ビル・コスビー: 情報更新履歴



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2014/03/06 編集者:634 (個人履歴)
birth 1937/07/12
country US
english Bill Cosby
history 1937年、第二次世界大戦直前に、軍人の父の元、ペンシルベニア州,フィラデルフィアで生まれる。幼いころからユーモアに溢れた性格だった様で、子供時代は自身の事を「クラス・クラウン(学級内のピエロ)」と呼んでいたほど。その注目を浴びる性格からか、小学校時代は学級委員長や、地元の野球チームのキャプテンまで務めいていた。

その後、中学へ進学した彼は遊びで演劇をするようになる。また、この頃、次第にスポーツへも本格的に没頭し始めていた彼はバスケットボールや野球等、様々な分野へと手を伸ばし、勉強との両立が難しくなっていった。なんとか高校へ進学したが、その過密なスケジュールに加えて学校の前後に働いていたこともあり、単位が足らず10年生の時に留年することになってしまう。しかし彼は、留年するよりも就職する道を選び、靴屋で働くが[4]、その後アメリカ軍へと入隊する。しかし、そこで知識と教育の必要性を実感した彼は、遠隔教育を通じて高校の卒業資格を手に入れる。そしてテンプル大学へと進学し、体育学を専攻するようになった。

大学へ進学してもなお、ユーモアセンスの光っていた彼は、やがて自分の才能に気付き始めるようになった。その後、コメディアンとしての道へ進む為に、一度大学を離れる。その後、すぐにステージに立ってトークライヴを行うようになり、次第に、その活動場所を地元フィラデルフィアからニューヨーク、ラス・ヴェガス、サン・フランシスコへと広げるようになる。そして、少しずつ注目を浴びるようになった彼は、遂に1963年に、大手テレビネットワーク{NBC}への出演も果たした。この黒人エンターテイナーの登場に、当時まだ人種差別が激しかった頃、多くの白人から疑問や批判の声も上がった。しかし、彼の「気楽にいこうぜ(easy-going)」精神を全面に押し出したウィットに富んだユーモアセンスは、見事に人種の壁を乗り越えた。

黒人という大きなハンディキャップを苦ともせず、自分のトークショーを続けた彼は、当時こんな明言も残している。「白人のリスナー達は、僕のショーを見て笑い、そしてこんな事を思ってるだろう。""あぁ、俺もそう思ってたんだよ!""と。彼は白人で、僕は黒人だ。そして、同じ考え方で物事をとらえている。それは、つまり、僕たちは同じ人間だって事を意味してるはずなんだ。だから僕は、これから生まれてくる子供たちが良い人種関係を築けるように、今トークショーをやっているつもりだよ。」と。

その後1964年1月に、ワシントンDCでトークショーを行っている最中に出会った、メリーランド大学の学生キャミリー・ハンクス(Camille Hanks)と結婚し、五人の子供を授かる事になる。

1965年には、アメリカンドラマ史上初の黒人俳優として、当時西部劇で名を馳せていた{ロバート・カルプ}と共に、コメディドラマ『アイ・スパイ』の主演を果たす。しかし放映当初はあまり人気が出ず、ドラマは衰退傾向にあった。その後、少しずつ人気を獲得していき、最終的にはこの年放映されたドラマの中で最も高い視聴率を記録する程にまで成長。結果的におよそ3年間続いた。また、このドラマで彼はエミー賞も受賞している。そして同ドラマの終了と共に、しばしの休息をとる事になった。

その後1969年に、彼自身が司会を務めるシチュエーションコント番組『The Bill Cosby Show』と共に、本格的に芸能活動を再開した。この番組で彼は、実際にテンプル大学で体育学を専攻していた過去の経験を生かし、体育学の高校教師役を演じていた。そして、この番組が終わると同時に、過去に途中で諦めた学業へ専念する為にマサチューセッツ大学へ入学した。1972年には、大学側から文学修士の学位を授与されている。大学卒業後、再び芸能界へ戻った彼は新たに『The New Bill Cosby Show』を発表したが、視聴率がいまいち上がらず、わずか1シーズンで終わってしまう。しかし同時期に放映された、彼の監修による子供向けアニメ番組『Fat Albert and the Cosby Kids』の方は見事に成功を収め、その後7年間も続いた。当時はこの番組を教材として使用する学校まで現れており、いかにこのアニメが影響力が凄かったかが伺える。ちなみに彼は、この事について論文を書き、マサチューセッツ大学から博士号を授与されている。『Fat Albert and the Cosby Kids』終了後も、新たに『The New Fat Albert and the Cosby Kids』として5年間続いており、前作を含めると結果的に12年間放映された長寿番組となった。

その後も、『Uptown Saturday Night』(1974)、『Let's Do It Again』(1975)、『Mother, Jugs & Speed』(1976)と三年連続でコメディ映画への出演も果たしている。

1984年なると、新たなシチュエーション・コント番組『コスビー・ショー』をNBCでスタートさせた彼だが、これが見事大成功を収め、結果的に1980年代で最も人気のある番組とまで言われるようになる。最終的に、1992年までの約8年間放映された。

1987年には、彼が製作、脚本を務めたコメディ映画『ビル・コスビーのそれ行けレオナルド』も発表された。

1997年に長男エニスが強盗に射殺される不幸にも見舞われているが、近年も積極的に活動を行っており、2007年にはノースカロライナ州にあるリベラル・アーツカレッジの「ハイ・ポイント大学(High Point University)」の学位授与式でスピーチを行った。そして2009年には、毎年フランスのモントリオールとケベックの二か所で開催されている、世界最大のコメディー・フェスティバル「ジャスト・フォー・ラフズ」(Just for Laughs)の主催者まで務めている。
job actor producer writer
kana hi
main_job actor
place ペンシルベニア州フィラデルフィア
reading びぐこすびー
sex m
source wikipedia
title ビル・コスビー

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