名もなき詩人の日記/書き物

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2015/03/30 「2015年冬アニメのまとめ」 分類: アニメ感想
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冬アニメのまとめをしたいと思います。最後のアニメ感想になると思います。

「評価済み」
・冴えない彼女
あついあつい。やっぱ受け手と作り手が交錯する世界。ともやの立場が本当に良い。作り手と受け手の間を繋ぐ。それがプロデューサーって奴なのかも。エリリ回と創る事とオタク仲間の絡みが濃すぎる。
新キャライマイチだと思う。ただ音楽担当が必要ってのと悪いキャラじゃない。なんというか100%完全グループって無いから。そういう意味で良いポジションしてる。ただ幼馴染が被ってるからってうたは先輩のエリリ弄り良いわ。はがない同様金髪系は弄り文学系毒舌に弄られるのか…。
ついに加藤が出てきた。従兄妹出してきたか。加藤の静かな毒の有る発言は2次元のコメディとしてはかなり上手いな。先輩がぱちもんのひたぎっぽいから。加藤のそれはすごく新鮮。しかも従兄妹回だったのに加藤を押すのが私が見込んだとおり加藤はラスボスだから魅力的ってのと繋がってる。後この話数まで来たら日常系みたいにキャラが創る空気感が刺激になってる。とことんアニメ向きな作品だと思う。
ご都合主義と作中突っ込まれていたが、バンドがアニソンバンドで無事解決。加藤が音を聞いてピント来たのが伏線になってた。結構この展開ストーリーとして面白かった。これ短いストーリーがそこそこ面白い。最後まで終始楽しい気分で見れた。新作では間違いなく今期NO1。
ちょっと書きたいけど様々なところでテンプレラノベといわれてるけど、この作品きちんと萌えをメタに見るって視点は機能してると思う。同監督の俺修羅を比較されるけど、あれは本当に中身が無かった。ストーリーさえも良くある仮面恋人って設定。そもそも作者が声豚ってのがものすごく色濃く出てて、ここまで2次創作みたいなラノベも珍しいなと思ったぐらい。当時時代が変わりつつあったのが良く出てる。もはやキャラ可愛いを軸にするだけじゃ難しい。この作品は加藤の発明が萌えをメタに見るって点で最高点として完成されてる。受け手の慣れを逆手に取った狙い。癖のあるキャラが日常的になってしまったところに癖の無いキャラで新鮮さを出すというのがもろメタに萌えを見てる視点と分かるから。主人公の言動とヒロイン達との会話。ストーリー。すべて萌えに関係した作品(一部コミケなどオタクを広く取ってる部分も有る)をテーマに扱ってる。今までオタクを軸にした作品は多かったけど、ここまで萌えを理屈っぽくみた視点の作品は無かったと思う。トレンドリーダーであるはずの主人公が加藤の存在が新鮮な事に気が付いてないのは笑ってしまう部分だけど…。パッと見の印象はテンプレで片付けられるかもしれないけど、そういった作品とはこれ違うと思う。
反感買うの分かっててしろばこよりこっちの方が創る事に突っ込んでると書いてる。それは加藤ってキャラの発明が一番大きいそれは卑怯か?と言うとしろばこって作品自体から切れ味の有る創造力の鋭さを感じない。水島監督が製作上がりと言うならあれは本当だと思う。すごく面白いアニメがびっくりするほど普通の発想で創られてるから。その落差が面白さと全くバランスが取れてない。この作品は加藤を見ればすぐに分かるから。私が組織的な仕事をあまり高く評価して無いからだと思う。それはアニメーションそのものの否定に繋がる。でもアニメの面白さのほとんどって原作があった場合原作の面白さで決まる。数から言えばアニメ関係者の貢献度なんてほとんど無い。役に立たない人は一人も居ないけど、それほど重要じゃないのは確か。でもしろばこは何故チームの力の勝利を感じる。水島オリジナルはいつでも不思議な作品が多い。
ゲーム製作が重要なんじゃなくて、ああこの人萌えが分かってるな。これが大事。敢えて言うと私みたいなまるで楽しんでない人間がそういうの言えるのか?と言うと私最低限は楽しんでる。私って個人の好みよりこのキャラ受けそうって方が良く感じる。自分で萌えキャラスカウトマンだと思ってるから。スカウトマンは売れたらもう次の自分のお気に入りに目が向いてるから。丸戸さんにはそれを感じるから。すごいのは自分で創ってる点だけど。私は発見するだけだから。

・ワールドトリガー
期待したほどじゃなかった。でも後のくがの解説は面白かった。イマイチなのは当たり前で、相手に実力出させずに勝つとか渋いところついてくる作者だな…。漫画向きじゃねーわ。だが評価後悔するは一切無かった。
本当に良い作品。世界観に引き込まれる。単純に魅力的な世界観じゃない。バトルを支えるファタンジー設定をきちんと支える構築がなされてる。頭の良い作者だな。漫画の魅力が頭の良さじゃないと良く分かる。漫画的には地味な作品だから。
評価してよかった。人VS人の方が面白かったけど。新型が強くてトリオン兵との戦いも面白くなってきた。ボーダーには気の毒だが、苦戦すると面白い。梶さん主人公なのでまるで進撃の巨人。ただまだ良く分からないけど統率してる人間が混じってる気がする。

・クロスアンジュ
タスクモモカ生きてたに笑った。ほんとこのアニメB級だよな。私が評価したのは全体のストーリーがしっかりしてきたから。でも根底のこのB級感最初から最後まで一貫してるな。アニメと実写B級って密接な関係が有るから誰か読み解いて欲しい。ただしクロアンが世代間で認識が変わるのって、実写のB級とアニメのB級感ってずれつつあるんだよな。元々実写のB級って予算からだけど、悪いものってあつまるもんなんだわ。脚本も自然とB級脚本に…。アニメが扱うものって実写のB級が扱うものと似てるんだよな。アニメの根底に怪談話あるってのと、B級ホラーって意味がある。人間ドラマだ、テーマだ、芸術性だとか言ってる連中ってアニメの一部しか見てない。子供が怖いものみたさで聞く怪談話を忘れたら虚淵氏の魅力なんて分からないぞ??エロゲライターがどれもこれも低俗なのはB級センスによるものなんだよな。
馬鹿アニメ、B級アクションが急にシリアスなドラマやり始めた。しらける。ってならない。その答えは?もっと前から楽しんでるから。あばたもえくぼって奴だけど、面白いから好きがなりたつなら好きなら面白いも成り立つ。優れた評価者を求める人からは私はとんでもない人間だろう。うんこれ個人的なえこ贔屓だ。癖の有る作品って個人的なえこ贔屓が集まって作品評価になってるんじゃないの?って見てる。結構馬鹿アニメだと分かってるのに、ジル復帰で王道の因縁=サリアとの対決燃える。伏線としてジルにサリアなんとかしなさいって発破かけたるアンジュとジルのやり取りが上手く働いてる。これが無かったら唐突なジルになってたと思う。
転相違とか全く科学用語並びたれればSFっぽくなると思いやがってー。まどマギと言いファンタジーとして開き直って創ったほうがよっぽど知的な論理性が有る。イマイチな書き手ほどファンタジーが扱えなくてSFにしてしまう。とは言いつつスイッチに過ぎないのだよーー的な核反応理論は中々楽しめた。どうひっくり返すか。
SFの古典と言うか、漫画ナウシカ以降こういうの増えたな…。人類の再生とイレギュラー。だがナウシカとまるで違うな。ストーリーで魅せるよりキャラと軽いノリで突っ走る。まどマギの敵は実は展開も取り入れてそれらすべてを古典からずっとやってきた事ってストーリーを否定したアニメとして出してきた。なんと言うかもうストーリーで魅せる時代は終ったんだなと福田さんは思ってると思う。虚淵氏はすごいと思う。これが今のありかただと思う。前から古い人だなと思ってたけど、やっぱ虚淵氏って古いんだ。ガルガン以外皮肉にも高いキャラ人気で支えられてるけど。ストーリーが飾りとなってキャラを着飾るファッション化した。萌えと言う方向性とは違うけど、腐も含めて所詮流行のキャラアニメの流れだ。さすがSEEDでその流れを作っただけはある。

・しろばこ
大半の人は高い評価をしてくれるけど、たまに自身が楽しめないので過大評価だと決め付ける人がいる。この脚本、監督は確かにどこか物足りない。アニメ以外の題材ならここまで面白いか?と疑問になるから。でも逆に過大評価だと決めて付けてる人はアニメだからの面白さを無視してるとなる。基本興味が無い題材はどれだけ優れた作品でもつまらない事が多い。アニメを題材にした事で第一のハードルを越えてる。次に、ストーリーの単調でアリキタリな部分だけど、確かに他のジャンルを描いたらこのレベルでは不安だ。しかし、多くの作品で元医者、元銀行員と専門の人が描いた小説が数多くあってその面白さはやはり実体験によるところが多いだろう。リアリズムだけが浮いていても面白くない。しかし、そこに王道のストーリーの面白さがあれば別。面白さを損なうの防いだり、補助したり、リアリズムはこういった部分で機能すると見てる。そしてそれはリアリティと言う形で例えこっちが知らなくても自然と感じられたりする。良く分からないものを誤魔化しで描いていればどこかにほころびが出てしまうから。逆に良く分かってるものを王道やご都合主義で誤魔化すほうがマシ。
しろばこの平岡2ルート考えていて、そっちだったかって思った。そっちは問題の根は浅いけど、個人的な性格はイメージ悪い。新しい環境になって前の会社の経験ひきずるってむさにが迷惑…。一つだけ見落としていたのが、ああなるほど上の人間とクリエイターとの板ばさみ。これ忘れてた。多分そうじゃないか?と思ってつめてなかった。
良く考えると原作だろうがアニオリだろうが、アニオリなんだろうな…。気が付かなかった。原作者を大切にするって水島監督有名だけど。納得の回だった。原作持ちで水島監督の作品でイマイチと思った事が無い。元の作品の好みも有るけど、そういう事じゃない。そしてずかちゃんの夢とルーシーの夢って言葉が重なって宮森が泣いてしまうシーン卑怯だ…。やられた前から劇中劇の追求を重視してるけど、現実の宮森とのリンクの上手さで劇中劇も面白く感じれてしまう。劇中劇王道の面白さ。前は台詞の上手さで感心したこれは台詞一つで感動できた。今回は台詞はさほどじゃない。宮森の泣きにやられた。
アニメ製作者はこれからもアニメを創り続ける。そんなラスト。ヒカルの碁を思い出した。
この作品を見て、多くの人は水島監督に期待すると思う。それは逆に言えば大人になってしまったんだと思う。この作品やっぱ実写みたい。根本の部分が実写。それをアニメ的に絵に合わせてストーリーも簡素にしてる。アニメってのは絵が単純化で出来てる。良く見るとストーリーもこの作品はそうじゃないか?と見てる。手塚の作り方だと思う。手塚を出したからアニメしてると思わないんだ。肝心の手塚の桁外れのアイデアが水島監督には期待できない。ただ水島監督アナザーを創ってるので、結局最後は原作頼みで良いと思う。ガルパンがアイデア作品かな?って思い込んでたけど、あれ企画だけが尖がってて、中身はすごく普通だった。別に水島監督を否定したいんじゃない。アニメを大きく見て漫画で、何が大事なのか?創造力だと見てる。実際作るとなったらこういう作品は水島監督の良さが出まくる。でも私はわざと欠点を探したいんだ。誰もが認める優れた人は本当にそうなのか?私は作品の面白さに較べてあまりに地味な創造力だなと感じてしまう。監督にそんなものいらないとは書いておく。ただ敢えて言うならとなる。ただアナザーがあるけど、それは原作持ちで補えば良いんだとマジで思ってる。オリジナルだけがアニメじゃない。それで水島監督はパーフェクトだと思う。
正直このアニメにいらだちも有る。どうせ時間がたったら皆思うはずだ絵が綺麗なだけのアニメにはうんざりだと。確かに好みとしては創作全般で私は見る。でも私は漫画文化の良さをストレートに映像作品に出来るというのがアニメの強みだと思ってる。漫画が持つ作り手の発想力。これこそが私がアニメと漫画を通じて軸にしてる部分。どっちかと言えば、創作全般のキャラクターの感情移入は従なんだけど。悔しいが私が高い評価をするのは、主となる発想力の上に載った感情移入という従が決め手になる。しろばこの発想力の大半は、私がアニメ業界を知らないって非日常に向き合う事で、水島監督にとってはアニメ業界が日常であって、しろばこは受け手と作り手の立場の違いをそのまま発想力に利用したもので肝心の感情移入は日常作品の延長で描かれてる。この作品をべた褒めする人が多いのはどれだけ深夜アニメは感情移入で見れる作品が少ないか?の裏返しに過ぎない。どこかそこに受け手と作り手のずれを感じずには居られない。結局アニメって大人の見るものじゃねーなとつくづく思う。いい加減それと向き合うべきだと思う。この作品がヒットしたからこれからどんどんいくぞって多分ならない。それにどうして気が付けないのだろうか?それはこの作品ほど刺激的なものじゃない一般的な感情移入を軸にした作品を見逃してるからだ。ただ面白いだけで見ると見抜けない部分。
私は頭空っぽで見てるが、見終わった後の分析は決して頭空っぽでは無いと思ってる。しろばことそれ以外って構図で見るだろう。違うわ。問題の本質は円盤ビジネスじゃ、こういうタイプの作品が売れないからだ。それはたまたま桁違いの作品で売れるだけで、そんなの滅多にできない。商売としては、もっとイマイチな作品で維持できる構造が必要になる。それが分かるか?となる。しろばこより私は同様にずっと押してきた岸監督のゆゆゆの方が商品として優れた面があると見てる。あれはイマイチだから良いんだ。あれはもっと売れる可能性を持ってる。そこにポイントがある。継続してやっていくビジネスの流れが見える。アノ程度で売れたというのが良いんだ。しかも軸とナル部分はかなり出来が良い。アルドノアもそうだ。どっちもエロゲライターが起点となりそのままじゃなくて、アニメ用に大幅に加工したものとなってる。

・七つの大罪
この時期不作なのって間違いなく秋期の2クールラッシュのせいだと思う。これ何が面白いか?良く分からないけど。引き込まれる。敵の存在かも。聖騎士VS七つの大罪って構図とかも良いし、その中でとくにヘンドリクセンのラスボスっぷりは良いわ。
後私は声優をさほど作品において評価しない。だから逆に合ってない合ってるとかで過度に反応も無い。この人下手だなってはっきり分かる時だけ。だから声優ってマイナス以外ほとんど見ない。だがこの作品のホーク=久野さん。これだけはすごい。久野さんの最高キャラは豚だと思う。はまり役じゃない。意表をついた驚きの有る配役。ミギーがこれを狙ったけど、これは平野さんの名演に助けられてるけどそれでもそこまですごくない。この豚聞けば何故奇をてらった配役を監督がしたがるか?分かるから。はまり役ってのはグールの月山の宮野さんのような役。ホークは別の誰かがやっててもそこそこ上手かったと思う。でも久野さんをここまで生かしたのは豚だと思う。久野さんの声があってこそのキャラが立ってる。これが何故はまり役じゃないか?と言うと、はまり役ってのは受け手が考えるこの人しか考えられないって最高点のようなもので、ホークはそれじゃない。合ってるとか合ってないじゃない。創造的配役。久野さんが欠けたらホークってキャラは成り立たないぐらいの重要な声優。しかも作品の貢献度が高すぎる。私が声優を軽視するのは漫画がすでに面白さがなりたってておまけでしかないから。久野さんがすごいのはああこれ原作超えたと思えるから。だって豚が話すだけでもうワクワクしてる自分が居るから。久野さんの走る擬音、トントコトンを聞くと癒される。しかもこの手のキャラはハチベエだスタートだと思う。ロキはトリックスターで扱いが違う。旅物で役には立ってないけどグループの雰囲気を良くする役割。ただ役に立たないからそれが中々微妙な役どころになる。微妙に役に立ってるし、ムードメーカーとしての役割がそのすべてを補って余りある。
そのホークちゃんが丸焼けになってしまった…。シリアスもいける豚。本当に良いキャラだな。
ホークちゃんが小さくなって復活した。何より嬉しかったわ。決着がなんとフルカウンターのもうワンランク上の技。団長に攻撃しまくってそれを返す。元気玉のマゾ版みたいな技。さすがドラゴンボールオマージュ漫画。ただ私はこの作品ストーリーと設定が決定的に違うと思う。練りこまれてる。この作品独自の部分がこの作品に痛快肉弾バトル漫画にそれだけで終らないストーリー性を与えている。

・寄生獣
私は基本原作読んでないアニメを見る。ミギーが復活して驚いた。原作読んでアニメ見る人って少しは考えて欲しい。こういった驚き無しに見てそこまで面白いか?って点。それでアニメ始めてみて楽しんでる人を馬鹿にされると不快にナル。始めてみて楽しめていたらおかしいのか?って点。私は作り手に拘るから面白さが原作由来なのか?とか考えるけど、作品の面白さ自体はアニオリだろうが、原作だろうが、面白い事が面白い。
終ったな。原作見てる人から散々だったけど、これ面白いんだけどな。アニメとして意義とかそんなに居るのかな?ってなってしまう。アニメとしてって強迫観念みたいに言う人って駄目だ合わない。始めてみて面白かったらそれまでだ。基本漫画を見たアニメなんて見るなそれで解決するから。
評価ってやっぱり楽しむ事の土台にあると思う。結局多くの人がしてる事って分析でしかない。両方見たほうが確実に作品理解は深まる。でも多分最初に見たほうが楽しい。評価ってのはそういった最初に見る価値も図るべきだと思うよ。そういうの大事にしない評価なんて人間の決める価値じゃない。
原作を見た後アニメを見た人間の悪評価なんて読むな。狂ってるわ。料理は常に冷ましてから食べます。一番おいしいときには食べません。きっとそりゃアイスクリームや冷やし中華の評価が相対的に上がる事だろう。馬鹿馬鹿しくて付き合ってられない。

・四月は君の嘘
久しぶりに評価変えました。まどマギ叛逆が少しそれっぽかったけど、それマチ以来だと思う。重苦しい停滞を楽しむって言い切って評価したけど。やっぱそれ後半の覚醒したコーセーのための助走期間だった。自分が捕らえた意味合いがまるで違ったのでこれは評価変えないと思って。実際前半の重さがあるからそれが繋がっていてそこから抜け出して後半の爆発するような盛り上がる演奏が光る。
この作品を筋展開とかで評価するってなんだかな…。キャラクターの内面の作りこみのうまさから来るドラマの刺激だと思う。なおかつ結構斬新だった。手術で失敗ってこんなラストあるのかとすごく予想外だったから。意地悪いといえば意地が悪い。主人公に期待持たせてそれをぶち壊すのが、見てるこっちも期待したから。ただそれをKEY作品とかと同じにされるとな…。この作品そういったお涙頂戴物じゃない。主軸は主人公が精神的に強くなるのとかおりが主人公の記憶に残る物語だから。それをKEY作品とかと一緒にされるとな…。むしろ彼女の存在が主人公のこれからの人生を生きる強さに繋がってるし、彼女の方も記憶に残る事を成し遂げてる。だからそれは主人公が生きる事の物語だから。

