恵美。

父・久保益雄は北九州の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったらしく、彼女が生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業の所属になっていた(デビュー当時のチエミも吉本の所属。その頃の吉本は今のようではなく花菱アチャコ・チエミくらいしか稼げるスターはいなかった)。バンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める(三亀松の語りにあわせての効果音的なピアノ伴奏は絶妙で、三味線もコードを変えて音を重ねるなど巧みな腕を持っていた)。この三味線、ピアノも独学で習得。チエミの音楽素養のなかの「順応性、適合性」はこの父親の遺伝子によるものと思われる。

母親は、SKDが東京に出来る前の宝塚歌劇の前身のような「東京少女歌劇」出身の女優、谷崎歳子。のちに浅草の軽演劇の舞台に立ち、吉本に所属。当時同じく吉本にいた笠置シヅ子と共演したり、榎本健一とも映画で共演したりしているが、チエミを身ごもるころより身体を壊し、一線から退いた。不運な女優であった。

少女歌手、江利チエミのルーツは「生活を支えるためだった」であり、この点は美空ひばりとの相違である。ひばりはひばりの母親のなし得なかった歌手になる!という夢と、自身も歌が好きで非常に巧かったということが合致し、マメ歌手の人生をスタートするが、豊かではないまでも実家は父が「魚増」という鮮魚店を営み、家計に困窮していたわけでは決してない。

かたやチエミは、三亀松師匠とのいわば喧嘩別れで失職した父、病床で寝たり起きたりの母、また3人の兄、とこれだけのものを背負っていた。

長兄も陸軍士官学校出身で英語も堪能なエリートだったが、戦後の価値観の変化などで順調とは行かず、結局、父がマネージャー、長兄が付き人という3人3脚での芸能活動が、1949年(昭和24年)ころからスタートすることになった。

進駐軍のキャンプまわりの仕事をこなしていくうちに彼女はドリス・ディの「アゲイン」などを習得して、ジャズ歌手という方向性に照準をあわせる。進駐軍のアイドルとなり、愛称は「エリー」となる。江利チエミはこの「エリー」から母が名づけた。特にチエミを可愛がってくれた進駐軍兵士ケネス・ボイド氏から彼女は運命のレコード「テネシーワルツ」と「カモンナ・マイハウス」をプレゼントされる。

彼女はこの曲を自分のデビュー曲と心に決めるも、レコード会社のオーディションにことごとく失敗する。なんとか最後の頼みの綱であるキングレコードの試験にパスし、1952年(昭和27年)1月23日に自分の意志を貫き「テネシーワルツ/家へおいでよ」でレコードデビューを果たす。そのとき15歳。しかし吹き込みは前年の11月だったため、キングレコードは「14歳の天才少女」というキャッチコピーを提案した。しかしこのとき「うそをつくのは嫌だ!」と抗議。少女時代から自分の意志を通す一徹な部分を持った性格だったようだ。

チエミのテネシーワルツの大ヒットは「日本語と英語のチャンポン」というスタイルを用いたこともあり、それまで都市部中心でのブームであった「ジャズ(当時は洋楽を総称してこう呼んだ)」を全国区にするにあたり、牽引役を果たした。後のペギー葉山雪村いづみ、そしてカントリーの小坂一也、そしてロカビリーブームといった、日本における「カバー歌手」のメジャー化のさきがけを果たしたといえる。

メジャーデビューの翌年28年の春には、招かれてアメリカのキャピタルレコードで「ゴメンナサイ/プリティ・アイド・ベイビー」を録音、ヒットチャートにランキングされるという日本人初の快挙を達成。ロスなどでステージにも立ち絶賛を浴びる。帰路のハワイでも公演を成功させ、そこで合流したジャズ・ボーカル・グループ「デルタ・リズム・ボーイズ」と共に凱旋帰朝、ジョイント・コンサートを各地で開き、ジャズ・ボーカリスト・ナンバー1の地位を獲得する。

美空ひばり雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡。「ジャンケン娘(30年)」などの一連の映画で共演。紅白歌合戦へは3人のなかで一番早く昭和28年「ガイ・イズ・ア・ガイ」で初出場。38年、39年は歌手としてはじめて紅組キャプテンを務め、司会も担当した。43年まで16回連続出場(当時の連続出場記録達成)を果たしたが、次の44年は紅白落選。45年の紅白は2年ぶりの復帰出場が決まっていたが、江利自ら「ヒット曲がないから」と辞退を表明した(歌手が紅白を辞退したのも江利が第一号、このあと越路吹雪らも紅白を卒業する)。またTBS「チエミ大いに歌う」は、ワンマンショウスタイルのさきがけともなった歌番組(40年4月~11月)であった。

日劇をホームグラウンドとして活躍、日劇の歴史で「歌手の名前がそのロングラン公演のタイトル」となったのは、昭和30年4月26日~5月6日「チエミ海を渡る」がさきがけだった(江利チエミ日劇初出場はメジャーデビュー前の26年。27年から42年までリサイタルを開いた)。

