ダン・マリーノ: 総合


読み仮名(平仮名)だんまりーの
英語名Dan Marino
生年月日1961/09/15
出生国アメリカ合衆国
出身地ペンシルベニア州 ピッツバーグ
性別
経歴/説明ピッツバーグで生まれた彼は高校時代には野球とアメリカンフットボールを行い、投手として95マイルのボールを投げて1979年のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズに指名されたが入団せず大学に進学しカレッジフットボールで活躍することを目指した。

1年次にピッツバーグ大学とウェスト・バージニア大学との間で恒例となった試合で彼は252ヤードを投げると共にFGを1本決めて試合は24-17で勝利した。3年次に行われた1982年のシュガーボウルでは残り1分を切ったところで決勝のTDパスを成功させジョージア大学を破った。こうした活躍を見せたものの彼はハイズマン賞には選ばれなかった。4年次のコットンボウルではエリック・ディッカーソン、クレイグ・ジェームスのいた南メソジスト大学に3-7で敗れた。

1983年1月4日、新興アメリカンフットボールリーグであるUSFLのロサンゼルス・エクスプレスがドラフトで彼を指名したが入団せず、1983年のNFLドラフトでも彼は注目されたがひざの故障のため、機動性に欠けると判断された彼は1巡目でマイアミ・ドルフィンズに指名されて入団したがQBとしては6人目の指名であった。テリー・ブラッドショーの衰えが見え始めたマリーノの地元チームであるピッツバーグ・スティーラーズはドルフィンズより早い指名権を持っていたがDTのガブリエル・リベラを指名した。

ドルフィンズに入団した彼はデビッド・ウッドリーの控えQBとなり2試合にリリーフで出場した後、第6週のバッファロー・ビルズ戦で初先発した。この試合はオーバータイムの末、35-38で敗れた。ルーキーシーズンに彼はQBレイティング96.0の新記録を作った。この記録は2004年にベン・ロスリスバーガーの98.1に更新されるまでNFL記録として残った。彼はプロボウルに選出されると共にプロボウル出場初の先発QBに選ばれた 。彼のルーキーシーズンは雨の中のプレーオフでシアトル・シーホークスに番狂わせで敗れて終わった。この3試合前にヒューストン・オイラーズとの試合で負傷した彼は続く2試合を欠場していた。これ以降1993年にアキレス腱を負傷して欠場するまで145試合連続出場を果たしている。

2年目の1984年に彼はシーズンTD数48、シーズンパス獲得5084ヤードなど、NFLのパス記録を6つ更新した。14勝2敗で終えたドルフィンズはホームフィールドアドバンテージを獲得しシアトル・シーホークスを31-10、ピッツバーグ・スティーラーズを45-28で破りAFCを制し第19回スーパーボウルに出場した。スーパーボウルではペンシルベニア州西部出身の2人のQB(マリーノとジョー・モンタナ)に注目が集まった。プレーオフ2試合で74回選択されたランプレイはわずか8回にとどまり、マリーノのパスは50回中29回成功、1TDパス、2インターセプトに終わり試合は16-38で敗れた。

1985年12月2日のシカゴ・ベアーズとのマンデーナイトフットボールではパス27回中14回成功、270ヤード、3TDパスを投げる活躍を見せて、それまで12連勝していたベアーズに土をつけた。チームは2年連続AFCチャンピオンシップゲームに進出したがニューイングランド・ペイトリオッツのディフェンスがインターセプト2回、ファンブルリカバー4回をあげる活躍を見せて14-31でドルフィンズは敗れた。マイアミ・オレンジボウルでドルフィンズがペイトリオッツに敗れたのは1966年から初のことであった。