「その他」
・純潔のマリア
またまた面白くなってきた。マリアが迷った。これで面白くなった。ベルナールに言い切った時よりこっちの方が面白い。何故こうするのか?に答えなんて無いと思う。それをどう答えるか?ちょっと気になる。
前回見立てどおりマリアは迷っていた。それを土台にプロポーズしてきた。この展開痛快で良いわ。この作品がファンタジーでアニメである非現実的な部分。プロポーズを受けるジョセフに対して舞い上がるマリアで何か昇華された。この作品は基本軸は実写的で小説的。でも全体像自体は最初から多分この二人って恋人同士になるんだろうなと思ってた単純さがある。
11話がクライマックス。何かエピローグって感じだった。ただ非日常から日常へ。もっと言うとファンタジーからリアルに。それは端的に言うと異能の力が重要なんじゃなくて、戦いを嫌う心の物語だった事になる。この12話にこめられたものは11話までをメタな視点でファンタジー能力を突っ込んだものだと思う。すごくわかり易いグラスリップになる。根本的に非日常と日常としてみるから私はファンタジーとリアルって視点があまり無い。単純にいつも現実的な犯罪組織や独裁者が悪党になる物語に飽きてるだけだから。11話でさえ評価しようと迷ったのでしない。敢えてしたくない。私は高い評価の作品のためにアニメを見てるわけじゃない。何度もその事で今のアニメは駄目だと書いてるから。平均レベルを上げるための物語作りの基礎の重視を書いてるから。もちろん深夜アニメはこのままで良い。いかにもこの作品の様に売れない作品が作る意味を持てる商売の土台を築いて欲しいからわざと高い評価しない。地味な作品が存在するべきだと思ってるから。すべての作品が主役では面白く無いと思ってる。最初からピラミッドの頂点を諦める事で逆に見えてくる良質さがあると思ってるから。
売れなくても良い作品だったそんなの言い訳。創る事の意味を商売としてきちんと与えてあげなければ。それは谷口監督が考える事じゃない。作り手にそんな事を考えさせたファンタジスタドールは本当に駄目な作品だった。20年前の私ならギアスと比較してるだろう。今ならプラテネスと比較する。そういった区別が出来るようになった。
神の話だけ触れておくと、私は谷口作品としてスクライドギアスの系列で見てる。プラテネスと書いたけど、なんと言うか作品のポイントはプラテネス的。谷口流のアニメ物語ってのがあってそれは昨今のオリジナル作品に数多く流れてる。だから基本となる。その基本と真逆ぐらい違うから。ただギアス能力を手に入れることから始まる物語で、それを考えると根本的に異能の力が無くても現実的に目的と向き合う事は変わらないってラストは異能の力でつながりを感じるから。でもやっぱ原作は天上の神の話だと思う。これは改変らしい。谷口的にはマリアも理の一つと認めるって決着を付けてる。彼女が魔法を失ったか?は分からない。でもエゼキエルの誕生はそれにあたるので、いずれは無くす。そうなると天上はそもそも魔法が問題で彼女の戦いを嫌う気持ちを裁くことは出来ないから。許すも許されるも無い。結構改変に大きな意味は無い…。これマッチポンプ的すり抜けだと思う。決着を付けるけど結果は変わらない。結果は変わらないけど、決着についてどうか?私は良いと思う。悪いは絶対に無い。凄く良くなったと言うほども出ない。なんと言うかエピローグとしては最終回の意味が大きい。この決着こそが最終回がエピローグを超えてる意味だから。皆に認知されてて良きものと受け止める人の多さによってと理屈より人の繋がり重視、多少強引だけど何かそっちの方が神学的よりも宗教的だと思う。

・アルドノア2
うーん、何かロボットバトルってわけじゃなくミッションって感じ。イナホ自動機械になったの笑った…。こういうの嫌いじゃないかも。イナホ一部ロボットだと良く分かる描写。元々死んだも同然だったから。後スレインとイナホ初めての生身の対決。まるでガンダム。だが少し狙いすぎてしらけそうになったのを上手くイナホの作戦勝ちで楽しめた。ただイナホと生身で対峙するの無茶苦茶怖い。何しでかすか?分からないのと、目の解析がすごすぎて生身の人間じゃない。スレインロボットに助けられてる。
決戦は先延ばしにして、まず皇帝が終わってる事を示す。初期に出ていた皇帝は影武者っぽい。後はそれを受け手の姫の決断。この流れは意外性で飛ばしてきたアルドノアらしい展開。詰め方も婚約でつめてきたスレインに対して有効。ただイナホとの恋みたいのは無かったのか?この辺りローマの休日路線。公人に私的な恋など一時期の夢のようなものと。これ上手いな。どう見ても良思いっぽい流れをどんでん返し。政略結婚。誰がこの未来を予想できたか?
何故この作品が叩かれる事が多いか?でストーリー展開重視のためキャラの内面が整合性が取れなくなって、キャラのドラマを組み立てるときに実写ドラマなどと比較して雑な内面のキャラで描かれる事になるため。こんな所だと思う虚淵氏も同じ理由で叩かれてる。実写なれしてるとこれが直感的にすぐ分かる。ただなれて無いと面白いのに何故?となる。出鱈目批判されてるわけじゃない。それに対しての意見として、少々の事気にしなければ良いじゃん…。実際その視点ならこれ良く出来てるんだから。結局両立が理想なのかもしれないけど、私はそう見ない。まずそういった部分はそこまで高いレベルじゃなくて良い。魅力的な世界観と刺激的な展開の方が深夜アニメには重要。マズここで私は作り手の力量を見るから虚淵バッシングの正体が分からない。彼のアイデアの元創られた作品だけど、後継者も似たような欠点抱えてるのが面白いけど…。
展開に面白みを創るにはファンタジーや人間ドラマ重視の日常舞台じゃない作品を創ったほうが良い。それはそれで独特の力量が必要になるので、実写ドラマなどの優れたドラマの名手がそういった作品を作れるわけじゃない。はっきり言ってこれ別個の能力なので比較するだけ無駄…。野球選手にサッカーの技術が無いって批判してるようなもの。(反応速度足の速さや持久力などは共通性あると思う)稀に両立した人が出るけど。
分かっていたことだけど、全体を通しての何かが物足りない。まどマギで当初そう感じて評価してしまって、後からまどかの目の前の自体を見つめる事で生まれる思索の物語だったのを知る。だから時間を置いて考えてみたけどやっぱり無いと思う。やや作り話感が強くなってもゼロレクイエムの様な閉めも無い。これは展開で魅せるライブアニメのあり方として、最後だけ特別な何か?を魅せるポイントが創れて無いから。まどマギは1クールの強みを生かしきった。まどかの体験を同時に見てきた視聴者からこういう答えがふさわしいとさっと出てくるから。ギアスは正直ラスト4話で強引に畳んだ。(まどかで誤解したのはギアスの経験があったから)しかし、ゼロレクイエムは中々見せるものが有る。私はギアス2期のラストの評価が特別高い。何故こうなってしまったのか?で、自分なりのゴールを想定していたのに姫様にはしごをはずされたから。その外し方が豪快すぎた。さすがにスレインも諦めた。何かしらの自分なりのゴールに至る前に挫折したのでスレインとしては描くものがなくなってしまったから。これではルルーシュの様なENDを迎えることが出来ない。わるい意味でリアルな結末だったな…。物語ってのは綺麗な嘘を見たいときもあるので。生きてるスレインってのが逆にリアルだなと感じてしまう。火星側の降伏ではなくて、停戦ってのがポイントだから。生きてるスレインってのが戦争自体のグダグダ決着を良く示してると思う。物語ってのは目的を持って描けるから。そういう目的無しに顛末を書いてしまうとこうなる…。ただ姫様の願いを聞き入れるイナホは良かった。その点だけ全体を通した面白さが無かったけど、何故スレインを助けたのか?で最終回だけの面白さはあった。
最終回で気になったのは、イナホのとんちが無くても圧倒的兵力差ならさすがに火星戦力も太刀打ちできない点。物量でなんとかなるのかと言うがっかり感…。じゃあ今までなんだったんだよ?って点。この作品バトルの練りこみが甘いのにロボットバトルを中心に展開した点。これはちょっとがっかりした。もっと圧倒的な戦力差を上手く描いて欲しかった。主人公チーム以外が活躍して落としてるのにそこを描いて無いからご都合主義に思えてしまう…。一応マリト大尉が全方面に展開させるとビットはやっかいだからと戦略は練っていたが描写がイマイチ良く分からない。乱戦だから…。この点は前回のスレイン戦の方が良く描けていた。最後の最後に所詮とんちなんて作者の都合次第だと冷めるような戦闘を見せたのは不味いなと思う部分。根底がどうであればれないようにと努力して欲しかった…。
ちなみに評価は全く変わってない。むしろギアスが上手くできすぎてる。ジェットコースターストーリーのラストに過大な期待はかけられない。次どうなる?を楽しみにしてきた作品は次が無い時にその利点はすべて失われてしまうので。全体と1話なら私は問答無用で1話を選択できる。この判断に悩むのが映画ぐらいだから。1クールでも同じ。アニメを小説の様に考えてる人は多分自分が創ったらすげー退屈なアニメ創るだろうと予想できるから。批判は簡単だから。いざ退屈させないようにって刺激を創ると多分これレベル低くないって分かるから。全体を重視する人って同じ価値観の人間の中でしか通用しない事で、その時が来たら今アンチとして支持してくれた人達が手のひら返して退屈だと攻撃するから。本当に真剣に全体を重視してる人って多分少数派だから。ちなみにスレインを死なせるのには反対。良く似た構造の作品サイコパスの巻島とは違う。虚淵氏の原案って確かにこれ分かる。どっちかと言えばこうがみのはしご外したのが朱ちゃんだから。そこに対してブレーキかけずにいくところまで言って袂を分かつから。描くべき絵が描けてない。その状態で殺しても意味が薄い。根本的にスレインの死を望むって公開処刑が持つ興奮を虚構に求めてる部分があると思う。私は違う。絵を描く事を求めてるから。
漠然と脚本批判されるのを批判して書いてる。私は最終回はイマイチだった。だが全体の評価を落とすほどじゃない。スレインの結末に華が無いから。具体的にかけないのは、華は見てからしか判断できないから。私が想定する華など華じゃない。華が咲いたら散るのも良しだから。例えば巻島が最後の決戦の前に優秀な主人公達が抑えてしまったら?これぐらい冴えなかった…。すべては姫様がうった手が未然に防ぐものだったから。23話の展開ですべて決まってた。だから巻島が何もせずに逮捕されて、後から麦計画の計画書が見つかるとかそんながっかりな結末な感じ…。要するに23話の姫様のうち筋で投了した。これが冴えないスレインの散り際って事で。24話のイマイチさはすでに23話の姫様の華で終ってた。んで姫様の魅力がかなり薄いのが問題だろうな…。んで脚本がわるいってそれは展開に刺激を創るのも脚本。それを一切認めない。まあそれはそういう価値観なんだなとしか思わない。脚本がわるいってロジックじゃなくてレトリックだと思う。脚本が悪いって書く人はこの展開面白いから脚本が良いなって思ってる人を納得させるぐらいの物書いてほしい。最後がイマイチなのを認めても、それで途中の展開の価値まで無かった事にならない。展開が面白かったと思う人はどうか最終回の悪評だけに惑わされないで欲しい。私もやや最終回批判的だ。でもそれで各話の展開の刺激を生んでいた脚本の価値を落とすわけじゃない。ここに最終回やや批判的でもきちんと価値を認めてる人がいると知ってほしい。何度も書くがだからって悪いと思ってない。両立させるほうが逆に稀なんだ。稀を基準にしたらすべてが悪いとなってしまう。

・Gレコ
より混迷が深まった。まず前から思ってるが陣営の入り乱れた戦いが本当に分かりにくい。後ニュータイプ関係の描写が妙な感じ。それと他にも感化されておかしな行動しだすとか独自の富野的言動が混迷が割り切れないものを感じる。他にも過去の情感たっぷりの描写が何か合わない気も。今までの雰囲気が軽すぎた。多分そこニュータイプを軸に持ってきたので富野的感じやすさによる欝状態が徐々に始まってきたが今までのノリと合わない。今から思うとターンAって異色だった。ニュータイプ的陰鬱描写とは違ってたロランのまっすぐな性格のせいだと思う。それをいきなり過去に戻しても。ターンA上手い。そういうの無しに上手く悲しみとか描いていた。むしろキングゲイナーに近かったノリからいきなり宇宙世紀的な雰囲気にされてもな。ZZはノリの変換が上手く言った作品。しかもあの明るい雰囲気でのプルがいたからこそ後半のプルとプル2がどうにも陰鬱な雰囲気を落差として作り上げた。こんなにも監督が作る演出の統一というものが大事だと思わなかった。明らかに富野監督何か変だ。これは年齢じゃないか。どこかおかしい。ちぐはぐとか断片的な作品つくりをしてる。モザイクだ。今までだから面白かったんだなと分かる。
おそらく富野監督ってギャグは出来るけど、コメディが出来ない。その基礎がなって無いからコメディからシリアスの転換って高度なものが出来るわけが無い。ZZは意図せず方向性を変えたけど、それを狙ってやるとさっぱり上手く行かないって事だと思う。キルラキルが多分この手のシリアスとコメディの転換では上手いと思う。クロアンははっきりいって上手く行って無い。あれは上手く行かないのを承知で楽しめる困った作品…。シリアス面が安っぽいのを承知でそのまま全体のコメディテイストのまま見てしまってる。だからクロアンはコメディの部分は上手くできてる。富野監督は天然だから笑いが上手くないって見方が有るけど、アノ人自分がどう見られるか?を客観視して道化を演じてる部分が多々有る。コンナ高度な事が出来る人が笑いが出来ないはずが無い。ただギャグじゃないんだ。一つ一つの会話が面白いってのはちょこちょこあるし、そもそも富野節が皮肉っぽい毒をソフトに仕上げる高度な言い回しだから。コメディとしての全体の作品つくりがきつい。本人がコメディ作ってるつもりじゃないんだと思う。でもなんだろうな明るく楽しいのりを作りたいってのを入れてるんだけど、どうもな…。キングゲイナー奇跡的作品。やっぱり衰えた富野監督にこんな高度な事出来ない。ガンダムって面白かったんだなと改めて分かる。演出って監督が統制を取るから監督の力量がモロ出る。どう考えても演出の統制が取れてなくて、過去の自作のモザイクになってる。これに本人も認める脚本酷さ。Gレコって本当に富野ファンならすぐに過去との違い気が付くと思うのだが。だから盲目的な肯定をする人って信者って言われるんだ。すべて過去富野監督がやってきた事。でも感覚的なものが微妙におかしい。
何かを組み立て見せるってストーリーじゃない。ただひたすら大気圏突入。富野監督の本質は映像監督だと良く分かる。ストーリーの組み立て方が筋道立てて魅せるようなものじゃない。そこで一つだけ見せてるのはまずニック。天才ニックを自称させることで生じる滑稽さを含んだキャラ。富野監督の天然道化を敢えて演じて笑いを取る現実のスタイルがそのまま出てる。コレにマスクとマニーマスクだけなら今までも描いてきた。マスクのタメニ死んでくれと今までずっと一緒にいたベルリへの態度。その根底となるマスクの恵まれたものへの嫉妬
心。それは学校時代仲良くしてたのが表面的だったと良く分かる人物描写。富野監督の陰気な面。上手くニックとマスクで自分らしさを振り分けてる。
最終回笑いがこみ上げてくる。ちまたで言われるヤマノススメ…。どこかで見覚えの有る山小屋だと思ったらヤマノススメか。これ目的が無い。だから物語が綺麗に閉じない。過去作ってたたび物としての流れをもっと進化した形でやってる。天竺に言って経典貰うって目的が無い西遊記が多分一番近い。最後の戦争酷かったな…。ニックの親父息子しんでも良いやってとにかく戦争する事しか頭に無い馬鹿な戦い。戦争は交渉の延長戦って話を根底から覆す。上の人が好きだからだよーーってオチ。

・ユリ熊嵐
この作品確かに見方によってはピンドラより完成度が高くなってる。洗練されてるとはっきり分かる。ピンドラってやりタイ事がまだ未分化の状態だった。それがより先鋭化してる。ダイヤモンドの原石って意味。ただそれが必ずしもよいか?と言うとピンドラの方が上だな。理由はあなたの隣のファンタジー感が弱くなってしまってる。完成度を高めたのは寓話化って方向性の結晶化だから。当然現実の隣のファンタジー感は落ちてしまう。ローカル色を消して一般色を高めすぎたら土着が持つ泥臭さが失われてしまった感じ。同じものを創らない事への意味ではユリ熊は優れた作品だけど、それ以外はどうかな。ただ妙に乾いた感じですっきり見れる感は強い。
ウテナの頃は王子と姫の物語を繰り返させる物語の中で疲弊した王子って設定で作られていて時代性が強かった。このケースは度々あって、ドンキホーテもそういう話。騎士道物語(アーサー王伝説など)に憧れた貴族の物語。中身が古典的でも視点の違いが近代的。この作品はそういうのがないし、そもそもピンドラから始まっていた。おそらく年齢。年食ったクリエイターは大体普遍に走る。時代性をピンポイントに当てないのでアニメ向きじゃない。正直ストーリーの刺激はシャッフルが組みあがっていく面白さだけで、無駄に凝った話より最低限楽しめるだけ。今より年食うと楽しんだろうな。結構幾原監督と年近いし、この域には足突っ込んでるから楽しめてはいるけど。

・暁のヨナ
本来なら書かない。だが敢えて書く。まるで4クールの様な作品。こういう作品が否定される現状が駄目だと思ってる。きちんとこれを評価できる人間と住み分けしてほしい。確かに私は高く評価しない。基本的には飽きてるから。だが方向性そのものを否定するのがおかしい。この作品は突き抜けたものがないだけで創り方自体は間違ってない。テンポが遅いというのは簡単だけど、それは深夜アニメのテンポがクレイジーな部分があるから。確かに私は宇宙兄弟で批判したことが有る。それはアニメ側が丁寧にやりすぎてないか?って疑ったからだ。アニメと漫画のペースは違うから。ヨナの場合遅すぎてこれ根本的にアニメと漫画のペースレベルじゃない。創り方が古典的過ぎる。宇宙兄弟は基本現代に近いドラマなので暗黙の了解が多い。それに対して架空の朝鮮っぽい国でファンタジー要素もある。こういった事に対する自然な入り方が出来るようになってる。過去のロボット物の作り方と同じ。宇宙兄弟の場合もうどうにもならないのかもしれない。漫画ならかなり早く読める作品(原作未読、漫画経験から)。それで面白さが創られたら、結局そこがベストペースだと思うから。アニメだとそれは多少は圧縮が必要になってしまうかもしれない。その辺り良EPが多いので私もあれを編集するのは無理だと思う面もあるから。ただ微妙に意図的に遅く創ってる臭いも合った。終盤結局原作においついて終了してしまったから。所謂アニメ側の引き伸ばし。ヨナには引き伸ばす理由が無いから。
原作もちとしては良い終わり方だったと思う。私はアニメとしてどうか?って今の深夜アニメの状況では苦しいと思う。これなら原作を勝ってみたいと思う終り方だった。そういうアニメがあっても良いと思う。販促に2クールは長すぎない?これは時折2クールじゃないと表現できない作品でやる。過去に伝勇伝がそうだった1クールならこりゃ話しにならんんって思ってた。私はあの作品の評価が低いのは逆だ。これから盛り上がってきたところでぶちきられたから。ヨナはもっときちんと盛り上がりどころ創ってる。古いタイプの作品なので、その辺り基本に忠実なので。やっと面白くなってきて、ええって切られた方した。ヨナはきちんと4龍揃って一区切り付いてる。マジで伝勇伝ってここで終る?ってぶちきりだから。2クールもあるんだからきちんと区切り見出して欲しいわ。

