所沢移転&西武ライオンズ誕生から40年

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2019/02/10 「所沢移転&西武ライオンズ誕生から40年」 分類: スポーツ関連の話題
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前回と同じプロ野球ネタになりますが、今年は埼玉西武ライオンズがパ・リーグに誕生、そして現在の本拠地がある埼玉県の所沢市に移転してから丸40年を迎える年でもあります。

ここでも球団誕生および移転40周年を記念した公式サイトが実際にありますが、前回同様に簡単な説明をしていくと移転前年の1978年10月12日に西武の前身球団だった「太平洋クラウンライターライオンズ」が廣済堂クラウンにライオンズ球団の売却・埼玉県所沢市へ移転する事を発表し、当時国土計画の社長だった堤義明氏がクラウンライターライオンズを買取って「西武ライオンズ」が誕生しました。

それによって新本拠地球場の名前も西武ライオンズ球場(現:メットライフドーム)に決定し、移転当初の79年~81年は連続でBクラスに沈んだものの、81年のシーズン終了後に監督を退任した根本陸夫氏に変わってヤクルトでも監督を務めた広岡達朗氏が就任すると翌年の1982年に19年ぶりとなるリーグ優勝、日本シリーズでも中日ドラゴンズを4勝2敗で破った事でチームとしては24年ぶり、西武球団としても初の日本一を達成してからその後は83年、85年とそれぞれにリーグ優勝を果たして常勝球団への道を築き上げていく事になります。

1985年に広岡監督が退任を発表した後も、82年から84年の間に広岡監督の下でバッテリーコーチ(ヘッド格)を務めた森祇晶氏が後任として監督に就任し、さらにはこの年のドラフトで甲子園通算本塁打記録を持つPL学園の清原和博選手を6球団競合の末に獲得すると、その翌年から森監督が退任する1994年までリーグ優勝8回、日本一6回という恐るべき成績を残したのもあって、西武というチームはこの当時のイメージが強いという人も多いかと思われますね。

西武は森監督の頃から知っている年代なので個人的に前述の黄金時代のイメージが今でも強いというのがありますが、この時期は四番を務めた清原選手の他にも投打ともに戦力が充実していたのや、特にクリーンアップのAKD砲(秋山、清原、デストラーデの頭文字から取った名前)、郭泰源、工藤、渡辺久といった他球団なら大黒柱を張れるほどのレベルだった先発投手陣、鹿取&潮崎のWストッパーなどがいたのも大きかったのと、当時流行していた野球帽もパ・リーグのものでは西武の帽子が一番多く見かけていた記憶があるところです。

その後はダイエーやオリックスなどのチームが力を付けていった事や、チーム自身も転換期で若手選手の育成などが中心になっていったためリーグ優勝と日本一の回数も黄金時代に比べると激減した印象がありますが、それでも昨年はかつての黄金期の主力だった辻初彦監督の下で西武ライオンズとしては2008年以来となる10年ぶりおよび22度目のパ・リーグ優勝を決め、CSこそソフトバンクに破れてしまったとはいえ辻監督の就任後は相次ぐ主力の流出があっても連続でAクラスを維持しているだけに、今シーズンもソフトバンク有利とされている下馬評を覆せるか期待が高まりますね。




コメントする9個


Mr.KN さんのコメント (2019/02/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
こんばんは、ルミナさん。コメントありがとうございます。

黄金期の西武はペナントレース以上に日本シリーズを目標としていた事や当時のパ・リーグで1強状態なのもあったので、ファン以外の視点から見るとそうした批判もやむなしだったのかもしれませんね。

それでも、あそこまで全ての面において完璧なチームというのは時代もあるとはいえなかなか見当たらないと自分は思うのと、80~90年代における最強チームを挙げるなら間違いなくこの時期の西武だと断言出来るところです。

ダイエーの方は当初こそ勝てない時期が続いた事で当時のファンや王監督も大変苦しいものがあったと思われるものの(さすがに生卵の投げ付けは異常でしたが)、それでもそうした苦境を乗り越えたから事が今の常勝球団の礎になったとあらためて感じますね。

ではまた。
ルミナ さんのコメント (2019/02/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
こんばんわ、コメントさせていただきます。
自分がプロ野球を見始めた頃はちょうど西武の黄金期で
『憎たらしいほど強い』
というイメージでしたね。
黄金期晩年には『強すぎてつまらない』もっと『魅せる野球』をなど、
言いがかりのような注文をつけられるほどでしたが、
打撃陣・投手陣、共に力と技を兼ね備えた
これほどにダイナミックで面白い野球をするチームは
他になかったと思います。
後に根本陸夫氏が土台を作ったホークスが常勝チームに
なった時は弱い時代を知っていたこともあって感慨深かったですね。
弱小時代を耐え忍び、若手を育てチームを日本一に導いた王貞治氏も
立派でした。

それでは失礼します。
Mr.KN さんのコメント (2019/02/11) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
こんばんは、無限堂さん。コメントありがとうございます。

実際に森監督もそうした役割を理解していたのか、選手を前面に押し出し自由も考慮するのびのびとした野球をやらせる面もあったのでそれらの面から多くの選手達に慕われていたという逸話もあったのや、特にルーキーイヤーから四番で起用された清原氏も森監督には恩義を感じていて「優しい監督だった」と後に評していたのが当時の西武のチーム状況や選手関係などをわかりやすく説明していたように思えますね。

当時のパ・リーグは西武の1強状態でその他のチームはいかにそれを止めるかという印象もありましたが(抜きん出ていたのは89年に西武の連覇を止めた近鉄ぐらいでしょうか)、もっとも根本氏が後にダイエーに移籍したのやその他にも2004年のプロ野球再編問題などを経てパ・リーグも各球団が地域密着に成功したのはそれらも大きかったと思います。

昨年のCSは攻守にバランスの取れたソフトバンクが強かったという印象があった一方、西武の方は全体的に見て粗が多い事でまだまだ発展途上のチームであるのが浮き彫りになったとあらためて感じましたね(結果としては2004年のプレーオフの借りを返されたとも思ったところでしたが)。

ではまた。
無限堂 さんのコメント (2019/02/10) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
西武の黄金時代は「役割分担」を徹底した事で、人材発掘は故・根本元管理部長、育成は黒江元ヘッド以下コーチ陣、采配は広岡→森元監督と役割分担のお陰でそれぞれの役割に集中出来たからあれだけの戦力をフルに生かせたと考え、最も広岡式管理野球を根本元管理部長が発展・完成させたと言えます。
象徴的だったのが、85年に阪神に初めて日本一を掻っ攫われ、90年に藤田巨人を四タテ完勝、92年に野村ヤクルトと互角の戦いを繰り広げ、翌93年にヤクルトにリベンジを決められ、翌94年には長嶋ジャイアンツに敗北した事で、そして根本元管理部長は「西武の独り勝ちではリーグの発展にならない」と福岡ダイエーへ移籍し、見事ライオンズのライバルチームに育てました。
根本元管理部長の誤算は日本ハムが北海道へ移籍し、積極的な経営者で本気を出した事と、ハンドメイドチーム・東北楽天イーグルスの誕生でした。
追伸・18年のクライマックスシリーズでソフトバンクに歯が立たなかったのに時代が変わったと同時に遣り切れませんでした。


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