福岡移転から今年で30年

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2019/01/23 (2019/02/09更新) 「福岡移転から今年で30年」 分類: スポーツ関連の話題
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他の方と同様に自分も記念イヤーのネタで重なりますが、今年はプロ野球で福岡ソフトバンクホークスが福岡県に移転してから30周年になる年です。

実際に公式でもそれを記念したサイトがありますが、その歴史を簡単に説明すると移転前年(1988年)にソフトバンクの前身チームだった南海ホークスがダイエーに球団を売却する事が正式に発表され、翌年の1989年(平成元年)に球団名及び会社名も「福岡ダイエーホークス」と改められたと同時に本拠地は福岡市の平和台球場に移されました。

移転当初の平和台時代(89~92)、そして93年に新球場である福岡ドーム(現:福岡ヤフオクドーム)に再移転してからも球団は苦戦を強いられ続け、当時は西武やオリックスといったチームが強かった事などもあって前身の南海時代も含め20年連続のBクラスという不名誉な記録まであったほどでしたが、1999年にダイエー球団としては初のリーグ優勝を果たすとそこからソフトバンクに身売りした現在に至るまで、パ・リーグでは常勝球団にのし上がったのがこのチームの特徴ともいえるでしょう。

今では強豪球団であるソフトバンクもかつてはBクラスの常連だった事が若いファンには信じられないところかもしれませんが、1996年にはその低迷ぶりに業を煮やしたファンが当時の王貞治監督や選手の乗ったバスに向かって生卵を投げつけたり罵声を浴びせるという事件があったり、それ以外にも所属選手の何人かがプロ野球脱税事件やスパイ疑惑などといった一連の事件に関わっていたなど、そうした苦難もありながらそれらの出来事が今となってはチームの糧になってきたと個人的には思うところですね。

ホークスがここまでのチームになったのは色々な要素もありますが、一番は監督も務めた「球界の寝業師」こと故・根本陸夫氏が専務に就任した事や後任には前述の王監督を招聘、それ以外でも西武とのトレードで秋山、さらにはドラフトでも小久保、松中、井口、城島といった後の主力選手を獲得した事でそれ以降は現在に至る常勝球団ならびに地元人気の土台を築いたといって過言でないかもしれません。

今や金銭的な面などでは巨人以上というイメージがあるので一部では「金満球団」と揶揄される事もしばしばながら、それでも過去にはリーグ優勝したにかかわらずCSで敗れ日本シリーズに出場出来なかったという苦い経験や金銭面の問題などで主力を放出せざるをえなかった事もあるだけに、自分は巨人ファンながらパ・リーグではホークスも好きなチームのひとつなのでこちらも今年はどのような戦いを繰り広げるか今から楽しみでもありますね。



コメントする13個


Mr.KN さんのコメント (2019/02/11) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
こちらの記事にもコメントありがとうございます。

当時の中日は88年を最後に優勝から遠ざかっていたのでそうした事も理由のひとつとして捉えられるかもしれませんが、この年は岩瀬、サムソン、宣の鉄壁リリーフ陣や打線でも関川、ゴメスといった選手たちの活躍が大きかったようにも思いました。

ダイエーの方も苦難の末にリーグ優勝を果たした事で当時のファンは感慨深いものがあったところかと思いますが、この年の優勝と日本一に貢献した藤井投手はまだ31歳という若さで亡くなられたのが残念でならないですね。

15番通路が「藤井ゲート」と呼ばれているのはもちろん、それ以外では彼が入院した頃から背中に「FUJII」「15」と手書きされた「藤井ハリー」と呼ばれるハリーホーク人形がヤフオクドームのロッカーに置かれていたというのもその存在の大きさを感じたところです。

ではまた。
無限堂 さんのコメント (2019/02/10) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
99年の日本シリーズは忘れられず、開幕11連勝で勢いに乗り優勝した中日ドラゴンズとの対戦となりました。当のドラキチは11連勝しても至って冷静だったのは意外でした。
そして、ダイエーも旧南海時代から数えて21年ぶりに優勝を果たし、福岡・博多っ子は大感激しました。
そして、中日ドラゴンズの日本一を阻止したのは藤井投手で、炎のストッパーと呼ばれました。
しかし、残念ながら翌年藤井投手は癌で早逝し、藤井投手の背番号15は半永久欠番となりソフトバンクにも継承され、福岡ドーム15番ゲートは藤井ゲートと呼ばれ、伝説となりました。
Mr.KN さんのコメント (2019/01/24) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
こんばんは、あかねちゃんさん。コメントありがとうございます!

気が付けばダイエーの初優勝が20年前だったのも年月の流れを感じますが(自分も当時はまだ高校生でした)、この時は福岡移転から丸10年、そしてチームとしては南海時代の1973年以来となる26年ぶりのリーグ優勝でもあったのが感慨深いところでしたね。

ペドラザは99年と00年の連覇に貢献したクローザーというのもあって記憶に残っていますが(巨人時代は黒歴史という事で)、リーグ優勝の三振の場面はもちろん中日との日本シリーズで日本一決定の胴上げ投手になったところも忘れがたいです。

ではまた。
あかねちゃん さんのコメント (2019/01/24) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
こんばんは~

地元民としてもダイエーホークスの初優勝は嬉しかったですね

抑えのペドラザが三振を取ったときのガッツポーズは今でも覚えていますよ


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