・ログホラ2
私がずっと書いてきた。世界の管理者=創造者との対面。仮想世界物じゃない。だが異世界物だけど根幹は同じ。誰か作った世界。ただ宇宙人的なのでその辺り仮想世界と微妙に違う。人間じゃないのかも。コンタクトみたいにちょっとなってる。ただ人工的に創った世界。でもこれじゃ根本が神様になってしまう。その辺り微妙だな。もちろんそうじゃない形にしてるけど、私がやりたかったのは同じ人間って話し。どのみち神は人に似てるんだと思う。そういうレベルの話なので同じだけど。結局創られた異世界も仮想世界も根っこが同じなので仮想世界だけの特異性って中々でない。一瞬これは?と思ったけど、仮想世界だけの特異性が作れない。

・ファフナー2
作画がすごいのはすぐ分かるけど、映像も凄い。何かバトル凝ってる。動きが単調にならないように複雑に動いてる。どういうバトルが駄目か?と言うと時計の振り子みたいな単調な動き。人間そんな機械的動きにならない。バトル凝って無いと動きのバリエーションが少なくなって反復運動みたいになるから。これ作画は褒められるの分かるけど、映像も頑張ってると思う。やっぱ作り手側も作画頑張るとモチベーションが上がるのかな。低予算アニメは作画も悪いが動きも凝って無いから。
ずっと思ってたけど上手く行ったらその反動があると思わせる。上げて落とす。1期そんなわけじゃない。そうじゃなくて、下がるのが当たり前をずっと見てきたので、ここまま上手く行くはずが無いって慣れてしまったから上げたら落ちるだけだと見てしまう。そのと折になった。段々皆が人じゃなくなってきた…。

・ワールドブレイク
まず評価なんてしないけど、ラノベ4天王+イスカ入れてこれが間違いなくNO1。中身自体は新妹の方が出来が良かったが問題はエロで見せるのに対して、こっちは笑いで来た。終盤になって、段々派手派手しい俺TUEEEEバトルが爽快感が出てきた。改めてこの作品を見て、SAOと魔法科は俺TUEEEだけが良かったわけじゃない。あれ桁違いだわ。馬鹿馬鹿しくなるもん。その馬鹿馬鹿しさをコメディベースで笑って済ませる楽しさが有る。ネットで俺TUEEE茶化しが嫌いだったけど、この作品だけはそれで見てた方が良い。魔法科ってそんなんで見るのもったいない。この作品はその比重が高すぎる。霜降り肉でハンバーガーを食うようなもの。上手いかもしれないけどもったいない。
リドさん石川君はテロルでほぼ自身のはまり役ってのを手に入れたと思う。逆に言えばギャグがちょっと弱い。それを上手くシュールギャグにする事で溶け込んでる。間に軽く絡ませるコメディタッチもそっちがあるから綺麗に馴染んでる。はまり役やってしまった声優ってそのイメージ取るのが大変たまたまテロルがヒットしなかったから良いけど。それでもリド君のイメージが有る。上手くこの作品石川君のイメージ壊してるな。
この作品まじで笑いだけじゃない。笑いを武器に軸とナルバトル展開がしっかりしてる。痛快ヒーロー者をシンプルに作ってる。そのための流れだけはかなりしっかり描いてる。バトルは多岐にわたるだけど、その中でストーリー的な部分のバトル展開だけはポイント抑えて創ってる。問題はそのバトル自体は雑で大味なだけで…。

・暗殺教室
どうもこの作品独特の子供向けっぽさがある。漫画の漫画たる一つの原因。完全にファンタジーの世界なら多分気にならなかった。日本の学校の先生。この現実的な設定にのっかる思い切りぶっ飛んだファンタジー設定。そこに強い違和感を生じる。根本的な部分は特別じゃない。大事なのは独特のものに違和感を強く感じてしまうように現実的な舞台が意識させるから。

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・全体の感想
視聴者が馬鹿になったのだろうか?物語に関してはそれはあると思う。でも一番はそうじゃない。それなら受け手次第なので時代を超えた意見として言った私の考えが矛盾する。アニメはそういう所がある。根本的にアニメーションは表現に過ぎないのでそれは無い。だがアニメの作ってきた文化がそういった形での娯楽提供になってしまってる。アニメが過去残してきたもの、これから提供していくもの。それが適当に見て考えない面白さになってしまってるから。いくらそれらから外れようとも受け手が拒絶するので維持できない。それらをすべてすててそうじゃない面白さで新しく受け手を選びなおせば変わる。それが出来るか?とそれが良い事なのか?になる。そういったジャンルがあっても良いのでは?今の受け手では維持できないから作られないんだ。目的としてそういった娯楽を見たいそれに答えてきた。だから今が有る。日本のアニメーションはアニメだと書いてきた事と繋がる。

私は夜のヤッターマンとデスパレード結局見るのやめてしまいました。夜のヤッターマンは私が苦手にしてるものでそれできつかったのがあります。デスパレードはそこまでじゃないです。でも私はこういう作品作られるべきだと思っています。夜のヤッターマンはパチンコなので、パチンコとの関係が続く限りはずっと作られるでしょう。ガッチャマンや寄生獣は実写化のついでです。馬鹿馬鹿しいのは実写よりアニメの方が大体この手のは面白いと言う逆転現象でしょう…。皮肉ですね。アニメの方が面白いのにおまけでしか作られない。デスパは純粋にクリエイターのためでしょう。楽しむための最低限のものは満たしててだから私はそれほど好きじゃないけど、こういう路線は大事だなと思っています。円盤ビジネスじゃなければ、全面的に支持したいです。TVアニメである必要すら無いです。私はオタク向けとしての先端の物が刺激を受けやすいです。それ以外の物はちょっとでも落ちるととたんに興味を失います。水準的にそれほど悪いと思っていません。夜のヤッターマンは失速した感じがありますけど。私はそのおかげでそもそも好みじゃないのできりやすかったです。自分の好みでアニメを満たしたら駄目だと思っています。そうじゃなくておこぼれを貰うって姿勢でいたいと思っています。本気になって評価すれば見続けられるレベルです。それが分かってるから作られるべきだと思ってるわけです。

私は多くの人に向けた作品って結局アニメをたくさん見てて新しい刺激を求めるような人と違うと思っています。自分には飽きて薄くなってしまった刺激で十分刺激になると思っています。私は飽きた心を満たして欲しくて深夜に刺激を求めています。だがすべての人がそれを刺激にするのはおかしいでしょ?間違いなくこれは好みじゃなくて、飽きたって私の心の偏りなんですよ。私は客観的評価をしないのですが、代わりに何が自分の主観を満たすのか?を客観的言語で解き明かそうとしています。そこから高い客観的視点が得られてると見ています。多くの人も飽きてるものは好きじゃないのは知っています。ですが、飽きるにはある程度数見ないと駄目です。実際デスパレードに飽きてるのは漫画実写からです。どことなく類似した作品を数多く見てて飽きています。アニメだけが何故飽きる事が重要なのか?均一な作品が数多くやるからです。次のポイントとしてアニメはそういった時代が持つ飽きをきちんと解消するように動くからです。実写などの一般向けはこれが弱い。何が面白いのか?ぐらい酷い作品が多発するアニメよりはデスパレードの内容は十分に魅力的です。デスパレードを見ていて思うのは、このレベルなら安定して作れるってのがあります。先端の今のオタク的な刺激はちょっとでも弱いと見てられないものが多発します。安定の中で飛びぬけた優れた作品を待てる安心感。これが私が一般向けを重視する部分です。この作り方ならこれを平均レベルとしてもっと上を狙える。ここなんですよね。夜のヤッターマン、デスパレードだけを見て話したら駄目だと思っています。王道や古典、基礎に忠実な作品って簡単には突飛な面白さが作れない変わりに安定感が在ります。自分の偏った主観を取り除いたら全体の平均なら一般向けの方が私は上だと感じると思います。底辺レベルの作品の誕生無しに質のよい作品が作れる可能性。それを重視しています。今先端のオタ向けって3振かホームランかって滅茶苦茶な作品つくりになるのが問題と言えば問題。

私は過度に変化を求めすぎて何故アニメを見てるか?の動機の部分でそれが強い。何故好みが出来るのか?で大体は偏った一部分を重視するので、他の刺激を軽視してしまうから。そっちがしっかり作られてもだからってあまり刺激にならない。これが一般向けとオタク向けの差だと見てる。5感で感じるのを、視覚だけに過度に特化すると全体のバランスとして作ってある作品に対して他が刺激にならなくて評価を落としてしまう。じゃ何故それに気が付いたか?本当に稀に温度差を発見するから。あれ私過度に変化を求めすぎてないか?って部分。その割にテンプレ作品とか見てるけど?これ違う。今の刺激に対するバリエーションを見てるだけで、それが古いって感じたら刺激が弱くなる。今のテンプレならみてられるけど、10年ぐらい前のテンプレはさすがにみてられないって感じ。だからってバランスの取れた評価はしない。だってきりが無いから。こんなものととのえても仕方ないし、究極の俯瞰した視点とかうそ臭いし…。評価と切り離して自己分析を客観的な視点に乗せてみるってしてる。

中高生の心理は難しい。明らかに分かる大人への背伸び。でも同時に上の世代の古臭さを嫌う。困ったものだ。これアニメをおかしくしてる。本気になれば中年だけに受ける創れる。ただそれでヒットするか?は別。中年だって新しい印象を感じるものを見たい人もいるから。そして最大の問題はオワコン化の加速。どう考えてもこれ矛盾する。だって子供の考える事だから基本ないものねだりなので。大人になってそれは無理だと分かるんだから。今までは辛うじてニーズにこたえてきたけど、もうこの方向性駄目だと診てる。大きな変化の無い創作への成熟をしないとアニメーションがだめになってしまう。アニメーション好きじゃないから逆に私は分かるんだ。アニメーションなんて価値が無い。だからこそ守らなくちゃいけないんだ。それにはアニメーションが持つ価値を上げる事になる。それは中身の魅力を低下される事になる。トンでも無い事話してると思う。こんな馬鹿な事話すの私だけだろう。わざと面白くないものを創ったほうが良いと書いてるんだ。10代の切捨て。もちろん10代を対象とした今の深夜アニメは残すべき。馬鹿なシステムは馬鹿な視聴者が合う。嫌な言い方だが、私は馬鹿になってみてるのを確信してるから。こんな馬鹿げたシステムにまともな大人は付き合わない。成熟した大人にあわせた成熟した創作と成熟した産業。その方が逆に新しいものを作れる。今やってる事は邪道の進化で、王道の進化は結局地道にアリキタリなものを創り続ける中でちょっとずつ進化するしかない。中身の進化が遅くなれば、変化の刺激が落ちる。これによってアニメーションの価値が相対的に上がる。そろそろ中年は気が付いてるはずだ深夜アニメが滅茶苦茶だと感じる部分を。

書く事が全く無い。総括見たいの思ったけど、所詮スナック菓子感覚以外褒められたものじゃない深夜アニメなんて。抜粋すればよいもの有る。だけどそれは私だけ。どうやって抜粋するか?で結局数見るしかない。平均点なら話にならない。私は評判のよいものが高確率でヒットする。それだけ数年後に見れば十分に楽しめるけど。上位の作品以外何がだめか?と言うと終ってる…。なんだろうよい作品が有るのは分かってるけど。そこがもどかしい。だからってアニメ自体には何も言えない。上位作品が面白いなんてどんな創作でも当たり前だから。元々アニメが持っていた成長期の魅力って一過性の物でそれは2度と味わえないわけで。創れば新しいものが出来ていた時代はもう終った。何を創っても過去につくったものと類似する。そういった時代に未だに子供っぽい変化を求めるしか生き残る道がないってのがイマイチ。簡単に言えば若作り。私はそれを楽しんでるけど。これじゃ過去アニメが持っていたレベルを維持する事は出来ない。今のアニメの方が完成度は圧倒的に上。でもそれは逆に言えば変化する余地がない。過去のアニメの方が出来が悪いのを指摘する人がたまに居るけど、そんなの余程のアニメ好き。普通はその時代の最高点を楽しめるものだから。そりゃ成長の余地がない方がレベルが高いに決まってる。そうじゃなくて、成長の余地が薄い実写と較べての成長の限界点のレベルが低いんだ。中途半端なマニア向けに対してオタクの数が増えたから一般化しただけ。日本のオタク率が高くなってかつその質があんまり一般人と大差が無い。その中途半端さがニッチ過ぎる。基本的には肯定してる私はスナック菓子を食べるような気軽な楽しみ嫌いじゃないから。ただこの先ってものを考えると明るい部分が当たり前にどんな創作もある上位陣だけだな。作ってる数に対して層が薄い。普通はこれじゃアニメ見ないって人を動かす事は無理だな。私と違って大体の人は多くの人が押す面白さを良さと簡単にはしないから。

深夜アニメは言語化しにくい。それはすべてじゃない。じゃあ一部なのか?本気で円盤を売ろうとするアニメは基本言語化しにくい。売れるアニメほど言語化しにくい?創りやすい作品って言語化しやすいから。創りやすい作品はすでにもう創られていて古典になってるから。だから売れるのは古臭くないものになる。それは簡単に作りにくいものじゃなくなってしまう。簡単に作りにくいものじゃないのに受け手には簡単にしか理解されるものしか駄目。これが深夜アニメが壊れてる部分。だから私はずっと円盤ビジネスに依存したアニメはだめになると書いてる。面白さを感じるときに簡単なアニメはある程度見慣れてる点がポイント。それ10代には可笑しくは無いか?これがおかしくない。これ10代だと対応できるから。私は書いた。創りにくいけど面白さはわかり易い。だったらそれを10代が吸収するのは簡単だから。何が邪魔をするのか?創りやすい面白さの基礎的な経験が邪魔をするから。簡単に言えば慣れ。経験があるから邪魔になる。いずれは、ゼロ年代の10代も中年になった時おそらくおいていかれる。結局は慣れが支配してるのだから。私だけが特別なのは、私はいつだって10代のように見れるから。別にそれは新鮮に見れるわけじゃない。単に10代のように頭使ってないだけだ。同時に中年として過去蓄積してきたデータから面白さの程度だけは計測してる。これは一瞬で出来るので。必ず多くの人が楽しめるものにならない乖離現象が発生する。どんな時代でも円盤ビジネスである限りそうなる。最初から多くの人=一般人を楽しませようとやっぱり創らないとだめなんだ。それがアメリカの作り方のマズさを抱える事になるが、それは出来てから抱える問題であって、そこが大きいんだ。出来ない人間には問題について話す権利すらない。どうせ成功してもアメリカの様に問題を抱えるからやらないほうがマシ。これ絶対に違う。今の日本のやり方がアメリカに対して優れてるのか?が微妙で、アメリカが今抱える問題をただ批判するのは馬鹿でも出来る。アニメは2方面展開できる余裕が業界に有るからやるべきで、根本的に一定の規模が必要な産業はそうせざるえないから。マニア向けにやるには金が掛かりすぎる。円盤を今の2倍にして成立するぐらいじゃなと駄目。

今の深夜アニメは評価者泣かせだってのがどうも伝わってない気がする。これを私の力量不足にもっていくのが簡単だろう。私もずっとそうだと思ってた。逆転の発想が自己正当化なのか?そう思わない。多くの人の感想を読んでいてもなるほどと思わないから。考えない人間を楽しませるのだから、意識的な刺激をあまり使ってないんだ。だからって無意識じゃない。そもそもそこにタッチするのは無理だから。無自覚な部分。面白い面白くないは誰でも判断できるが、何故なのか?を言語化するのはすごく難しい。特にそれを深夜アニメにどっぷりつかってないような外に向けた言葉にするのは困難。まずこの位置にたた無いといけないのに、大半の人間がすらすら書きすぎてる。何故私が書きにくい事を分かったか?外から見てるから。客観視とか一般化で絶対に必要な視点が抜けてる人間が大半。なおかつ、これをする人間は単純に批判しかない。内側にもぐって面白さを理解する人間が外の人間に理解できるように面白さを発信してる言語がほとんど無い。頑張ってやってみたが一人では無理だった。やるだけの事をやった成果が私のこれまでの日記になる。ちなみに評価は個人的に書いてる。正誤について、良悪について、好嫌について。この3つの違いから私はであることを書くだけの正誤について書いてだけなので、それを評価に書いても仕方ないから。私は良悪について書かない。評価は好嫌なので。好嫌と正誤の間に何故良悪が発生するのか?そのメカニズムを書いてるだけだから。価値とは集団が創る現象であって、それに絶対的なものなんて無いから。おそらく価値観の多様性が無い時代の名残だと見てる。これだけ価値観が多様化したら好嫌でやったほうが良悪さえも合理的なんだ。良悪って判断基準が使えない時代になってしまってる。だからって私は良悪に意味がないとは思ってない。その意味を正誤をベースに書いてる。正誤については科学的ではない、態度に過ぎない。価値を扱わないで作品と向き合うって態度。

多くの人に受けるってどことなく商品的側面があってそれでこの手の話しは嫌われる事が多い。ただ一部のファンにだけ向いてる深夜アニメの登場でそれが正当性を得ただけで、アニメファンの根底に商業的側面を嫌う面が出る。だが深夜アニメを見てて、どっちがマシか?なら一般向けの商業的面の方がマシ。この結論に至った。多くの人に分かりやすく作るここに独特のテクニックがあって、深夜アニメのどっちつかずの中途半端さがかなり不味い。深夜アニメはマニア向けに振り切ったような作品がほとんど無い。だってアングラなエロゲでも、特別大ヒットした作品しかアニメ化してないから。中途半端な人気でアニメ化したわれめてなんて、典型的なエロゲだからってつくりになってる。後半の面白さで勝負しすぎててそこまでたどりつくまでがあまりに酷い。アニメとしてのレベルでは低すぎる。たまたま私がああいうダラダラ学園部活動が好きなのでみてられるけど、私の自作小説を見れば私が何を好みかわかると思うから。自分で最近客観的に見られるようになって、これ駄目だとわかるようになってきた。私雰囲気が好きなんだ。時かけでキャッチボール以外をごっそり抜いても私あのキャッチボール好きなんだわ。でもそれストーリーになってないしょ?ってなる。客観的にはそれじゃ駄目だと分かる。ああいうのを面白さにするには相当工夫しないといけない。潜在的にあれ好きな人多分中年に多いから。ただストレートすぎるんだ。超名作って意味ではサムデイインザレインだな。あれ1話の完成度の高さ、全体の中での意味づけなど、何気ないある一日があれほど刺激的に作られてる話はアニメであんまり見た事が無い。その点あの花って上手すぎる。私中だるみって言われてる中盤好きなほう。むしろ号泣とか言われる最終回より、あの中盤の方が好き。あの中盤削って最終回に繋げたほうが多分ストーリーとしては上手い。でもアニメとしては私あの中盤の方が好きなんだよな。

