ジュゼッペ・デ・サンティス: 総合

人:監督 関連作品数ランク2,021位(全体数3,336中) / 関連作品数2 / 偏差値45.12)2,020位 <= =>2,022位

読み仮名(平仮名)じゅぜっぺでさんてぃす
英語名Giuseppe De Santis
生年月日1917/02/11
没年月日1997/05/16
出生国イギリス
出身地ラツィオ州ラティーナ県フォンディ
性別
職業監督 脚本
経歴/説明イタリア国立映画実験センター卒業。撮影監督のパスクァリーノ・デ・サンティスは10歳下の弟である。

1940年(昭和15年)、カミッロ・マストロチンクェ監督の映画『ドン・パスクヮーレ』に脚本家としてクレジットされたのが、もっとも古い記録である。1945年(昭和20年)、マリオ・セランドレイマルチェッロ・パリエロルキノ・ヴィスコンティと共同でドキュメンタリー映画『栄光の日々』を監督し、映画監督としてデビューする。1947年(昭和22年)に監督した『荒野の抱擁』は、第12回ヴェネツィア国際映画祭に出品され、翌1948年(昭和23年)のナストロ・ダルジェント監督賞を『ジョヴァンニ・エピスコーポの殺人』を監督したアルベルト・ラットゥアーダと分け合って受賞した。

1949年(昭和24年)に発表した監督作『にがい米』は、同年第3回カンヌ国際映画祭コンペティションに出品され、1951年(昭和26年)に行われた第23回アカデミー賞ではアカデミー原案賞にノミネートされた。1955年(昭和30年)のサン・セバスティアン国際映画祭では、『恋愛時代』で銀の貝殻賞を受賞する。『荒野の抱擁』、『にがい米』、『オリーヴの下に平和はない』、『恋愛時代』といった作品は、イタリフィルムが輸入し、日本でも同時代に商業公開された。

1988年(昭和63年)に行われた第45回ヴェネツィア国際映画祭ではピエトロ・ビアンキ賞を、1995年(平成7年)に行われた第52回ヴェネツィア国際映画祭では功労金獅子賞をそれぞれ受賞する。

1997年(平成9年)5月16日、ラツィオ州ローマ県ローマで心臓発作のため死去した。満80歳没。
作成者 [編集履歴]634
最終変更者/日時 634 / 2017/07/05
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統計値[関連(出演)作品]
日本とても良い48.98230

関連作品 (開始日順: ↓の区分名のリンクで並び順を評価の良い順/評価数順などに変えられます。)
11979/05/19海外映画郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942年版)とても良い(2.00)2.0048.981脚本
21952/03/14海外映画にがい米良い(1.00)2.0048.982監督 / 脚本 / 原案



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