「廃校をたずねて」⑨ ~ 西上州地方の廃校 ㊤ ~

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2010/07/24 廃校をたずねて > 「廃校をたずねて」⑨ ~ 西上州地方の廃校 ㊤ ~」
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・「廃校をたずねて」⑨ 


2010/07/24 シューゴ様より拍手を頂きました。ありがとうございます。 
2010/07/24 無記名論客様より拍手を頂きました。ありがとうございます。
2010/07/24 KAMIKAZE様より拍手を頂きました。ありがとうございます。
 



 ~ 西上州地方の廃校 ㊤ ~



 秩父の山村と廃校を取材がてら、群馬県の「西上州」地方にも足を伸ばしてみた。




 「西上州」地方というのは、秩父に隣接する群馬県南西部の鬼石、万場(現・神流)、中里(現・神流)、上野、南牧、下仁田あたりの町村を指す。
秩父と群馬、両方の文化の特徴を併せ持ったような地域だ。
この地域では北側にある御荷母山系にカヴァーされて、上州名物の「からっ風」や「浅間おろし」はあまり吹かない。
しかし山峡の地ゆえ日照時間は短く、冬季の冷え込みは厳しい。

 鬼石町は、神流川流域の西上州の町村では、最下流の町である。(神流川のさらに下流には藤岡市があるが、ここは狭義の意味では西上州には含まれない。)
庭石として用いられる三波石の産地として知られているほか、首都圏の水がめとしての「下久保ダム」も有名である。(写真は美原小学校跡より望む下久保ダム)

 しかしこの鬼石の町名も平成17年一杯を以て、隣の藤岡市に吸収合併された故に消えてしまった。

 ここには意外なほどに廃校の数が多い。


① 鬼石町立 譲原(ゆずりはら)小学校跡




① 最初に教室の「壁教材」の写真をご紹介しよう。

昭和30~40年代のものと思われるが、こんなものが残っていた。
四季の移り変わりを「ピカピカの」1年生に教えるものだ。








②③④ 譲原小学校の校舎を見る。

木造平屋建ての小規模校だが、分校ではなく、1~6年まで揃った通常の小学校だったそうだ。
複式授業でもなかったという。

学校の敷地跡は現在、「道の駅・上州おにし」として利用されている。(後の建物)
もともとは玄関から左右対称の校舎だったのだが、道の駅建設のために削られてしまったという。
残存校舎は土地のお年寄りたちの寄り合いに使用されているようである。

校庭跡はゲートボール場になっていた。
ここでも幼き日の学び舎に、年を経て老人となって還ってくる・・・という図式が見られる。




⑤ 廃校の記念碑。

・・・昭和50年、鬼石小学校へ統合により廃校となるが(当時の児童数74人)、3年生以下を当分の間置くと定め、その後2年間続いた(児童16人)・・・とある。






⑥⑦ 「道の駅」の職員の方にお願いをして、教室の内部を撮らせてもらった。

当然、新建材などは全然使われておらず、とてもなつかしい感じがする。




⑧ 校長室の内部。

戦後、新学制が敷かれてからの歴代校長の肖像と卒業写真が、ズラリと並べてあった。




⑨ 初代校長の写真はなぜか存在しなかった。

右端から2代目、3代目校長・・・と続く。
2代目の校長先生は優しそうだけど、4代目の校長先生は何だか怖そうですね。

卒業生が1枚の額に収まってしまうのも、小さな学校らしい。




⑩ 山あいの学校には珍しい「プール」の跡。

わずか3コースの小さなものだが、それでも子供達には大きな喜びだったことだろう。




⑪ 職員室の看板。




⑫ なつかしい黒電話が。

ここにも卒業生の写真があった。

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HARIKYU さんのコメント (2010/07/25) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
*
KAMIKAZE さん、いつも拍手とコメント有り難うございます。

古い卒業生の写真を見ると、どの年度も大体卒業生は20人くらいなんですよね。
きっと校長先生は一人一人の名前と顔を覚えていたことでしょう。
大きな学校では考えられない事ですね。
現在、この学校の通学区だった部落のほとんどはダムの底に沈んでいるはずです。
HARIKYU さんのコメント (2010/07/25) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
*
634 さん、毎度拍手とコメント有り難うございます。

おっしゃる通りに、この学校では黒電話と歴代校長の写真が印象的でした。
初代校長の写真が一体どこに消えてしまったのか、はなはだ謎ですが。(笑)

この校舎の敷地から古代遺跡が見つかったので、校舎を壊そうにも壊せないのだそうです。
KAMIKAZE さんのコメント (2010/07/24) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
今回は群馬県の廃校跡ですか・・・
今回の写真の四季の絵、そして黒電話、歴代の校長先生、そして卒業生の写真…
これらには、確かに様々な人達がここで学び、ここで勉強を教えていたという確かなる証と歳月の流れを感じますね…
又、これらの写真からは懐かしさだけでなく、一抹の寂しさも感じ取る事が出来ます。
これらの光景が歳月と共に徐々に人々の記憶から薄らいでいくのか、と思うと、寂しく、残念な気持ちにもなりますね。
634 さんのコメント (2010/07/24) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
もの悲しいですね、特に黒電話と歴代校長達の色褪せた写真に記念碑が。

日本の原風景に馴染んでいた学校も消えていく・・・こういった風景を寂れさせたり、壊したりするのは簡単でも、生み出したり、守ったりしていくのは難しいという現実もひしひしと伝わってきます。


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