話しずれたけど、大ヒットエロゲってどっちかと言えば一般化の面が強くなる。深夜アニメってそういったニッチ的意味合いが強い。アングラと一般の間を結ぶもの。この中途半端さがもうちょっときちんと一般化としての面白さを技術的に上げろって思うから。多くの人に分かりやすい面白さつくりってすごくテクニカルな面が強い。深夜ってこれ中途半端に努力してる。この中途半端さがどうにも煮え切らない。技術的に鋭さを全く感じない。そういった一般化のテクニックは深夜アニメの向上にも役に立つ。ただ今のままだと中途半端で切れが無い。まあ原作もちは原作がそうだからとなってしまうけど…。後は前書いてしまった、近視眼的にはあんまり一般化って価値が無い。長期的に間口を広く取っておくと衰退オワコン化を防いでくれるから。閉じコンとも言う。実を言うと一般化どうでも良いなとも思ってる。アニメーションって表現自体がマニアックだと感じるから。だから今の深夜アニメってこれが正しいあり方だと思うから。実際アニメーション表現のマニアック作品じゃないけど?商業的にアニメーションなんて対した価値があると思って無いから。ディズニーは?良く分からん。ディズニーって会社がすごくてアニメーションがすごいわけじゃないのでは?後3DCGだし…。3DCGってタッチの違いだけで役者無しでいざとなったら実写風にも作れるから。まだ完全には無理だから実写と融合してるだけなので。アニメとアニメーションは違うと思ってるから。アニメのあるべき形として今の深夜アニメって落ちるところに落ち着いただけだと見てるから。悪い言い方をすればなれのはて。良い言い方をすれば先鋭化。元々一般的に人気で食ってくようなメディアだと思ってない。逆に言えば過去がおかしかったし何度も書いてるようにTVアニメがすごいんであって、アニメーションがすごいわけじゃないと思ってる。大半TVのおかげだと思ってる。

仮想世界物に夢を見てたけど多分駄目かなと。正直どこかで見たような世界観ばかりでそれを分かった上で楽しんでいた部分があるけど、SAOみたいな本物に出会うとやっぱり浮き浮きする。ただ正直仮想世界物って現実とのスイッチみたいのしか無理かな。あれ没入感が薄くてどうも嫌なんだよな。SAO見てフルダイブ型の魅力に取り付かれてどうにかこれが発展しないか?と思ってたけど、せめて区切りをつけて一体期間はずっともぐっといてほしい。現実と仮想を切り替えることで創る面白さって何か不満。結局それに落ち着いてしまうのが分かってしまうから。これなら多分これからも残っていくと思う。でも仮想世界の限界を極めてほしい。仮想が面白くないのに現実とのスイッチをされてもごまかしにしか受け取れない。SAOが脱出をラスボス決めてやってしまったけど、この脱出自体をゲーム的に使えないか?と思う。作った人間との駆け引きみたいな。

イラッとする事が今の深夜アニメの面白さが分かってないおっさんに限って深夜アニメ面白いと言う人がたまにいる。ここじゃないけど。今の深夜アニメって一般的なドラマの感情移入による面白さってそんなに強くないぞ…。日本の実写ドラマがそうとう面白くないんだろうな…。別に私は実写で味わえる事はアニメでやるナとは思ってないし、むしろどんどんやるべきと思ってる。でも、アニメ特有の面白さ=漫画物語の面白さが分かってないのに深夜アニメが好きっていらっとする。本来実写ドラマとアニメの住み分けが出来ていたものを今アニメで盛んにやってる。アノ花が代表例だろう。これによって昔のアニメより今のアニメの方が好きだと言う人まで増えてしまった。私もどっちかと言えば好きだけど、正直大半の深夜アニメはそんなんじゃないぞ…。どっちかと言えば今の深夜アニメそれほどは面白くないって私が幅広く一番楽しんでるんじゃないか?と感じてしまう。私自身創作全般を区別しないで楽しんでる。でもどっちかと言えば実写に対して住み分けしたようなアニメが多いのに、実写ドラマのよう刺激を強く求めてるってなんだかなーって思ってしまう。私もアニメーションの面白さにはさっぱりだけど、それでもアニメの面白さは分かってるつもり。現実的な感情移入を重視するなら深夜アニメ平均的にはあんまり面白くないって結論になっても可笑しく無いんだけどな。そんな所にポイントがあるわけじゃないもん。そういう作品もきちんとあるけどさ。私がやってきた事が無意味なのってここにある。私って気が付かないけど、刺激になってるアニメ=漫画物語特有の面白さを主に扱ってるから。わかり易い感情移入って限られた作品にしか無いと思う。

深夜アニメを肯定してる中年って否定してる人間と根が大半同じ。私だけがやっぱ特異だな。スナック菓子程度の楽しさと割り切るなら十分に肯定出来るッテ意味で。好みって意味でこういう好みの人と話がほとんど合わなかった。結局10代って、本来中年が感情移入するようなものじゃないもので多分感情移入してる。だから私誰とも話しが合わないんだろうな。結局世代間のリアリティのずれがすべての問題だろうな。最初から私そんなの重視してみて無いから…。だからどの世代とも話しが合わないんだと思う。極論を言えば可愛いと感じれればそれはもうリアリティなんだと思う。それが中年円盤層と10代が繋がってる部分だと思う。そして私だけがリアリティを重視してみて無いからアニメ的人形遊びで楽しめてしまうんだ。どの世代とも会わない独特の視点。評価自体は正確だと思う。根本的に萌えって高度な人形遊びだから。ただその視点でみたらリアリティは無い。まあ萌えだけじゃない。他にもアニメ=漫画独特の実写とは差別化された面白さに反応してる。

すべては多くの人はリアリティを求めてるって点。それはリアリズムじゃない。だから多くの人で些細な感覚の違い経験の違い。そして最大の違いは世代の違いで生じるリアリティが違う。このリアリティの違いが多くの対立を生んでいる。私はアニメにあまりリアリティを求めてない。一見私は10代と変わらない好みで見てる。でも私と話が合う10代は居ない。理由は彼らが自分達のリアリティの中で深夜アニメを見てるから。それは正確にはゼロ年代の10代なのだが。私の意見は俯瞰した視点。自分ではかなり適格だと思う。でも一つだけ以前から気になっていた。私には今の深夜アニメの大半に強い感情が無い。それは何故か?私にとってのリアリティのあるアニメは80年代のアニメだからエヴァですらない。何故今の深夜アニメは実写的なドラマを乖離していくのか?そして今でも実写的ドラマのリアリティも同時にアニメは確保している。特別なリアリティの生じ方は一般的なリアリティを生じさせるための作品つくりと違う論法で作品を創ってしまうからだ。その一つは萌えだろう。そしてゼロ年代の10代は、オタク的リアリティと一般的リアリティの両方で生きてる。彼らはそれが別の物である事をおそらく知らない。ノイタミナの君嘘と冴えカノって両極端なリアリティが混在した2作品だと思う。この2作品の色の違いぐらいは区別つくと思うけど。

リアリティとリアリズムを分けたほうが良いのは、私は結局活動の根幹の下らない言い争いが嫌いだから。多くの人はリアリティをリアリズムとして使ってしまっている。現実感。私はリアリティは実感に近いと思う。客観と主観。以前から書いてるが、リアリズムを頑張るなら人間を出さないほうが良い。川の流れでも写してろとなる。そこで分かるのは、リアリティはその物語世界に対する好意のようなものが混じって無いと意味を成さない。リアリズムの徹底では距離感が出来てしまう。この視聴者と作品との距離感を生める作業こそリアリティになる。自分とは関係が無いフワフワした生きてる感じのしない世界。それが実感の重要性になる。これは現実でも同じだある日突然何故自分はここに要るのか?と言う疎外感を感じたときそこには実感が無いから。人によってリアリズムをさしてるのか?リアリティをさしてるのか?が分からなくなる。主観的な自身の現実認識それがリアリティになる。それはここによって違う。他者と話す時は出来る限りリアリズムを軸にするべきで、それはすべての事を人は知る事は出来ないので、限度が有る。そこで初めてリアリティの登場となる。互いのリアリティのすり合わせ。ここで相手は間違ってるとなるからおかしくなる。それはリアリズムの土台であってリアリティの土台じゃない。それでも共通認識と言うのが有るだろう。だがこれも絶対視しなければ使えると思う。だがそれさえも私は世代で微妙だと思ってる。

特にそれを強く感じるのがロボット。あれは宗教に近い。子供の頃に刷り込みがされてないとリアリティのある存在になら無いと思う。ロボット自体が現実に溢れれば変わると思うが、それが巨大ロボットであるとは限らない。それが逆に巨大ロボットとかけ離れたものならまず無理だ。これはあくまでわかり易い世代間の指標として使ってるだけでいくらでもあるだろう。なんでもかんでも世代間にするのは短絡的ではないか?そういう意味じゃない。逆世代間の相違が根底にあるのに当たり前の様に共通認識が有るとして価値観の対立の議論があっても、多分まともな話し合いにならないから。誰かがすべての価値の外から価値自体を見る必要が有る。それはやはり年長者の役目で、それを逆に自身の価値の正当化に繋げては本末転倒だと思う。私は正直に自分の80年代賛美はかなりの部分バイアスだと思ってる。完成度と創造性の取り違えってのがあって、完成度は後の時代になるほど高いのが当たり前。だから今のアニメの方が優れてるんじゃない?って実は素直に思える。かつアニメには過去子供を対象に作ってた時代が長くてそれと大人対象のアニメが同じ意味であるはずが無い。いくら優れた子供向けがあっても子供を対象にした作品より大人を対象にした作品の方が大人にはアドバンテージがある。実際はティーンエイジャーが基準だけど。私が客観的に80年代アニメが好きなのは創造性なら80年代の方が上だと思うから。後の時代は完成度に向けて変化が小さくなったと見てる。0から作り上げたら当たり前の事で、しかも実写小説を元ネタにアニメにしました。初めてのアニメ物語ですって理屈が成り立ってた時代だったから。こりゃ卑怯だよ…。作り手に差があったのか?だと数名を除いて後は疑問…。馬鹿でも創れば新しい時代に能力なんているかいって感じ。私がデスノートに最高を打ったのは、この時代だととんでもないなと思えるのもある。

あんまりそれを加味しないようにはしてる。私は頭で考えた価値を評価にしたくないから。逆にそれって感性が鈍ると思ってる。純粋に自身の感情の自己分析だけを評価文でやってるだけだから。客観的な価値とか絶対にしない。感覚的で直感的なものにわざとゆだねるようにしてる。ただ普段考えてるのは、そういった思考が頭の中でとけこんで直感的に混ざる分にはよいとしてるから。意識的な記憶スタックに溜め込んだ言語操作による評価はしたくない。感情が示すものをなるべくダイレクトに味わいたいから。知ってる事と評価する事を分けてるから私は分析って作業を別においてる。だから私の評価文は間違いだらけだと思う。でも意識的に分析した評価を書くのだけはゴメンだ。そんな評価するぐらいなら評価なんてやめる。そもそも私は感性を磨く事を重視してて、評価において理性はそれに劣ると思ってるから。まず言語的な縛りをおきすぎると人間の個性が単純化されすぎる。どれもこれも似たような評価人間になってしまう。わざと出鱈目を呼び込むようにしてる。まるで量子的存在のようだが定められない不確定な自分で常にいると言うこと。デジタルな確定をしない。おそらく世間の常識とは180度逆だと思う。基本的に私は天邪鬼だけど、直感でこれは誤りだと思うものに意固地にはならない。自分でこれ悪く無いと思ってる。創作評価において理性を積み上げるよりも感性直感を鋭くしたほうが価値があると思ってるから。それは創作が感覚的な土台の元に立ってることだから。スポーツなら簡単だ体に覚えこませるって事。

私って本当に変わり者。困ったものだ。私って能動的で芸術肌でクリエイター気質で作家気質。なのに受動的視聴者に媚を売る娯楽アニメを重視してる。アニメのあり方ってのを考えてる。私みたいな気質の人間は語りたがる。表現者ってのは気質だから。私がオタク気質じゃないのは、まるでマニアックさが無いから。だから私はオタク気質の語りたがりとは合わない部分がある。具体性がさっぱり無いからね。私はこの現状がアカンと思ってるんだ。アニメって馬鹿と馬鹿になってみる低俗さが良さの部分が有るから。確かにアニメの中から選べばそういった能動的人間を満足させる優れた作品も有る。でもこれ成り立ちが問題なんだ。それらは別個に存在するんじゃなくて、低俗さの中から選ばれた一握りの物で、別個に作られた作品は間違いなく消えていくんだ。私はそれをすぐに見抜いてしまう。アニメは考えさせる事と減らしたり、熟練した錬殿高い視聴者による楽しみを否定する部分が有る。それを分かってない人が自分の気質をそのまま出してアニメを評価してしまう。郷に入っては郷に従え。それが私の主義で、私は不自然な形で楽しむ事はほとんど無い。アニメの低俗さから抜け出した作品は単に両立出来てるだけ。片方だけの作品は消滅する。

マリアを見ててモヤモヤするものを抱えてる人間はすぐ分かるはずだ。あれは実写的にギリギリ成立してるから楽しめるけど、限りなく考える小説的楽しみに近い。それを過度にやらないからみてられるマリアの魅力はバランスだと言い切ってしまえる。だが小説的にアニメをすぐに楽しめる人は気が付かないだろう。アニメを見て楽しむから読んで楽しむになってしまう人。残念ながらアニメの評価をする人で語れる人はすぐにこのアニメを読んでしまうほうに言ってしまう。悪口を言うとこんなに語れる俺カッコイイような自己満足人間がこういうタイプには多い。私は語る事に主眼が有るんじゃなくて探究心の副産物が主なもの。だから私は公開にこそ自身の自己顕示欲を強く感じてる。語りにはあまり感じてない。基本独り言の部分があるから。こんな面白いもの見られる受け手は幸せだなと自身の個人的価値観でマジで思ってるから。マリアに対してモヤモヤするのは、強い刺激を定期的に突っ込む漫画の手法がほとんど使われて無いからだ。それは大人向けの実写でもドラマなどでやってる。漫画はそれがドラマだけに限らない。マリアを見て面白くないと思ってる人は多分アニメ慣れに対して物足りないんだと思う。でも周りの人がこれを分からない人間は馬鹿だと決め付けるから中々言えない。そしてその人自身もアニメは高尚なものだと思いたいなら多分言えない。自身が強く感じたアニメが高尚なものだと誰もが思いたいから。正直それやめて欲しいと思ってる。私は単純な刺激に溢れた幼稚な味のお菓子をわざと食べてる。私は過去そういったアニメ高尚という勘違いの時代のアニメを数多く見てるから。それが失敗に終わることを知ってるから。

大半の評価者は小説系と実写系ばかり。私の様な漫画系って一人も見たことが無い。しかも私は漫画の中の小説、実写以外の漫画らしさの特化で攻めてる。アニメなんだからアニメーションでは?駄目駄目。日本のアニメが何故アニメーションじゃなくてアニメと海外で呼ばれてるか?分かれば、中身と融合した大きなものがアニメであって、アニメはアニメーションじゃない。アニメはアングラな漫画文化の上澄みを取ったような部分がある。私は以前からアニメーションをきちんと表現したいなら中身を漫画文化の面白さに頼るの辞めろと書いてる。これはアニメーション製作へのムチじゃない。実はこれ飴なんだ。誰も漫画文化の面白さを前面に出すとアニメーションの価値なんて見ないから。アニメーションの価値を前面に出すには実は漫画部分を押さえたほうが良いんだ。アニメが面白すぎるからアニメーションが面白くないんだ。わざとアニメとしての面白さを落としたほうが良い。そうでないならアニメーションは絶対に従の関係以外成立しない。それは日本のアニメーションがもうアニメとして定着してしまってるから。アニメはアニメーションの事を指さない。

実を言うと私は自分の性質からアニメが好きじゃない。だって知的じゃないし、訓練を必要としないから長い目で見て楽しめない。本来私の様な人間はアニメを楽しめない。私は人間には能動的な人間と受動的な人間が居て受動的人間って大体多数派になってしまう。ようするにどうすれば受けるか?って受動的な視聴者の気を引くために媚を売ったほうが良いんだ。大衆をコントロール技術として私は割り切って楽しんでる。私は楽しんでるんじゃない。楽しまされてる。アニメはサービス業だと思ってる。私は本質的には楽しむ人間で楽しまされる事に我慢できない。ゆえにこの活動が有る。多くの語りたがりの人間は能動性をアニメそのものに向けてしまう。これがずれた評価の連発になる。悲しいが優れたアニメマニアほどずれた評価をしがちなんだ。これは好みとは言えない部分がある。能動性とは衝動的で突き動かされるもので自分がそのタイプだと気が付いて無いと、エネルギーのはけ口を知らず知らずに求めてしまう。本当にこれ好みなのか?って思ってる人は多い。オタクの成れの果てって大体おかしな方向に言ってしまう。簡単に言えば能動的人間はアニメでは決して満たされない。その欲求不満がずれた価値観を形成してしまう。早く気が付けば良いのだが、無理矢理アニメを高尚なものとして自身のエネルギーのはけ口にしてしまう。私にとってこれはガス抜きの様な活動。私はそういった歪みが好きじゃない。私は捻くれものだが、根っこはすごくシンプルだと思う。不自然な楽しみ方が嫌いなんだ。ある程度目の超えた人間ならアニメーション表現は高尚な価値はあるのかもしれないが、アニメには無いぞ…。実写でさえギリギリレベルの高さが成立してる程度なのにましてアニメをやだ。実写はアニメに較べて考えさせる事を要求するから。本当に僅かな差なのは大量のB級アクション映画がそれなりに成立してる事から絶対じゃない。

実写と漫画って点で、限りなく実写に近い少女漫画でさえも漫画の手法がとられてる。台詞が詩的で大げさ。これは四月は君の嘘でも使われてる。受け手がどれだけ抵抗してもその抵抗が実写ほどじゃない。これを年齢のせいにだけはしてはいけない。基本的には慣れ。当然年齢はかなり重要になる。ただもっと言うと慣れだな。この慣れが独特の世代間ギャップのリアリティの相違を生んでいく。自分の中の違和感が壊れてしまう。これが漫画独特の面白さになる。アニメーションと漫画は違う。アニメーションは漫画より実写に近い。それゆえリアリズムが漫画より重視される。だが漫画の実写化の何倍もマシになる。キャラデザだけじゃなくて、作品の中身がすでに漫画ってずれてて、わざとそのズレで面白さを創ってるので、それが違和感と言う不快感にしかならない実写が向いてないのは当たり前。そういった漫画的刺激の少ない原作を選ぶか?または、漫画的刺激を抜いても成立するような作品を選ぶか?コメディ色で誤魔化すか?そして、最後は奇跡的に漫画的刺激が実写で違和感をあまり生まない作品が出来るか?などになる。漫画と実写はリアリズムだけで違うわけじゃない。長い漫画の歴史の中でこの違和感の少なさを利用した特殊な刺激が数多く生まれて進化してきたから。アニメが何故アニメーションじゃなくてアニメなのか?これは特異な作品つくりだから。それをファンタジーだけにあると思ってたら大間違い。だから京アニのコメディは独特なんだ。現実的舞台でもアニメ的な刺激だとすぐに分かる。ここが萌えに繋がっていく。当然キャラの可愛さも現実的なものじゃないものがどんどん生まれて進化していく。萌えをただ現実の女の子の可愛さの延長で見てると分からない。冴えカノと君嘘の違いってそこに有る。リアリティではどっちも成立するが、リアリズムでは冴えカノは成立してない。君嘘はリアリズムの土台で生き生きしたキャラを描いてるが、冴えカノはリアリティの土台で生き生きしたキャラを描いてる。受け手の中の主観の共通性によって多くの支持になってるだけ。