1988年10月23日にはパス521ヤードを獲得、3TDをあげた。

マリーノは現役17年間のうち10回プレーオフに出場を果たしたがAFCチャンピオンシップゲームに出場したのは1992年終了後のプレーオフが最後となった。1990年から1995年の間にバッファロー・ビルズとジム・ケリーは3度マリーノのスーパーボウル出場の夢を砕いた。1993年10月のクリーブランド・ブラウンズ戦で、右アキレス腱を痛めて負傷退場、控えQBのスコット・ミッチェルが代役を務めた。ドルフィンズはシーズンの最後の5試合に連敗しプレーオフをチームは逃した。シーズンオフにミッチェルはデトロイト・ライオンズに移籍、ドルフィンズはクリーブランド・ブラウンズのバーニー・コーザーを控えQBとして獲得した。

1994年の開幕戦はニューイングランド・ペイトリオッツのドリュー・ブレッドソーとのパスの投げ合いになった。デーゲームでフロリダ・マーリンズの試合に使われたフィールドはぬかるんでいたがマリーノはパス42回中23回成功で473ヤードを獲得、一方ブレッドソーはパス51回中32回成功で421ヤードを獲得、2人のQBは合計で894ヤード、9TDをあげて試合は39-35でドルフィンズが勝利した。またアウェイのニューヨーク・ジェッツ戦ではスパイク(ボールを地面にたたきつけて時間を止めるためのプレイ)のフェイクを行いTDパスを成功させている。10勝6敗でシーズンを終えたチームはプレーオフでモンタナのカンザスシティ・チーフスを破ったもののサンディエゴ・チャージャーズ戦でハーフタイムに21-6とリードしたものの21-22と僅差で敗れた。このシーズン、マリーノは4,435ヤードを投げてカムバック賞に選ばれた。

1995年、フラン・ターケントンが持っていたNFL記録、パス試投、パス成功、パス獲得ヤード、TDパス記録を更新した。シーズンが終了するとドン・シュラヘッドコーチが辞任しジミー・ジョンソンが後任のヘッドコーチに就任した。スーパーボウルを連覇していたジョンソンヘッドコーチはボールコントロールオフェンスを攻撃の中心としようと欲したが彼が在籍した4年間優秀なランニングバックは現れず有効なランニングゲームは行われることはなかった。1999年に怪我で1ヶ月ほど欠場した後、先発したダラス・カウボーイズとのサンクスギビングデーに行われた試合で彼は5インターセプトを与えてしまった。残り5試合で4敗して9勝7敗となったもののかろうじてプレーオフに出場を果たしたマリーノはキングドーム最後の試合となったアウェイでのシアトル・シーホークス戦で自身37回目の第4Qにおける逆転勝ちを果たしたが翌週に行われたジャクソンビル・ジャガーズに7-62で敗れ、この試合がマリーノの現役最後の試合となった。

シーズン終了後にドルフィンズのヘッドコーチ、ジミー・ジョンソンが退団し、新ヘッドコーチに就任したデーブ・ウォンステッドがジェイ・フィードラーを獲得すると、マリーノはチームの構想外となり、2000年3月13日、現役引退を表明した。

NFL歴代3位の147勝をあげると共に、プロボウルに9回選ばれて(うち7回先発出場)、オールプロにも8回、オールAFCにも6回選ばれた。1999年にスポーティング・ニュースが選ぶ偉大な100人のアメリカンフットボール選手の27位に名前を連ねた。

2000年9月17日にプロプレーヤー・スタジアムで行われたボルチモア・レイブンズ戦のハーフタイムに彼の背番号13を永久欠番とするセレモニーが行われた。その時点でのドルフィンズの永久欠番はボブ・グリーシーの12番のみであった。(2002年にラリー・ゾンカの39番も永久欠番となった。)
2003年にはカレッジフットボール殿堂入りを果たした。

2005年8月7日にスティーブ・ヤング、ベニー・フリードマン、フリッツ・ポラードと共にプロフットボール殿堂入りを果たした。殿堂入りの際のスピーチ中に彼は元チームメートでホットラインを築いていたマーク・クレイトンへのパスを投げた。

NFLのシーズン中、彼はCBSスポーツのThe NFL Todayのコメンテーターを務めている。また以前はHBOのInside the NFLを担当していた。
作成者 [編集履歴]634
最終変更者/日時 634 / 2017/11/29
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