映画の「サザエさん」シリーズ(31年から全10作が作られた)もヒット。のちにテレビドラマ(40年~42年)、舞台化もされ生涯の当たり役となる。東映作品「ちいさこべ」では京都市民映画祭/最優秀助演女優賞を獲得、「ふんどし医者」など、自身主演の「音楽娯楽映画(唄祭りロマンス道中(渥美清・共演)/ジャズ娘誕生(石原裕次郎・共演)/チエミの婦人靴...等)」以外にも数多く助演した。

昭和34年、高倉健とゲスト出演した東映映画での共演が縁で結婚、しばらく引退をするもの、35年に本格的に復帰。高倉とは義姉(異父姉)による横領事件などがあって46年にチエミ側から離婚を申し入れることに。この姉は実印を悪用し、貯金を横領するだけでなく高利にまで手を出した。不遇の境遇の自分と「大スターの妹」との差に嫉妬した計画的な犯行で、後に実刑判決を受け投獄される。チエミは数年かけて数億に及んだ借財と抵当にとられた実家などを取り戻す。

昭和38年には日本におけるブロードウェイ・ミュージカル初演の東京宝塚劇場での「マイ・フェア・レディ」に主演しテアトロン賞、毎日演劇賞、ゴールデンアロー賞・大賞などを受賞、またこれに遡る36年には「歌手としてはじめて」の舞台の1ケ月座長公演も梅田コマ「チエミのスター誕生」で果たし、舞台女優としても活躍した。(翌37年の新宿コマ「スター誕生」公演で芸術祭奨励賞受賞)。代表作には、「アニーよ銃をとれ」・「お染久松」(芸術祭奨励賞)・「芸者春駒」・「白狐の恋」(芸術祭優秀賞)・「春香伝」「花木蘭」などがある。

新宿コマの座長公演は37年の「スター誕生」から53年の「サザエさん」まで続いた。松竹系の舞台でも、53年京都南座で音楽劇「二十四の瞳」に主演。助演した舞台にも「東宝歌舞伎/沓掛時次郎(長谷川一夫と共演)」「コマ歌舞伎/春夏秋冬(現/:坂田藤十郎 (4代目)、当時の中村扇雀と共演)」があり、女優としても幅広い活躍を続けた。

テレビドラマも「チエミの瓦版太平記」「咲子さんちょっと」「あの妓ちゃん」「黄色いトマト」「ねぎぼうずの唄」「はじめまして」「赤帽かあちゃん」...など多数の作品に主演。 その活動の範囲は、歌手/女優に留まらず、NHK「連想ゲーム」の紅キャプテン、TBS「みんなで歌おう73~75」のメインパーソナリティなど司会業でも活躍し、テレビ朝日「象印クイズヒントでピント」では女性軍キャプテンを務めた。

昭和57年(1982年)2月13日、自宅マンションの部屋でうつぶせの状態で倒れているのをマネージャーに発見されたが、既に呼吸が止まっており死亡が確認された。死因は脳卒中と、胃から戻した食物が喉に詰まっての窒息によるもの。享年45歳という若さだった。風邪で体調が悪かったところに、暖房をつけたまま市販薬を飲んで就寝してしまったのが原因、と言われている。前日は九州で、その日は北海道でのステージの予定だった。あまりの突然の死に、チエミの親友だった「三人娘」の美空ひばり雪村いづみ、他清川虹子中村メイコらもショックを隠しきれずに号泣、チエミの通夜の席でも深い悲しみに暮れていた。

デビュー直前の母の死、3人の兄もチエミ存命中に2人亡くなり、甥の事故死・流産・家屋の全焼、そして離婚と家庭運に恵まれなかった部分も多く、45年には自宅全焼、47年にはハイジャック事件にも遭遇。更に43年にはポリープによる声帯の手術、と栄光の陰になぜか「不幸」がつきまとう波乱の生涯であった。

(より引用)
作成者 [編集履歴]宇宙刑事ジャンギャバン
最終変更者/日時 宇宙刑事ジャンギャバン / 2007/05/27
←階位が5000位以内の方に編集権限有り (階位とは?)

統計値[関連(出演)作品]
日本良い48.22330

関連作品 (開始日順: ↓の区分名のリンクで並び順を評価の良い順/評価数順などに変えられます。)
11981/06/07特撮/人形劇マペット・ショー最高(3.00)3.0047.071 
21963/04/21日本映画この首一万石   0ちづる
31962/03/04日本映画銀座の恋の物語普通(0.00)0.0048.341関口典子
41957/12/28日本映画サザエさんの青春   0磯野サザエ
51956/12/12日本映画サザエさん (1956年版)良い(1.00)1.0049.241サザエ



ファン登録
注意書き

1. 1項目に対して一回のみファン登録の投稿が可能です。
複数回語りたい場合には「ファン掲示板」をご利用下さい。
2. ファン登録と反する内容の投稿は削除されます。
3. ハンドルネーム(お名前)の変更はしないで、固定して下さい。
4. 投稿者/投稿対象者共にメルアド・電話番号等の個人情報の書込みは禁止。
交流したい場合私書機能をMyページで提供しているので、ファン登録をしてアカウントを取得してから私書で連絡取ってみて下さい
5. チェーンメール・バトンに類すること禁止

お名前(名前変えによる複数回登録禁止!削除します)
パスワード:
ファンの理由/応援(携帯の絵文字は使えません)
↑上へ