クールジャパンが深夜アニメの段階になってオタクの輸出にしかならないと見ていたのはここにある。深夜アニメの中で先端の物は、受け手の主観の共通性によって成立してるんで、その土台が無い人が見てもイマイチ面白みにかける。リアリティが生まれないんだから。そもそもアニメが国民的な楽しみの日本の中でも一般化してきたと言えまだまだ一部の人の楽しみの物を外国人に幅広く楽しんでもらえるわけが無い。私が何度も一般化を重視した商売を考えるべきといってた来たのは、やがて先鋭化された楽しみは先細りになって行くから。近視眼的には今のやり方に落ち度はないが、遠い将来先細りになってしまう危惧がある。アニメが売れようがどうでもよいだろ?私は子供の頃から楽しんできたアニメが綺麗さっぱり消えてしまえばよいと割り切れるほどノスタルジーの無い人間じゃない。私が売り上げ至上主義じゃないのはここにある。売り上げからこれでは不味いと思ってるからだ。売れる事以外にも価値を置いてるからこんな意見を出せる。クールジャパンの失速は大体分かってた。政府は多分10、20年遅れたセンスだからだと思う。いつもの事だから。

正直私の話しはわけが分からないだろう。客観性を書いた主観性の強い論理の大半は当たり前の共通性による組み立てに過ぎないから。その当たり前にメスを入れる人間は無知の馬鹿としか見られない。マリアの異質さに気がつくのは私だけだろう。中年のアニメ視聴者で当たり前の様に小説の様にアニメを見すぎる人間が多すぎる。後は珍しいから刺激的に鳴ってる人間とか。小説的な面白さとは考えて読む面白さで、実際一般的にストーリーが面白いのは先が気になって止められないになる。大半キャラのドラマと展開の刺激こそがストーリーの面白さ。特にアニメ的にストーリーが面白いで全体の筋が面白いって滅多に無い。ストーリーの面白さって一番メスをいれないといけないここがあまり触れられなくて、漠然とストーリーって触れられてしまう。アニメにとって何が一番駄目か?で退屈を作る事。退屈さえ避ければアニメって最低限見られる。どれだけ全体の筋が面白くても途中で読みたくなる欲求が強く生じないストーリーって退屈で仕方ない。だが小説ならまだ見れる。アニメは受身になって楽しまされれるものだから駄目なんだ。能動的に読み取っていく作業が無いから。人は能動的になればなんでも面白い。だがアニメは能動的にさせるようなものが弱い。それは何故か?小説はすでに手に取った瞬間から能動的な行動の一貫だから。小説を読む自体がすでに敷居が高い。多くの考えて楽しい作品は、考えさせるように仕向ける工夫が有る。能動的になるようにコントロールされてる。これが受身の人間をそのままの状態で能動的にさせる良いストーリーになる。アナザーの誰か?などをキャラ達と同じ目線で気になっていくのはそれが上手くできてる。

馬鹿な受身人間は能動的人間に支配されるから。大半正しい事より口が上手い事が優先される。私は大半の話が面白くない。中身がないのに、読みやすさばかり優先の詐欺師ばかりになってしまったから。能動的に読める人間が減ってしまったので、受動的に読む人間に合わせた話が多くなってるから。でもアニメみたいな馬鹿で低俗なものの視聴者はそうなるのでは?実は私自分で随分前から矛盾だと思ってる。私はアニメ馬鹿にしてるけど、こういうのが嫌われるって分かってる。私って下らなくて低俗だから面白いって書いてるけど、こういうのが伝わらない。誰でも自分の楽しみは趣味が良いと思われたいから。でも私は誤魔化すなよって思ってる。そういうごまかしから本当の価値なんて見えてこないよ。全体の話の方が分かりやすくて支持される。だからストーリーと言うと全体の話の読み込みの深さばかりになってくる。あほくせー。アニメ分かってない馬鹿に踊らされて本気でうんざりする。ああ駄目だな最後だからだろうな多分本音丸出しで話してる。一応気を使ってきた。でもやっぱ腹立つわ。私詐欺師に対してまともに話せないから馬鹿だと思われてるから。私って騙されないからそいつらの方法取るわけ無いから。私のやってる事は間違いなく矛盾だけど、この矛盾でしかまともな事言える人間って居ないんだ。自分にとって口当たりのよいものって大体コントロールされてるから。詐欺だってそうでしょ?サービス業はそれがあくどくないだけ。知らない間に赤ん坊にされてあやされてるだけだから。退屈しない事を主眼に置いたストーリーの良さって結局ほとんど広まらなかった。もっと言うとまずストーリーで見るべき点はそこなんだ。そこに1話から注意してる書き手はおそらくアニメのストーリーテーラーとして優秀だから。

愚痴っぽくなるけど、やっぱ私馬鹿にされてるの不快な部分があった。誰にも出来ない事してるのに劣ってるって見られるってすごく不快。誰がやっても落ちる壁に上ってて落ちて笑われるってすごく不快だな。ならお前が上ってみろよ?って怒りが有る。だから受身な人間って嫌いだ。笑う事が能動性になってしまってるから。自分でこれ難しいだろうなと思ってやってる。なるべく簡単な事からこつこつと思うからきちんと感想も書いてる。それでもやっぱり突っ込んでしまう。何故誰も手に付けないのか?すごく不思議にナル。基本は私10代の楽しみ方だからが大きい。その10代がこれまた受身人間だから私のいう事が分からないからな。自分に誰に向けて書いてるのか?で、私と似た好みの中年。これが居ないんだわ。中年って見事に好みがばらける。もうアニメ見るのやめたら?って思う様な人多すぎ。頭の程度落として疲れない見方しようよと思う。オタクってそれが駄目。アニメなんて土足で踏んづけるような横暴で雑な見方があってる。それで楽しめるように作って有るのだから、ある意味作法と言っても良い。次に鋭い10,20代に向けて書いてる。これが中々出会わない。経験を補える鋭さ。そんな奴アニメ見ないわってマジで思う。

愚痴ばかりじゃだめだ。正直その気力すらない。何の意味もなかったって思う馬鹿馬鹿しさが合って書いてる。自分では面白くて多分その同じ感情が連鎖したら突破口が出来る。外に向けた言葉にしていくこれが出来なかった。感覚を理解するものだけに通じる話。そもそも同じ感覚を持たない人間に説明なんて出来るのか?それさえも分からない。例えば実写で監督の演出と言うものがある。様々な刺激を使ってそれを統一する。この時実写はリアリズムが土台になっててそこに監督の色付けを少しぐらいする。だがアニメは違うんだ。それがちょっとずれてる。だから困るんだ。個々の感覚が拡散されてしまうんだ。何かの刺激を受け取った時に、その刺激を各々が違ったように感じてしまう。これがアニメは置きやすいんだ。だから明確な言葉にならない。もやもやしたものをずっと感じる。それは監督がわざとそれを作ろうとしたらもうお手上げだ。アニメでも実写的に撮ることはできるから。実写の経験をそのままアニメに持ち込んで語れる人は楽だろう。だがアニメはだめだろうな人によってはこのもやっとした得体の知れない刺激を多分作ってしまうから。だって個性的な刺激が簡単に作れるから。しかしだ、それは漫画からすでにコアとしてある。アニメにはそのためのコアとなる物語が無い。出来るけどそれは自分で作る必要があって、これを面白いレベルで創る人が苦しい。いくらアニメ独特の刺激と言う武器が有るからといっても基本的にそのベースとなるのはやっぱり物語だ。ただ私は京アニのアニメを見てて、アニメの方がもやっとした独特の面白さが強い。京アニはそれを良く分かってる。京アニは軸となる物語が弱くても独特の刺激を作るのが上手いんだ。アニメの方が漫画やラノベよりその辺り様々な刺激で強引に作り上げれるのを良く分かってるから。

京アニが実写とは違う独特の物を持ってるのはコメディになる。それは氷菓とか見ればすぐ分かる。シリアスが強いと京アニは普通に実写的になってしまう。特に分かりにくい面白さじゃない。サザエさんを代表としてアニメのコメディには独特の物が有る。京アニって自分でもイマイチと評価した原作でそこそこ当ててきた。それは京アニがコメディベースで独特のアニメワールドの刺激を作れるのを知ってるから。あれはもうファンタジーだと思う。京アニが凄いのはそこになる。ファンタジーを使わずに非現実的な空間を作ってしまって、それをそのまま刺激にしてしまう。コメディだから当然普通とずれた世界になるのは当たり前。笑いとはそういうものだから。ただそれを実写でやるともちろんコメディである分マシだけど、それでもやっぱり何か違う。特に違うのはキャラデザとその表情と動きになる。非ファンタジーで日常舞台にしながらファンタジーの様な異空間を作ってしまう。それ実写でも出来る。でもおそらく実写だとイマイチだろうなと思う。根本的に日常を舞台にするのに、どこか非日常的な空間にするって何の得も無い。じゃなんのために?おそらくそれがコメディとして成立した世界になると機能すると見てる。そしてたまに混じるシリアス。これが最大のポイントになる。シリアスとコメディの切り替えも大事だし、他にも実写だと辛うじて成立していたコメディもシリアスを混ぜた瞬間に壊れる。シリアスだけはどうしてもリアリズムの土台が重要になるから。ただそれだとシリアスためだけにアニメのずれた空間は使えるのか?となってしまう。むしろコメディだと思う。そこにシリアスを容易に混ぜられる強み。大半のラノベはガチガチのシリアスで作ってない。だからリアリズムのずれた空間はものすごく使える。

中途半端、嫌気が指してやめるわけでもない。かといって対したアニメにも情熱も無い。微妙な感情で思うのは何かもう面倒になってきたって感情ばかり。残ったものも何も無い。やりきったと思ったけど、今後私が居ない間に誰かが刺激を受けて何かしらの発展なんて0だと思う。だってそんな事あるなら私がいる間にあったはずだから。なんだったんだろか?そういう馬鹿馬鹿しさがこみ上げて、最後は何もかもが面倒になってきたとなる。まあ良いや最後だからって何か書こうとしててそれがもう馬鹿馬鹿しくなって面倒だって気持ちばかりどーせ何の価値も無い文章しか残ってないって他人にはなるだけだし。いざとなったら切れて全部消したくなるほどの感情すらある。それでも0%に近くてももしかして?と思うから。今後小説だけ上げたりとか、評価とかあるかもしれない。ただもうそれって公開って目的しかない。活動じゃない。何かの目的に向かって今まで流行ってたから。

私がこの数年で変わったのって作家性と娯楽性の明確化とそれに対しての娯楽性重視、そこに関連したアニメを作品としてではなくて商品としてみる見方になる。芸術活動と産業って両立無理だと思う。商品の性質を持ったままその上の芸術性の追求なんだと思う。昔の日本の工芸品ってこんな感じだから。それ以外は芸術活動って金を捨てるようなもので良いと思う。金持ちの道楽。後は短期刺激重視の見方。他は深夜アニメに対して一般向けとオタク向けでものさしを2つ作った。これ楽しみ方は同じ。どっちも適当に見る。一般向けで面白さが高い奴は勝手に気合入れてみるからしっかり見てしまう。間の時期ってのがあって、子供の頃は適当に見てた。間の時期にどうも何か文句言いながら一生懸命見てた時期が有る。ここを抜け出して今子供の頃思い出して適当に見るのを強めてる。元々間の時期もかなり適当だった。だけど、どこかアニメに対して構えてみてた過度な期待の持ちすぎ。ハルヒのせいだろうなと思う。アレクラスをずっと見れると思ってた。その時期コードギアスもやってて、この2つで深夜アニメ黄金時代だった。これ感覚がずれてしまった。後から分かるけど、あの2作品深夜アニメで上位の作品だと思う。後から分かるんだよな。ここでハルヒとシャナで萌えってのを覚えた。良い時代はまったな。子供の頃もっと適当に構えず見てた。あの時の感覚で見出したら、ああこっちが本来のアニメの楽しみ方だと良く分かった。アニメに構えて期待しすぎてみたらあかんわ。根本的な変化は高いレベルの作品に出会いたいって期待で見る事。これを一切やめた。そういった期待をやめた。これをやめたら少し面白さが変わってきた。そこで気分転換で見るって見始めるとがらっと変わってしまった。

何故この勘違いしたか?と言うと、当時アニメ見てなくて、中年で再開。これ結構居ると思う。んでそののめりこむきっかけがハルヒとギアスだった。んでそこから過去の私が見てなかった時期の90~00年代の名作を見ていったら、アニメすげーってなった。考えれば分かる。それはアニメが凄いんじゃなくて、私が溜まりまくった何十年分の名作貯金を下ろしてしまっただけなんだ。どこらへんで気が付いたかな…。あんまりおぼえてないな。多分このサイト来てから数年も経ってない。ああ馬鹿だこれ同じ事期待できるわけじゃんって。特に私は評判の高い作品で外す事がほとんど無い。私は好みの癖がほとんど無いから。だからその貯金を下ろしてるときとそれを使い切った後の落差はすごかったな…。深夜アニメをリアルタイムで見始めて数年たって徐々にずれに気が付いてきた。考えれば分かる事だ。アニメあんまり面白くなかった…。それどころか、深夜アニメってかなりひどい。子供の頃って一応アニメ化される原作のレベルがあった。その底が抜けてるもんな。おまけに徐々にオリジナルがつまらなくなってきた。そりゃそうだ。おそらくだけど、アニメバブルで作ったら売れる時代に原作もちを大量にアニメ化して、つまらないオリジナルを作りまくって。これで創る事の出来るアニメ製作者がほとんどいなかった。元々ファンタジーが好きで日常作品が嫌いだったのもある。段々期待しなくなって好きになっていったけど。ギアスハルヒの頃の見方とがらっと変わってしまった。アニメに高尚なものを求めるのを嫌ってるのは、過去の私自身の勘違いから。

結局不満で終ってしまったと思う。当初の見通しが甘かった。そりゃそうだ。私の見方ってまるで特別な見方じゃなくてむしろ今の深夜アニメならこっちの方が当たり前だと思うから。オールドオタってアニメに変な期待しすぎる。そりゃ誰だって期待するけど、その方向性が変なんだ。語るってそういう人しかしないんだわ。ここなんだよな。楽しみ方は多数派のはずなのに、その視点で語るのは少数派。だって私の見方って典型的なサイレントマジョリティだから。ただし中年に限る。若い人は同じ見方でもっと熱気があると思う。それでも語り方が多分違う。もっとコミュニュケーションが前に出るものだと思う。ズレなんだろうな。ずっとおかしいと思ってた。自分の楽しみ方がここでは少数派なのはここは根本的な楽しみ方が古臭いんだ。アニメにそんな価値とっくの昔から無いわ。だから自分が多数派なのだからいずれは理解されると思ってたけど、そもそも普通ここにこないよな…。別の場所なら?無い。そんな場所無い。話さない人はとことん話さない。私も分かるけど面倒なんだ。私ずっと思ってたのはただ読む側に回りたいって事。私自分が呼んで面白い話が無いから書き手に回っただけで、本当は読むほうが良い。だって楽だから。コミュニュケーションと語る事って根本的に違う。恥を晒さないといけないから苦痛を伴うから。正直言えばこの活動を終わりにするのは中途半端だという思いと、せいせいするわって思いもある。苦痛ばかり多くて、どーせ大半の人間にとては何の関心も無いんだから。

このサイトの最大の問題ってHNの品定めが最大の関心ごとって事。もう中年がアニメ見るってやっぱ無理があると思う。だから自然と人間ウオッチングばかりに関心が言ってしまう。そんなの自分の周りだけでやってくれ迷惑。エネルギーの向かう先がああそこなのねって分かるからここと関わってるだけじゃないの?って見てる。評価に関心があるんじゃなくて、評価する人に関心がある。でもそれ中年なら自然な姿。もうオタクとして終ってるんだよな…。オタクってのはオールド場合そういった世間の好みとのずれが成立させてたのに、結局世間と同じで人間関係しか興味が無い。年を食ってオッサンになった自分を認めて若い頃の様なアニメファンじゃなくなってると自覚したほうが良い。オタクじゃないただのオッサンになってしまった。じゃあ何が突き動かしてるのか?ノスタルジーと残滓じゃないの?全くの私事で不満があっても自己満足が8割占めてるから多分個人的なものがなければやってた。それでも不満があったのは事実。何もかも係わり合いを消したいのは、それがある。本当なら評価もHNもすべてけして消えたい気持ちも有る。ただ残してきたものは純粋に自分で面白いから。いつか新しい人が来たら関心を持って欲しいとは思ってる。どうやったところで1割も係わり合いは残らない。でも1%ぐらいにそれを落としたいのは、このサイトのそういった部分に未練が無いから。1%も補償してない。その1%の評価をしにくるか?正直分からん。

まあ良いや。それ自体はもう2,3年前から整理が出来てる。そういうの無視して自己満足でやっていこうと思ったから。その時から今の気持ちは出来ていたんだと思う。一応そういうの言わないでスルーしてきただけだから。自分から突いてかかわりたくなかっただけだから。今ならつついてももう係わり合いないから気楽に書いてる。正直どうでも良いなと思うのは、かなり前からどうでも良くてやってるから。私としては評価として統一してやりかっただけで、この場所に対する意識は0に近い。ほとんど個人のHP扱いでやってたから。大半の人間にもう随分前から関心が無い。徹底的に無視してるように無視した相手の日記は全く読んで無いから。正直引退ってのは一部の自分の日記に関心が合った人に今後更新無いから見ないでって意味が大きいから。不定期連載じゃない。ほぼ完結。

やめよう。先ほども書いたとおりそれはもう2,3年前に終ってる。愚痴ってのは嫌でも逃れられない時に出るもので、係わり合いを切る自分としてはそんなものありはしない。単純に書く事が無い。愚痴すらない。私は絶対にHNは消さない。自分のやった事に意味があると思ってやってるから。私自身のHNの品定めって結局リアルタイムの行為があってなりたつと見てる。私の過去やった意見は誰にもそういった連中には関心をもたれないって知ってるから。その時点ですでに私はどうでも良い関わり合いたくない連中だと強く思う。だからHNを消すって無意味なんだ。HNを消すほどでカジマさんだけで話すけど、あまりに嫌いですべて消したいって意味。自分の息のかかったものを嫌いな連中の中においておくのも嫌だって点。そういうのは一切無い。だって実害が無いと冷静に考えてる程度の嫌悪感しか無いから。カジマさんは生理的に嫌いだと近いことを私に言ってたので、まあ私も好きなタイプじゃないので関わらないのだが…。HNを消すというので一番わかり易い例の人なので。私の場合残すという行為こそ意味があって。それはもう2,3年前から変わってないのでその延長でしかない。ただ引退と書かないと、どーせまた来るでしょ?と思われるから。いやそれならそもそも1ヶ月に1、2度しか書き込まなくなった最近はすでに引退に近くなってる。だからそのレベルじゃないからって意味で書いてる。マジで期待を持って欲しくないんだ。すっぱり私の事忘れて欲しいから書いてる。私のやりタイ事は現時点では全部出来た。だからそれが残ってるから私はもう良い。HNを消すってのはこの価値を消してしまうのでどれだけこことの係わり合い消したくてもそれとこれとは違う。そこまで嫌悪感強くない。それなら2,3年前にすでにHN消してる。

仮に私が評価を未来にしたり小説を公開したりしても、それは私が過去求められていた私の役割じゃない。日記の拍手と評価ってあんまり被ってない。当然小説なんて皆無だから完全に閉じた自己満足だから。しかも仮に私がこのサイトで投稿するとしたらの数少ない可能性に過ぎないから。私このサイトとHNとして係わり合いを切りたいんだ。それを、どうも分かってない人に向けてあまり書き込まなくなるからじゃない。本来ならHN消したいぐらい消えたい気持ちだから。私の場合過去HNを消した人と事情が違うから消さないだけだから。アニメの定期感想を書くって得がないなら私はこのサイトと距離をおきたいんだ。それ以外100害あって1利無しなので。日記は定期的に楽しみにしてもらってる人を感じたけど、私評価はすごくばらばらな人の推薦が多いと感じてる。それは私の評価に期待してる人がいないと思ってる。それは私が今後評価を投稿しても私のHNの継続性は無いと見てる。一方通行の自己満足でしかこのサイトとかかわりたくない。メリットがないなら不快感ってデメリットが多すぎるから。数人楽しく話せた人が居るのは確か。これに偽りは無い。でも、そんなのデメリットに較べればメリットと言えない。すべて係わり合い切りたい。

2chの駄目な部分って悪口言ってストレス発散だと思う。あそこ下らない。だから欠点をまず言うんだ。つまらん作品って前から書いてけど、おもろい部分がない作品だから。欠点よりそっちの方が重要。漫画アニメって矛盾点とかそんなもので面白さ簡単には左右されないから。これに同調するのもバカだよな。それ多分つまらないの根幹で欠点にマイナス点してる人って多分書き込む人だけ。このサイトが2chの延長みたいになってるけど、批判的な評価は質が高いみたいな風潮だと思う。うーん、単に悪口しか書けないつまらん2ch評価の延長が多いと思う。私も批判的だけど、悪口と違うのはつまらなすぎて不快が多いから。結局退屈しないように創れて無いんだよな。

引退とかそういう事書くとポーズだと思われてると思うけど。私ってマジ関係が切れるからな…。まあ信じてないならそれで良いや。私面倒くさいって気持ち抱えてるから余程の事が無いとああすっきりになってしまうから…。信じて無いからそれはそれで良いから。何かその点どうでも良い。基本自己満足でやってただけなので未練が無いから。さてそういうやめるわって話はこのあたりにしておこう。そもそもそれ書きたくない。最後だからって何か書こうと思ったら面倒になってどうでも良くなってしまったから。だから切り替えようと思う。

ずっと書いてきてすっきりしてない事って特に無いな。そもそもアニメと多分関係切れる。だからどうでも良いんだよな。だから書く事となると私が関係が切れても気になるのは、アニメ廃れてしまったの?って事。結構任天堂が危ないのゲーム機持ってないのに悲しいもんな。逆にソニーが残ったのが意外だった。まさに深夜アニメがPSだった。だから今の深夜アニメって逆に良いのかな?って思ってる。一般層に向けてやってた任天堂がスマホゲームに一般層取られてしまったから。逆にコアユーザー化してたPSがスマホとの差別化できて生き残った。今深夜アニメの特化をバカにしてるような人いたら案外これ良い方向に出るかもよ?ただアニメの一般層を奪っていくものが何か?は想像できないけど。そもそもディズニーがその役割やってるけど、日本今でも様々な売り上げが多いのは通常枠関係のアニメだから。一般層に向けたアニメつくりの問題点は、どんな未来があるか?それは全く想像ができない。でもコア層に向けたものは大きな変化に強い。理由は大きな変化って一般層の変化が多いから。ニッチって案外強い。大きな変化っていつも競争が激しいけど、その代わりニッチにまで手が回らない。だからニッチで独自に進化した強さって案外強い。今の深夜アニメのあり方って任天堂の衰退を見るとこれで良いのかな?と思う。ソニーと任天堂って変な関係だ。元々ゲームボーイでニッチになってしまったのにPSの方がいつのまにかニッチ的になってしまった。3DSで一般化まで上り詰めて据え置きまでとWIIとか調子に乗っていたら…。時代って分からん。任天堂の復活とスマホの誕生と見事に重なってる。任天堂ってついてない。もしかしたら独特の進化してコア化できてたかもしれないから。

アニメと関係ない部分は残ると思う。アニメは単にモデルケースとして全体を把握しやすいので選んだのが大きい。流行について良く分かったと思う。一般的に流行は真似する人間の性質に触れたものが多いけど、真似する元になったコアな部分は変化を求める人間の同時多発的な食傷感に対する新しい刺激だと見てる。これは新しく感じれれば良い。過去と被ってても良い。大事なのは新しいと感じさせる事と、一番のポイントは今目の前の飽きた気分を一新する事。だから流行は繰り返す事になる。本質が斬新さじゃなくて目の前の変化だから。だから作品を古典から普遍的に見る人は流行の面白さに気が付けない。そんな事どうでも良いんだ。今目の前に起きてる飽き飽きした気分を吹き飛ばせばそれで良い。ここで偶然完成度の高い創造性の高い作品が誕生すると後々まで記憶される。要するに普遍性の高い斬新な作品が流行とともにうまれるときこそ多くの人の記憶に残る傑作が生まれる。これはすべての商品に適用されるので、アニメと関係ないもので私の中で残る。アイフォンがライフスタイルさえ変えてしまう驚異的商品だったので分かると思う。何故マック信者が生まれるか?とエヴァなどが信者化するか?は良く似てると私は見てるんだ。

私のいう事ってマニアックなんだけどな…。どうも伝わってないのかな。だって私の言う楽しみを一番楽しめる人ってどっぷりアニメに使ってる人だから。ただそれを意識的にやるだけがマニアじゃないと思う。B級映画好きってそんなものだからな。やたらと分析的なB級映画好きってあんまり見たことがないな。でもその人多分マニアだから。クロアンが微妙にずれてるのってそこにあってあれアニメ的というよりB級映画っぽい。で何故思い切りずれないか?でアニメってB級映画っぽいから。浅いたのしみをどっぷり楽しむ。これはこれでマニアなんだよな。マニアの言及がすべて知的だとは限らない。そういった情熱はどこに向かうか?金だ。深く理解する事や語る事でマニアが成立すると思わない。徹底的受動的マニア、能動性は金と時間になる。今のオタクのとらえどころの無さは奥底の好みは一般人のなんら変わりないが、それを数見る事による偏向と流行への敏感さ。この2つにおいてオタク化してる。根本の部分でまるでマニアックさが無い。じゃその偏向は何から来るか?誰でも持ってるものが微妙に偏ってるだけ。まるで理解できないものじゃない。私は今のマニアは根本的には一般的な好みで理解できる。違いはそこまで変化に敏感じゃないのと、ほんのちょっとだけそこまで好きじゃないよって部分がある。この本のちょっとを捕らえるのは多分表面的な言葉では無理。私はそれを売り上げ、ランキングなどの傾向で見てる。当たり前だろう。いう事は一般人と境目が無いから。深夜アニメを見てる時点ですでに少し偏ってるんだけどね…。その中でほんのちょっとの偏向の度合いでオタク度が上がっていく。根本的に流行はあるジャンルの商品に拘っていたら誰でも発生する。だからそれさえも一般人的な好みだと言える。だからほんのちょっと偏向。ここにしか今のオタクと非オタクの差が無い。むしろ、好みより深夜アニメをまるで見ない人との差の方が大きいと思うがそれを今見てる人から傾向が薄い感じの人を見て一般人はそっちに近づいていくだろうなと見てるから。

ちょっと勘違いされてるかもしれないけど、私は代弁者じゃない。若者の代弁はしない。自分が若かった頃の楽しみそのままで見てるだけだから。ただ問題はその楽しみは落ちる楽しみ。シンプルに言えばアニメって頭使うに値しないメディア。マニアックに頭を使わせるための基盤が無い。もちろん私の好みじゃない。だけどそれだけじゃない。基盤が無ければ質の高いものが出来ない。その基盤が今後も作られることがないって書いてる。だから私の様に楽しむ以外に道はない。もっといろんな楽しみ方有るだろう?無い。基盤が無いから。2つの方向性しかない。商品として確立してその中で芸術性を出来る限り高める仕組みになってるか?商品としての色濃い方向性が無い。次に基本芸術性は無駄の極みなのでそもそも消えてなくなることを前提にすべき。この前者がしっかりしてないから。後者はそもそも持続継続の前提で話すべきじゃない。基盤は2つしかない。一般性か?マニア性か?この2択でしっかり組んだ商売の枠組みが無い。アニメってこの中間体だから作品つくりの自由度が商品の性質の度合いによって汚染されてる。商品を作品に仕上げるにはこの2つしかない。広く安く売るか?狭く高く売るか?この2つになる。選択しが無いのにあるように勘違いしてるだけ。だから私は高いレベルの経験や頭使わない事をよしとする限りなく素人の受け手が楽しめるメディア。それがアニメだと思う。そもそも一般性が強くてマニア性も同時にあるってこうなってしまうんだ。考えてみれば分かる。一般性の中にどうにかして頭使わせる部分を増やさなくてはいけない。これが実写などの方向だから。実写もそうじゃないアニメに近い見方が大量にあるけど。マニア性は必然的に玄人向けなので。

アニメって中途半端に停滞期に入ってしまったから問題だと思う。アニメが何故過去の活気が無いか?まず大きくなってしまったものは大きくなる前の活気が有るわけじゃない。質が違うって点。今は大きくなった結果としての活気はきちんとあるから。次に、エロゲ見たらすぐ分かる。こういうものは基本最初だけなんだ。稀にその後持続できるものがあって、基本最初だけで後落ち目になる。問題はそこで成熟した創作となれるか?ここにあるから。根本的なアニメの問題って間違いなく大人向け。中身自体が中高生向けを大人が見るのが軸になってて成熟した創作となれるか?なれんだろう…。大人向けできちんとした商売の基盤を作らないと。じゃあ何故中高生向けが盛んなのか?ニッチだわ単純に…。だから成熟できて無いんだ。エロゲ見ればすぐにこういうものは最初の勢いだけって分かるから。そんなのはどんな創作でもある事なの。それに対して昔は良かったとか言っても仕方ない。アニメもエロゲぐらい活気が無くなればすぐに問題点が分かったんだけど。なんだろうなこれ中途半端なまま維持してしまった。

寄生獣のせいで、ヒストリエまでアニメ化反対って声が上がってきた。原作厨まじうぜーー。あのな私は単に相対的に他のアニメより面白ければそれ良いんだ。そう思ってる人の方が何倍も多い。原作厨だけがアニメとして漫画の良さを再現できないからアニメ化しなくて良いってくだらない発言するんだ。どーせしねーよ。アニメ向き関係無しに面白くても売れないのは分かるから。日テレでもここまでバッシングされて作る気無いだろ…。劣化しても面白いのが有る。テラフォはあれはひどいなあれは原作厨とかじゃない。アニメとしていくらなんでも限界が有る。弱虫ペダルならまだいけると思うから。漫画が好きなくせにアニメとしてに拘るって変なんだよな…。普通は相対的に作品が回りよりましなのか?でしか見ないから。原作知らないなら最高の状態でしか見たくないなんて拘りモッテル奴おらんわ。ただえさえアニメ化無理なんだから。ヒストリエアニメに向いて無いからしなくてよいとかやめて欲しいわ。心配しなくてもしないわ。アニメに向いて無いから売れないんじゃないから。売れるために向いて無いから売れないだけだから。そもそも日テレそういうの無視だし。その日テレでもこういうバッシング起こると躊躇するわ。っていうかあれ実写化の宣伝だわ。アオハライドが1クールなのと、寄生獣は2クールで完結する。この差が日テレなだけ。ちなみにこのままアニメ視聴続けていたとしても、かなり見てしまったからアニメ化しても見ないけどね。原作とアニメを比較して監督の力量に触れたいなら相当突っ込まないと無理だぞ…。それポーズに過ぎないって分かってるから。

きちんと書くけど原作とアニメ両方見たほうがアニメの理解はかなり深くなる。だから?ってのが私の話し。一番大事な楽しむ事としてはそんなのちっとも楽しくない。アニメの学習してるわけじゃないんだ。それとこれとは分けて欲しい。もし本当にアニメの事を知りたいなら、後で原作読んでくれ。それで解決するから。結局そこになる。本当は文句が先に立ってるだけでよりよい意見なんて考えてない。本当に原作厨大嫌い。だって私原作見た作品で切る限り見ないから。高い確率でつまらないから。アニメの理解が深いのは分かったが、こんな初歩的な事知らないの?ってなるわけだわ。アニメ見てる視聴者で相容れないって気分の人って10作品の中で1作品楽しみたいって感じで見てる人ってマジで評価を趣味にしたほうが良い。それ楽しめてないわ。10作品中9作品文句言ってるってそれ多分向いてないわって分かる。何故楽しめるように簡単な工夫しないの?って不思議で仕方が無い。原作見た作品なんてアニメで見るなよって感じ…。円盤購入を考える人は別だけどさ…。

最近萌えよりバトルが問題だと書いたけど、なんとなく分かってきた。力量が足りない人間って取り合えずバトルになってしまう。手堅く漫画的面白さを創れるから。バトルって漫画の入門編だと思う。今から思うと手塚って漫画らしくない。手塚って当初から漫画でストーリーを見せるのが目的で漫画らしさとかと良く考えると逆を行く人なんだ。神様だから誰も批判的に書かないけど、アノ人より梶原の方が漫画独自の面白さの祖だと思う。どうやったら漫画を面白く出来るの?でバトルモノってそのすべてが詰まってる。じゃ何故面白くないの?面白く無いと言うより萌えが合ってない。元々バトルってこんなに濃くなかった。スレイヤーズの頃とかってストーリーがあって最後の最後にバトルちょっろってやって終わりとか軽い立ち回りがあるとかそんな感じだった。過去の作品ってどっちかと言えば珍道中を軸にした活劇だった。ドラゴンボールがすげーわかりやすいと思う。初期の流れからバトル部分を抜粋したらああなった。本当にドラゴンボールってあらゆる今のバトル作品のお手本だと思う。ただジャンプはキンニクまんですでにバトル展開の成功は手にしてたので、その頃ドクタースランプやってた鳥山明は後続。逆に言えばドラゴンボールってバトル路線の舗装されていた道路を通ったに過ぎない。ただそのジャンプ編集の集大成のよう完成度の高さ別格だと思う。

バトルものじゃないと漫画の面白さを引き出せない力量の低い作者が選択するって見てる。手塚を例に出せば分かると思うから。じゃあ何故面白くないの?バトルの得意な人が描けばよいけど、他のものならバトルほどポイントを抑えたものを書けないから押し出されてやってるような作者、または萌えキャラだけ良いからバトル書いてる程度の物。バトルに特化した上手さが合ったら多分面白くなる。とりあえず手堅くバトルやっておくか?みたいなレベルで書いてるから飽和状態も重なって面白くないんだ。実際笑いってしっかりした軸があるワルブレはあんまり質が高くないのに基本だけ抑えてるので、結構見れてしまう。バトルって漫画の土台がしっかりしてるから。敢えて言うとハレームになる条件としてモテル=強いみたいな軸がしっかりしてるから萌えと相性が良いとも言える。だが、萌えは基本女性キャラを楽しみで見るので男性キャラの魅力って微妙になる。確かにHDDとか男性きゃらにバトルモノとして魅力が有るからってのはある。でも結局はバトルを描くのが軸になるので、萌えとしてはイマイチなんだ。バトルファンタジーの中身の面白さにあくまで付随する程度の物でしかない。IS、ストブラとか稀にキャラの魅力となんとなく役に立ってるようなバトルファンタジーの部分とのバランスが良くて成立する作品があるけど、稀だとは思う。モテル=強いの説得力はある程度効果は納得できる。だが、その部分が、女性キャラを魅力的に描くって部分を補うほどか?と言うと駄目だと思う。古典的ヒーロー者には姫との恋がつきものだけど、あのレベルから抜け出せない。SAO見てすぐにペルセウスの英雄譚を思い出した。SAOヒロイックファンタジーの系譜でアスナ姫も戦うってレベルに過ぎない。キャラデザが魅力的なのは認めてSAOって世界観も素晴らしいのは認めるけど、萌えるって描き方としてはファンタジーバトルの面白さですべて決まってしまうのであんまり有効な戦略だと思わない。鉄板のヒロイックファンタジーの描き方は認める。だがそれが萌えキャラの魅力すべてを支えられるほどじゃないって書いてる。

ISUCAって作品は原作をちらっと見てたので、酷いアニメ化だった。面白かった部分はすべて原作どおりって皮肉。どうしてアニオリラストが駄目なのか?がすべて分かった。これはアニオリラストが駄目レベルの問題じゃない。無理矢理山場にしようとして盛り上がってないのに盛り上がってるような流れにしてるから。改変しまくってぐちゃぐちゃに創って無理矢理原作の設定と混ぜてラスト山場にしてるけど、こんなの盛り上がるわけが無い。例え原作に使われていた設定でも、こんな強引に山場作っても楽しめるわけが無い。きちんと原作だと流れをつくってたはず。そのとおりやってさらっと終ったほうが良い。これはアニオリラストを単純に否定してるじゃない。きちんとした設計も無しにいきなり山場にされてもそれは売り切りENDと同じじゃないか?と見るからだ。しかもこの作品弓が失敗してる。何故か?が分かった。当初作画枚数をけちってスピード感が無いからだと思った。違うこれ、相手が矢を払いすぎる。このせいで遅くしてると見てる。魔弾もコウいう事したけど、魔弾はそれ払うの無理だろ?って速度で矢を放ってる。矢を払うって事でバトルとして成立させすぎる。基本避けるべきじゃない。矢は当たっても致命傷にならないか?またはファンタジーとして無理矢理払ってしまうしかない。人間業としてじゃなくて。普通に格闘のようにパンチを払うように矢を払われても速度が違うだろう…。もちろん作画枚数をけちったのも考えられる。ヨナや魔弾という優秀な弓矢戦士の作品があったので比較としてより悪さが際立った。原作はトリ7ぐらい楽しめたので期待したら、あっちはアニメ向きだった。ストーリーでキャラを魅力的に魅せてるこっちはストーリーが壊されてしまって見れたものじゃなかった。途中原作のままは見れたので最後まで見てしまったが酷いアニメ化だった。トリ7は奇跡的にキャラが良いので見れたけど、このレベルのアニメ化は見ないほうが良い。アニメだとわずかな翻訳失敗でも地味な面白さは尽く壊される。

やっぱ振り返っての話よりわくわくして書きたい。振り返っても良いけど、愚痴見たいのはやっぱつまらん。どーせ最後だからってのがあるけど、どうかと思う。話自体がつまらんし。一つだけ書きたいのはシンパシーで話が深まる相手が極端に少なかったな。優れたものとしてアニメを扱うとどうしてもそれ無理だと思う。何かそれ違うんだよな。肩が凝らない気楽ってそこまで問題なのか?真摯に向き合ってとかああほんと嫌だ。真面目に考察するのは好きだけど、私見るのはすこぶる不真面目。疲れるから。この視点で楽しい作品が何故楽しいのか?って掘り下げたかったんだ。注意深く見ないと発見できない面白さなんて気楽に見れるわけ無いだろ…。何故こんな簡単な事が分からないのかな。適当に見て面白いって実は難しい面もあるんだ。出来の悪い生徒に合わせたつくり。これがアニメの良さだから。賢い能動的な人間って正直アニメ向いてない。何故そういう人ってアニメなんて選んでしまうかな。結局ずるずると昔を引きづってるだけなんだよな。大人には大人の楽しみが有る。アニメなんて気楽に楽しむのが本当の価値が分かるんだよな。適当に見てる人の注意をどうやってひくか?これに尽きるんだよ。私はそれをずっと書いてきたんだわ。

しろばこ見て多くの人はべたぼめするんだろうな。だから話が誰とも合わなかった。私はしろばこ高い評価。でも深夜アニメの多くの作品に重要なものが欠けてる。それは私がそれを楽しんでるから敏感に感じ取れる。だから私は人と話しが合わない。しろばこが嫌いならそれで話が合うのだろう。私はしろばこが好きで、その上で欠けてると感じるから私は特殊な人間だと分かる。駄目だ私はおそらく孤立化する運命だったんだと思う。そう思うともうどうでも良くなってきた気分が有る。別にそれが分からなかったわけじゃない。何事も試してみないと分からないから。試してみてどうも私は孤立化したと感じてる。自分でも独り言の面が強いと思ってた。私はむしろ感情移入を重視してみてる。それでも私はそれだけでアニメを見てるわけじゃないんだ。私はアニメに特別なものを求めてない。それなのに私は特別なものを敏感にアニメに感じ取ってそれをささやかな楽しみとしてみてる。感情移入を高い位置におきながら変な好みを持ってるから好みが会う人が皆無だった。

アニメで一番重要なのって結局実写と同じキャラクターへの感情移入だと思う。昨今のずっと感じてた違和感ってこれですべて解決する。多くの人はこれに囚われすぎる。正直違和感あるな。別に私だってそれを重視して評価してるけど、何かそれが絶対の軸になるような評価って何か違うんだよな。特に中年層の昨今のツッコミってすべてそれだ。アルドノアの評価が低いのはそこなんだろうな。アニメなんて皆しろばこになってしまえば良いんだってすげーしらけた気分が有る。どうして円盤売り上げが合わない部分があるか?多分ここだわ。しろばこが高い評価されるのは良いんだけど、何かそれが絶対視されるような流れが嫌だな。

面白い作品の条件は感情移入されることだ。これで終ってしまう。これで終らないのがアニメとナル。そこにこそ本当の意味があるのだけど。ここでだからって感情移入とは違う感情だーーで終ってしまうと意味が無い。感情移入を何かと重ねないとアニメの面白さにならない。実はその重ねるほうが基本であって、一般的な人間ドラマによる感情移入は付属であるのがアニメなんだ。円盤ビジネスがすべて悪い。主従関係がずれてるんだ。円盤は何故主従がずれるのか?価値を求めすぎるから。ここが多分分からないんだろう。アニメでしか得られない刺激を軸に買うから。これ当たり前じゃないか?ものの価値は希少性で大体決まる。数が多ければ必要とされても高くはならない。同じ需要が有るなら数がすく無い方が絶対に価値が出る。アニメはもっと創作全般での共通性の面白さで勝負すべきなんだ。円盤ビジネスはアニメの価値を特化させる方向に行く。これが先細りになると見てるんだ。そして円盤ビジネスのゆがみは、だからってアニメーションの価値にダイレクトじゃない。アニメーションの価値は従の関係になる。主は実写では希少な漫画物語になる。私はしろばこ人気は中年による漫画物語への裏返しへの不満だと見てる。私の様に物差しが2つあるとすらっと読みとける。本質的にしろばこと冴えカノは同じものさしの上に無い。ここにまだ日常と非日常が絡んでくる。根本的に漫画物語は日常を舞台にしてても現実逃避的な非日常にあると見てる。しろばこは巧みにアニメ業界を使って日常と非日常を分からなくしてるから。

止めよう書いてて楽しかったけど、考えてみるとこの先が無い。結局心のどこかでここにシンパシー持ってみてる人があんまり居なかったなと。過去の話と繋がってる。一番話しタイ事の話し相手がほとんど居なかった。しかもこれが個人的な好みじゃない。本当は優れた作品では私の言ってる事に気が付いてる。だが根本的にそれを軸に見える人がいないだけなんだ。優れた作品の共通性を見ても多分何も見えてこない。そうじゃない。イマイチな作品とともに特別な違いで見れば変わってくる。どこかで多くの人は自分が大人になってしまった事でアニメと離れた気持ちになってるのに気が付かないんだ。同じアニメを見ていても気持ち的に卒業が出来てない。今の感覚のまま無理矢理アニメを楽しもうとする歪みがその正体だと思う。こんな人間と話せるわけが無い。誰も彼も皆ノスタルジーでアニメを見てるだけなんじゃないか?と思えてくる。今のアニメを真正面から見てる人が感じられない。私はむしろ今の方が私にあってる面もある。私は元々詳細なオタクっぽい細かい所に目が行く作品が好きじゃない。過去のオタクの価値観はアニメーション物語の価値観だった。今は漫画物語になって私ムキニなってる。元々多くの人は漫画物語でアニメを見てたんだ。オタクだけがそれをたまたまアニメオリジナルが優秀だったので、アニメーション物語で見れいてただけ。今の様に原作アリキでしか語られない時代はアニメーション物語の価値で語っても仕方ない。私は特別な切り口で語ってるわけじゃない。すごく一般的な好み。なのに何故か私は個人的な好みで語ってるようにしかならなかった。多くの一般的な視点は基本感情移入を軸にするのでそこに実写的な視点が第3の軸として入ってしまうから。

漫画物語そのものを切り離した物差しを持ってないんだ。だから私とシンパシーを抱ける人が居なかった。というか、短期刺激が極端なだけで映像作品の基本は退屈させないって点で共通した創り方になる。ただ漫画物語が独特なのは、一般的な感情移入を犠牲にしても壊れた視点で進んでいくから。だから感情移入を絶対視してみてしまう人のものさしじゃ計れない。後短期刺激だけが重要なわけじゃない。根本的にリアリズムが壊れた視点でも楽しめる。これが漫画物語の希少性になる。実写じゃありえない物語が乱発されるから。当然それは劣化である作品も多い。だが稀に実写とは違うズレこそが価値となるような作品が出来る。これこそが希少性になる。実写だと違和感で見てられない物語。だから感情移入を軸にしてみるとこの価値が分かるはずがない。一般的な感情移入を軸にしてみるなら実写の様なリアリズム重視の物語つくりになってしまうから。その視点で見て優秀なわけがない。わざと希少価値のある作品を創ってるんだから。円盤ビジネスはニッチ化を推し進める面があって、それが将来的に不味いとずっと書いてきたんだ。多くの人はレベルの高い作品でまだ漫画物語の楽しみで見れると見てるし、そこに感情移入が出来るかぎり損なわれない限り見れる。だがそこがかなり壊れても私は見れてしまう。何故か?根本的に2つの物差しもってて違う物差しで見てるから。ただ私もノゲノラでこれを完全には楽しめないと書いた。これを完全に楽しめたら私は実写への楽しみを失ってしまうから。2つの物差しを同時に持つ限界は当然ある。

私が複雑なのはリアリズム重視だけど、それはあくまで付加価値でしかない。それが物差しになってない。それゆえしろばこを高く評価しながらもこの作品を単純にしか評価しない価値観に不満を抱いてる。一番話したい話が出来ないから。私はしろばこの話しなんてこれっぽちも興味が無い。面白いけど語りたい作品じゃない。しろばこについて思うのは、これは私が語りたい作品の裏返しのような部分がある作品だという事。本当に目が超えた人が多いのだろうか?私はシンプルな感情移入を軸にした評価の視点でしか作品の価値を見れない人ばかりだなと思う。私も感情移入を重視してるのであんまり言えないけど、実際感情移入では説明できない作品が多々あるのだが?それを高いレベルの時だけ評価して、それほどじゃないとき一切無視ってどうなの?って思う。それは何故か?と言うと高いレベルの時や感情移入が混じってる時別の物差しで計ってるだけで、本質が見えてない。私は適当に見てるって点ではかなり適当だと思う。でも私はかなり様々なものが見える。私がはっきりと抱いていた不満は要するに大半の人間自分が何に刺激を受けてるか?分かって無いんだ。普段は微弱な刺激だから気がついて無いんだ。おそらく私ほど明確に楽しみにはしてない。だが0じゃないのを感じるし、何より世代間ギャップが一番気になってる。10、20代は感じてるのに表現力が無い。多くの中年は私の様にノゲノラでこれが限界と感じたような限界地がおそらくあまりに狭いんだ。でも確実に自分の中でアニメだからって特殊な視点で見てる部分がある。この許容範囲が年齢に大きく左右されると見てる。

ある意味語る人間って絶対に偏る人間なんだと思う。私の様な曖昧模糊な部分こそを語りたいって欲求って少ないと見てる。これ富野監督に似てる。Gレコ見て富野監督らしいと思った単純さは間違ってる。アノ人徐々におかしくなってるから。ファースト以外受け付けないって人もいるだろう。それぐらいZとファーストは違う。ターンAがかなりまともなのだが、あれも強い冗長性を感じる部分もある。物語の筋がはっきりしてる部分と今の富野監督のスタイルが強烈な部分が入り混じってる。だからファースト以外実質わかり易いガンダムは無い。それでも、ZとGレコじゃ雲泥の差がある。Zの頃の富野監督はもろ曖昧模糊を表現したい欲求に溢れてる。ある程度頭の有る人間だと曖昧模糊を語るのを避けようとする。ただそれだけじゃない。語る人間ってどうも曖昧模糊をそのまま感情として受け止めるのが弱いんだ。どこか明晰にしないと気がすまないタイプが多い。語るってのは感じる事と深く関わってる。ただそれは凡庸さのせいだと思う。これはいやな言い方だけど、語るタイプで明確にしたがるタイプって数が多くて平凡なんだ。犬も歩けば棒に当たる。語るというのはどうしても人目を引きたがるような部分がある。だから感性が凡庸な曖昧模糊を好んで語るって多分しないんだ。語る人間は決まって感性の点でシンパシーを誘うような人間が居ない。これは不思議だ。私は別に捻くれて曖昧模糊を語ってるわけじゃない。漫画物語の根底に明確じゃない曖昧模糊な部分をくすぐる部分が多くの人間に重要な刺激になってると見てるんだ。

いやな言い方をすれば、語りたがる人間って自分の好みがどれだけ個性的であるか?とノベル自己顕示欲に見えてしまう部分がある。私は全く逆だ。あれれ何故皆刺激を受けてるはずなのにこれについて語らないの?って疑問が多いから。語りにくいから避けてるのは分かってる。でも大事な事を避けて無視するってどうなの?って思うから。後世代間ギャップもあるし。一番の問題は円盤と同じ。買う人の面白さと見る人の面白さがずれてるから。語る人と見る人って好みが大体ズレテル。私は本来語るに属する好みの人間じゃないと思う。私の好みは多分語らないグループに入るんだと思う。アニメで話すと円盤購入者でも多数派になる人と少数派になる人がいる。例えば幾原監督の作品の様なもの。超が付くようなマニアックは特殊性が高くても逆に売れない。語るという人間タイプの中で私は何故かマニアックな層になってしまってる。2chとここの決定的な違いは、語る層じゃなくても語る点。捨てHNの駄目さってそこになる。それは見る人のダイレクトな意見じゃないのか?微妙に違う。やっぱそれ語るそうだけどコテHNだと嫌がる内容を選んでる。そんな場所でさえ語りたくない層がいるんだわ。おそらく私のシンパシーはそこに眠ってるが、彼らは語らないから私の話が理解出来ない。

語ろうとしなければ発想そのものが出てこないからだ。語ろうとすれば必ず私と同じ壁にぶつかると断言できる。その壁を乗り越えるか、ぶつかってやっと初めて私の言葉が分かる。私はその人達に分かりやすく伝える技量が無いから低い技量のままそのままダイレクトに書いてるから。私は孤立化する。退屈なのがやめる理由の一つか?ならある。絶対にそれはある。なんと言うか、私はそれが無くても強制的にやめるような気持ちになってる。だがそれを押してまでほんの少しでもつながりを持ちたいって感情は0だ。だって私はここで孤立化してすごく退屈だったから。延々と独り言を語ってる自覚は持っていたから。それでも私はシンパシーだけはこれかなり多くの人が感じるものだからって語っただけだから。何が原因だったか?と考えると語るって人間のタイプでは私の様な好みは多分少数派だから。受動的な人間の好みを能動的に語る。これが矛盾なんだわ。素人投稿で語る人間は凡庸の域を出ないけど、それでも優秀だと感じるタイプが多い。それはやはり能動的人間は少数派だから。ただ問題は能動性の高い人間の中では跳びぬけたものにならない。その中では私は優秀とは言えないが間違いなく個性的だった。ある程度頭の良い人間は明確に語りにくいものと語りやすいものの区別が尽くし。根本的に語りたがりの人間は語りにくいものを好まない傾向が強いんだ。何故か?はわからない。私は語りにくいのを知ってても語った。誰もこんな重要なのに触れないのが腹が立つから。語る人間はどうしてどうでも良い事ばかり語るのか?困ってしまう。

語る人間の共通点はアニメ馬鹿が少ないんだ。幅広い知識と経験がはっきり言って好みの点で邪魔なんだわ。私は逆に好みって深い部分で凡庸さを残したままそれを有効に活用する事が出来る。どうして私だけが特殊なのか?と言うと私は人が欲しがるものが魅力的に見えるから。私は金のにおいがする作品がどうも好きになってしまう傾向がある。金が絡まなくても人気の有る作品に何故か惹かれてしまう。それは人気化した後じゃない。人気化する作品には前もって何かポイントが有る。だから私は絶対に多数派の好みの本質を付いてる。全く賛同者が居ないけど、まるで気にしてない。人が欲しがるものが分かってしまうわけじゃなくて、多くの人間に共通する好みと共通しやすいだけだと思う。それを見て言ったらああ変化かと読み取った。だから漫画物語の特殊性は実は無自覚だけど多くの人は刺激を受けてるんだ。どこかでアニメだけの特殊性や差別化を求めてる部分があるんだ。ただそれがストレートに出るわけじゃないから円盤購入層だけが特別な存在になってしまう。

私のこの活動の根幹はもっと多くの受け手に伝われるような言葉にしてくれる人に繋ぐ意味だったから。それがどうも駄目だったので正直この活動どうでも良い。語るって事の奥底が根本的に明確な事なんだと思う。言語がそういうものだから。だから私の様な存在ってどうしても稀なんだろうな。でも重要な感情を無視して出来ない。でもだったら感情移入を重視してるんだからそっちで語れば?それは私感想や評価で書いてると思う。それで十分だから。感情移入について扱うなら多分実写の方が向いてると思う。わざわざアニメでそれを語るってやりにくいだけ。アニメーションじゃなくて、アニメの特化した面白さ。それが漫画物語だと見抜いたから。その土台の上に人間ドラマによる感情移入は乗ってるから。それに一番の問題は一般的な感情移入を壊しても得る面白さが存在するから。むしろそっちに触れるほうが大事だと見たから。それがリアリティとリアリズムの違いになる。そこが世代間ギャップの本質だと見たから。違う世代は同じリアリティと言う軸で感情移入してる。だがそれは主観的体験なので一致しないんだ。互いにリアリティがずれてるのに同じリアリティって言葉で対立するからややこしくなる。だから私はとりあえず感情移入を軸にした話だけを話さないようにしてるんだ。

はっきり言えば私は本気では楽しんでない。本気で楽しむと疲れるんだ。年齢のせいだけじゃない。2,3番手の楽しみについて語ってる。アニメが最高の娯楽である人は私に不快感を感じても良い。同時に私も必ずしも1番手の楽しみについてしか語られないのは偏ってると感じてるからだ。どうして私が円盤ビジネス以外が重要だと書いてるかといえば、生活の中で必ずしも1番手の好みにだけお金が支払われるわけじゃないからだ。円盤ビジネスはアニメがその人の中で高い位置を占めてるから払えるんだろうと見てる。数多くの有る中の一つの娯楽に過ぎない。それの何が悪いのか?となる。アニメもすきだが実写も好きって人一番であっても並列かよって思いが有る。そんな人は結局私の立場と大差が無い。多分円盤を買わないだろうなと分かるから。私は漫画の中に有る見るがわをたぶからかす詐欺みたいなものを楽しんでる。私が着目してるのはそれはすぐに飽きる。だから手をかえ品をかえ変化させなくてはいけない。そのうつり代わりを楽しんでる。騙されなくなるから進化する詐欺。それを承知で楽しんでる。不易より流行。私は普遍性の高い作品が流行の中で現れてその中で楽しめればよいと思ってる。エヴァもガンダムも流行の中でカウンターとして生まれて新しい流行を作った。ただそれだけの事なんだ。不変的な価値と言うものが有る。私はそれもいろいろ触れている。どっちが価値が高いとか特に思わない。ただ自分の中で分けてるだけ。

アルドノアはこれから多くの作品の良い意味で反面教師になると思う。アンチからは散々批判された綺麗事でクズなルルーシュ殺すなと言うのがあったけど、やっぱ最後には華を咲かせないと面白みが無いですわ。私は当時からゼロレクイエムは見事だなと思ってた。あれだけ滅茶苦茶に展開させた作品を一応すっきりとしたラストの盛り上がりを作ってるから。ゼロレクイエムぱくりといえば悪く聞こえるけど、おそらくマスクオブゾロを下敷にしたものだと思う。意外とあれ王道なんだわ。ゼロレクイエムってあるいみループエンド。人々が救世主を望めばいつでもゼロは表れる。ゼロはXであり、その中身は変数であるって形で占めてる。故にゼロは人々の圧制への反抗の象徴であるって形で閉めてる。ルルーシュは悪党として死んだけど、ゼロは正義の味方として残ったってかなり上手いすり抜け。ゼロを創ったのはルルーシュだってのも中々ひねりが効いてる。スレインの牢獄の窓から見える鳥を見て眩しそうに眺める惨めな事…。何かを積み上げて完成させる。それが創作だと思う。スレインはそれを途中で放り投げる形で終ってしまった。現実を芸術作品のように扱ったらヒットラーになる。でも創作はそういう現実だと困った事になる事が面白いのでは?と思うのだが。眩しそうに鳥を眺めるスレインはまだ10代ぐらいだと思うのに哀愁すら漂っていた…。

明らかに最終回良いとは言えないと書いてるが何故評価を下げないか?簡単で、私は平均点で見るのと、TVアニメの本質は1話にあると見てるから。そもそも1話がつまらん作品は見られないんだ。われめてって全体なら結構面白かったぞ?でも分かると思う。多くの人は弱点や弱い部分を徹底的に攻めるんだ。それが人間の性質だから。基本的に人間って欠点ばかり見るから。それが人間だから。私は人間らしく無いと自分の事を思ってるから。人間ってのは自然のまま任せれば欠点ばかりみてしまう生き物なんだ。良い点より欠点の方が簡単に発見できるからだと見てる。類型的人間は両立した作品に着目してしまうんだ。でも実際私は多くの作品を見てきて、両立した作品はほとんど無い。極限を極めた評価をすると、両立なんて中途半端を捨てて、どっちか選べって私は選択した。それが1話だ。両立って視点って実は曖昧な評価をしてるその人のぬるさでもある。数々のTVアニメを見てきて1話が面白いか?ここでまず評価して、そこに付与するように全体の価値がある作品をさらにプラスする。早い段階からこれ全体は犠牲になると見てあまり重視しないようにしていた。アルドノアの評価を見ればその人がどんな作品を評価するか?の指標になると見てる。大半の人間は重視するポイントを決められないから単純に批判が出てしまう。最初から期待してなかったんだ…。次回が楽しみで見てる作品は最終回が実は欠点だから。一番盛り上がるところが欠点。それは全体を重視して作ってたら逆に最終回にむけてどう魅せるか?がポイントになるから。ポイントになる所が真逆になる。両立が最強なのは間違いない。でもそれは本当に滅多にできないので。

ちなみにゆゆゆとはまた違ったラストだと思う。無理は無い。問題はやっぱラストは何かしらの華のある部分が居るんだよな。23話で盛り上げた劇的展開を綺麗にまとめました。これが24話の役割だったと思う。でも本来24話は1話から24話までの流れを最後に華のある絵を描くって場面だと思う。改めてギアスのゼロレクイエムが再評価されるきっかけになればと思う。ゆゆゆよりは無理の無い綺麗な締め方だと思う。問題はスレインの散り際に華が無いんだよな…。その辺り虚淵氏は展開だけじゃない部分が有る。アノ人まどマギから何かしらの主張に作家としての根っこがある。独特の死生観のようなものがこめられてるから。ただちょっと個性的過ぎるけど。肌に合わないシステムぶっ壊す。それに対して無駄に頭使いまくる巻島見事。どうしたら致命傷を与えられるか?って必死に考えてる巻島さん真面目すぎ…。スレインは王国作ったその後どう片付けるんだろうか?を見て見ないとなんとも言えない。根本的にぶっ壊すことが趣味の巻島と違い散り際が見せられない。まだ何もしてない…。姫側に立つとだから停戦が上手く言うともいえなくも無い。月で宣言したら姫がうちゃって終ってしまった。最終回はそれほどでもないけど最初から期待して無いから失望するほどでもない。ゆゆゆよりは2,3倍マシ。だってゆゆゆは最終回次第で良い評価しようと待ってたから。そのゆゆゆでさえこんなものだろ?って想定してたので。逆に言えば最終回が特別優れてるってこの手の展開重視の作品って設計上無理なんだ。その1話の満足と次回の刺激でずっとやってきた作品だから…。24話がどうかんばっても23話の次の24話にしか基本ならない。

アニメーションに価値が無いってのは貶めたいわけじゃない。アニメーションだからそれ特化した良さを追求すべきって考えが評価にはある。それは私もカレイドスターで評価してるから。ただバランスがどうしても普通の物語が軸になっててその範囲でしか楽しめない。私は確かにずれた漫画物語を重視してるけど、それはあくまで物語の中身でのずれで映像的にずれてしまった物語を重視してるわけじゃない。原作持ちならアニメとして映像でずれたのじゃなくて、原作の時点ですでにずれてるずれ。カレイドスターに感じたのは脚本だなこの作品と感じて原作的じゃなかったから。監督主導で作る作品で脚本って道具に過ぎないんだけど、これアニメ関係者もすべて脚本のせいにされたらかなわんってのがある。これ当たり前で大半監督が考えてるケースが多いから。単にそれを言葉で表現するのが脚本に過ぎないから。虚淵氏とかって特別であんな人滅多に居ない。それはアノ人が原作をそのまま作れる人だから。一本しっかり小説を商品として書ける人じゃないととてもじゃないけど主導による脚本なんて勤まらない。オカダさんなんて状況に応じてトップと部下を使い分けるからさっぱりあの人の色って出ないときが多いから。幸腹で岡田?とか出ていたけど、うんざりしてた。あほくさ岡田さんって原作もちのとき色がほとんどで無いから。絶園テンペストにその色があるか?原作持ちのときは編集と台詞に癖が出る。ただ原作知らないと分からない。オリジナルでも、あの人創り方によって監督の色が出まくる。岡田さん主導でいくって決めないと岡田さんってまるで色が出ないから。あの花、いろはとフラクタルを同時期に作ってるので、アノ人がいかに個性が出ないか?ってすぐ分かるから。ここ数年で脚本が重要だった作品って虚淵氏と一部の岡田さん以外思いつかない。後RODの時の倉田さんとか、でもインタビュー見る限りサムライフラメコは監督の合作だと思う。作品によってコロコロ変わるから。そもそもRODってノベライズがあったはずなんだよな。

多くの人って監督の重要性考えて無さすぎ。初期設定もってこられてはい脚本頼むとか言われてもこんな初期設定じゃ面白くなるわけねーよとかどうすりゃ良いの?となる。脚本脚本って言う人って物語り舐めてる。最初面白そうだったのに。これも脚本のせいとも言えない。1クールぐらいだと初期設定に縛られてしまうから。ジャンプみたいにしばらく迷走してバトル路線とか1クール終ってしまうから。リボーンが1クールぐらいはそんな感じだった。後ある程度の腕があるなら初期のキャラや設定ウマさによって物語って勝手に転がりだすから。話しずれたけど佐藤監督の映像物語作りがもろでた作品だし、そもそも原作が佐藤監督だから。サーカスの映像をどう見せるか?で作られてて、カレイドスターと瓜二つの作品ならラブライブになる。多くの人カレイドスター脚本で褒めるけど、私そうかな?と思う。ラブライブと同じ古典部活動ものの流れで書いててそれほど凝ったシナリオだと思わないから。何の変哲も無い話をどう個性的にするか?そこがアニメーション映像の武器となる部分で見せてるから。こんな小説多分アニメより落ちるよってラブライブとカレイドスターに思うから。

話がずれたけど、アニメーションの有利さって根本の漫画物語の異常さがすべてぶち壊す。漫画物語って細かい部分の良さがでにくい。これがすべての原因。何故私が古典的や一般的な作品つくりしないとだめか?と書いたかといえばアニメーションの魅力って王道の方がいかせる。物語の面白さで引っ張りすぎる作品や物語の部分が気になりすぎる作品って良くない。物語の出来がアニメーションの邪魔しちゃ駄目。それは良い悪いじゃない。良いのも実は駄目だから悪いのも駄目になる。野球で言えば投手で決まるような試合になると思う。野球がその点一番分かりやすい。あまりに守りの要として投手の比重が高すぎるから。アニメってのはいくらチームで創っててもその中身は野球とそっくりで、アニメーションってアニメの中で投手じゃない。だったら1塁が優れたチームとかあほくさってすぐに分かるから。アニメーションのアドバンテージは投手の比重を下げる事が重要。それ野球にならないのでは?だからギリギリのせんになる。私は意図的に物語と脚本分けてる。物語ってのは原作部分に当たる。オリジナルの場合話しにくいからいやになってくる。漫画ってのはそれが1人の人間でしっかり作られてるからわかり易い。物語を作ってる脚本家が数多くいるか?と言うと一部の岡田さんの作品と虚淵氏ぐらい。丸戸さんはかなり濃いがそもそも原作丸戸脚本丸戸ってだけの話しで原作作ってるからそれをアニメ用に加工してるだけ。ゲーム製作ってチームプレイだからアニメに向いてると思うし。

私は岡田さんを秀吉と読んでる。信長の部下もやるけど関白で天下取ってる人間。岡田さんを見ればアニメの脚本家が作品の面白さにおいての責任がどうなのか?が参考例としてすげー分かりやすい人。表から分かるの?分かるアノ人癖が強いから。一度成功すると意図的に岡田さん主導で企画が組まれるから。あの花はそれだけの作品になったから。アニメ業界宮崎ブランドの成功知ってるから製作者での売出しって熱心だから。分かる例はその人の名前を前面に出して宣伝するから。すげーわかり易い。アノ花岡田って宣伝がいつもあるから。幸腹とかそういうのあんまり無かった。アニメ会社も馬鹿じゃない限り詐欺は無いと思う。実際名前貸しが多いけど、それはアニメ会社もわきまえてて、総監督とか意味不明な役職が多いから。佐藤監督とか音響監督とか微妙な役職ついたアニメとかあって名前貸しに近い話をしてたから。例えば岡田さんを脚本において、別の人がシリーズ構成ならこれは岡田さんは今回は信長の部下なんだと理解できるから。一度も岡田さんを脚本に置くシリーズ構成の脚本さん見たことないけど…。

アニメが駄目なのってアニメーションオタクがまるでお金出さない点だとまず思う。アニメーション映像を支える基盤が全く無い。過去そういった系統のオタクって多かった。今の時代不思議になる何故か?相対的に割合が下がってしまったんだ。アニメファンとアニメオタクは過去違った。でも今ってアニメオタクとアニメファンの境界線が無い。理由は深夜アニメが微妙に特殊だから。最初からハードル上げすぎてる。視聴するって点と円盤ビジネス向けのソフトつくりが広く浅くのハードルを上げすぎてる。深夜アニメを見ている=オタクになってしまってる。特にちょっとでも数多く見ればもう立派なオタクだと思う。実写の場合世界中からかき集めて映像オタク達が支えている。この点がアニメのすごく弱い点。深夜アニメって見れば分かるけど日本でも内容で人を選ぶ作品つくりだから。内容が映像の邪魔してるから。実は一度イノセンスブームで映像オタク向け作品が数多く作られた。でも大失敗した。それは逆にアニメの制作費高騰って問題だけ残して終ってしまった。結局映像ブームって京アニがすべて持っていった。内容がオタク向けだったから相乗効果で売れた。結局内容さえ伴えば高品質のアニメーションって売れる事と繋がる。だから今この流れが定着してしまってる。実際京アニほど金書けてるところ無いと思う。損益分岐点で出されるまなびラインが京アニはそれじゃ赤字だよって話しらしいので。見れば素人でもすぐ分かるけど、私過去の映像知ってるから、今の駄目作画でもすげー水準だと見てる。ゼロ年代当初の映像ブームがもたらしたこれ悪影響だと思う。視聴者の普通のレベルが上がりすぎてしまった。

だからずっと私フラッシュ程度のレベルのアニメどうにかやれないのか?と思ってる。今のクレイジーなアニメの水準がすげー高いんだと知って欲しいから。確かにUNFOや京アニ、PA、本気のA1とかすごいとは思う。でも他のしょぼい会社もかなりの水準なんだ。そりゃ私過去知ってるからね。セル画と2DCGは確かに違う。ただそれだけで説明が付かない。これおかしいだろ?って見てる。私はそんなものありがたがらない。すげー下らないと思ってみてる。手抜いたらそりゃ売れない。でも内容がしょーもないものもすげーかねかけてる。これについては原作の宣伝があるからと書いた。ただオリジナルはどうだ?根本の作品作りがなってないからお前ら正直フラッシュで鍛えろって頭に来てるから。ただ商売として乗っける方法が思いつかない。いくらフラッシュでも金掛かるからな。私は制作費を抑えたくて抑えたくて本当にここままじゃ駄目になると見てるから。こんな水準もとめてない。そりゃ円盤を買うなら分かる。だから円盤ビジネス以外の模索しようと思ってる。こんな馬鹿な作画バブルの狂乱いつまで続くんだろう。よいものってのはね悪いものがあって始めて分かる。静止画でちまちまチェックして作画悪いとかやてる馬鹿にあわせても仕方ない。ぱっと見てすぐこれ落ちるってアニメが一般的にならないと、何が良いのか?が分からなくなる。ワールドトリガーでさえこれ原作の絵が下手だなと思うレベルでしかないから。今すごい水準の物を普通に見てるのが本当に駄目。

ファフナーとか見てて気の毒になる。他のジーべっくアニメだって異常な水準なのに、あそこまでやってやっと本気のジーべっくとされる。違うでしょ?普段のジーべっくも凄いんだよ。アニメの作画水準が上がりすぎてる。これまじでCGの発達だけじゃ説明付かない。3DCGほぼ抜本的なものじゃないから誰か?が枚数書かないとどれだけPC使っても楽に書けるなんて無いから。大体シャフトが散々省エネとか馬鹿にされてるけど、あれ1枚の画にすげー時間かけてるだろ?って見て分からんかな…。描きこみが半端じゃない。もちろんのその分枚数カットして作画節約してるんだけど。あれ単純に手抜きじゃなくて、力入れる点をずらしたんだ。そりゃ動きで魅せるようなアクションの激しい内容じゃないのに合わせて変わりに女の子の可愛さが醜さにならないようにすげー気を使ってる。もちろん根底は手抜きだけど…。バンパイヤバンドでシャフトの雑さ見たから。

私はアニメーションの価値を貶めたいわけじゃなくて、技術屋の商品つくりに似た自己満足的なものを強く感じてるから。奇抜な物語作りではアニメーションの価値が相対的に落ちてしまう。後円盤ビジネスも良くない本来ならアニメーションに払われるのが筋だと思うが、高い水準だけ求められて売れない事に結びつくだけで売れる事に結びつかない。何よりあほらしいのはコストを上げれば質は上がる。だがその分売れなければならないって悪循環。京アニが良い例。どうしてアニメのプロがこんな頓珍漢な悪循環に陥ってしまうのか?おそらくだけど、一番金になるのはどうやれば良いか?分からない部分。たいして金にならないのは分かっててもマイナスだけはしっかりと売り上げ減少につながる。それだけ分かってるのでやらざる得ない。アニメーションの価値ってとことん円盤ビジネスとあってない。そりゃそうだ1塁の守備で勝負する野球なんてあるわけないんだから。本来ならマニア向けビジネスなんだけど、それがアニメーションの価値では成立しない。逆に円盤ビジネスはアニメーションの価値においてマイナスでしかない。馬鹿みたいな無意味に近い高水準の作画がごみのように無駄の極みで捨てられていくから。水準は落とせないから仕方なくやってる。京アニが水準革命を起こしたように、本当に逆にマイナス革命起こして欲しい。後もっとアリキタリな物語で発揮できるような円盤ビジネス以外の模索を。

クロアンって印象的だった。萌えでもない、腐でもないキャラアニメ。元々SAOのキリトが男性ファンもそこそこいる。そもそも弱虫の御堂筋君とか女性人気(ビジュアルはキモイキャラだけど…)に支えられ入るけど、男性人気もそこそこ有る。根本的に漫画アニメはそもそもキャラが命。そこに異性としての感情が入ったのが昨今の円盤ビジネスと結びついた。アイドル商法と同じ。2次元アイドル。だからラブライブがかなり売れるのが当たり前。一番真っ当な方法で2次元アイドルを堪能するのだから。同性からの支持やアイドル的じゃない異性からの支持。当然当たり前に存在する。クロアンがエロで売れたなんて言葉が有るが無いわ…。確かに新妹はエロで売れたこれは間違いない。だがクロアンに新妹ほどのエロに価値が有るか?エロ描写があればエロだと言うのは間違ってる。エロいと感じなければエロには微塵の価値も無い。オタ舐めてるわそれ。クロアンは根本的なキャラ人気を利用した独特のアニメだと見てる。この方向性なら批判が少ないんだなと改めて。ただこの方向性ってすげー作りにくい。異性の感情を利用しないキャラ人気ってじゃ何?ってなるから。私も正体不明だと思ってる。

最後か何書こうかな。やっぱ特に無いわ。いつか今の10代が大人になって好みが変わってきて私の話しが分かるようになるかもしれない。ただな。好みが変わるとやっぱ分からん。好みが変わったのに楽しめてしまう人間。それこそが私の話をシンパシーをもってかつ言葉で理解しようとする人間になると思う。無理だな…。考えれば考えるほどどうでも良くなってくる。

------------------ おしまい -----------------------
(評価自体は書くかもしれません。日記も小説は書くかもしれません。ただアニメ感想活動は今回で終了です。もし遠い将来再び活動再開の可能性はありますが、その可能性は全くの未定です)

※コメントとかあったら1,2日は対応します。

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名もなき詩人 さんのコメント (2015/03/31) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
> 多くの人にウケなくとも続けて欲しかったと言う気持ちがあります。

結構きついです…。愚痴ってますが、実際は私事が9割の理由です。ただ残り一割夜月さんがしばらく訪問が無かった時の感想で拍手のめっき剥がれたなって苦笑する思いがありました。一番DBサイトでシンパシーを感じたのは夜月さんだと思います。

> 趣味の世界ですから楽しめなくなった時が止め時は間違いないし・・・お疲れ様でした。

いやいや、本当にアニメの時間が取れない個人的な事情が9割なので。

> それが多くに共感されるような感覚では無いのかもなとも思ったり。

そうなんですよね。ゲーム製作って色眼鏡で見られるからすべて問題なんですよ。ゲームとアニメって変わらないんですよ。ゲームとアニメが極端に違うならリトバスとかFATEとかのアニメ人気ってありえないわけです。多くの人ってゲームって言葉に囚われすぎ。萌え産業としてアニメと漫画、ラノベとエロゲは同時に影響を与えて大きなまとまりになっていました。エロゲが衰退したというより、エロゲがラノベに取り込まれて最終的な形としてアニメになる事でゲームに限りなく近くなったと見ています。萌えアニメの根幹部分創ってるって何故見れないのかな?って不満が大きかったです。

> 原作を大切にしろ!っていう気持ちは、自分にもあるので理解はできるけれど。

理解は出来ます。ただ私ヒストリエ知ってるので、そんなに画に魅力ある人じゃないし、そこまで酷いか?ってなる部分があります。音楽が特に批判が多かったのですが、これは私疎くて分かりませんでした。そこはそうなのかな?とは思います。

> でも確かに華がない終わり方なんですよね。散々刺激的なものを前面に出して余韻を否定してきたのに。

私の見方はちと違いますね。あくまでコードギアスを軸に話しますが、伏線回収のような典型的な長編アニメストーリーの様な話の作り方がしづらいです。ライブ感アニメの欠点でもあります。そういう作品でもラストだけで魅せられるってのを言いたいんですよ。アニメのストーリーの基本は、全体の中でくみ上げたものをラストに持ってくるのでラストって無駄に長く無いと面白いです。そういった当たり前のストーリーつくりの作品と同等の価値をもてない。これがライブ感アニメの欠点でもあります。悪く言えば伏線期間ってつまらないんですよね…。絶園テンペストがその典型だと思います。前半がかなり地味でです。だから通常アニメのラストって面白くて当然なので同じレベルを出そうとするとかなりムチャ(ここは夜月さんと同じで刺激って意味です)しなくちゃいけないと思います。ただ違いは今までの展開と較べてじゃないです。他の複線回収型のアニメがもつラストの刺激と比較してです。

ただし原作持ちで途中で終る場合は終わりはさほど重要じゃないです。だから原作オリジナルを区別しない今時のアニメならアルドノアゼロって確かに夜月さんの言うとおりだと思います。それまでの展開の刺激と比較してしまうと華が無い。ただね、私最近オリジナルを重視する別の見方があるの知っています。実況です。だからオリジナルか?否か?ってかなり強烈に意識してる人多いんですよね。ネタバレ嫌うから。

> これすらも演出的な意表なのだったのかな?

それは考えています。所謂王道外しですよね。その狙いもあったかな?と思っています。

> アセイラム姫の意図すら打ち砕くほどの。

それはちょっとどうなるのか?分からないほどのものなので…。批判はするけど具体的な改善案は書かないが私の主義でもあります。自分が想定するレベルって驚きが無いから多分つまらないんですよ。しろばこってそこがすごいんですよね。想定内でも十分面白いから。

> 3人の関係の結末としてはあのエンドが素直な解であったとは思います。
ただ仰るとおりこれでは華が無い。やはり急に余韻を楽しめって言われても簡単に切り替えは難しい。

私も悪いラストだとは全く思って無いです。ただラストに求められる水準の刺激じゃないなと。ゆゆゆよりはマシだと書いています。私ゆゆゆのラストも批判が多いですが、途中の展開が良いので余裕で目を瞑れると思っています。私展開の刺激が無くて退屈になる作品を多数見てるので、そういった作品は話題にすらならず批判もされないって話で公正さを欠いた見方なんですよね。

ただね問題は、元々イマイチ何がやりたいか?分かりにくいスレインがラストに、華のある絵を見せて、その分かりにくさを補完するような独白があると思っていたのですよ。今は言えないけどラストでたっぷりと心情吐露するから待っててって事かと。分からなくは無いけど、やっぱスレインって何がしたいか?のシンプルさが無い弱点を持ったキャラだったなと強く感じています。

基本展開重視なのであまり強くは批判したくないのですが、展開で好き勝手キャラを動かすから、内面吐露しすぎると矛盾が生じるので、受け手の脳内補完に任せた?と見てるんですよ。ライブ感アニメが嫌いな人はとことん嫌う欠点の部分です。シンプルにいえば狂ってるの?ぐらい支離滅裂な言動。悪く言ってしまえば、最初から計画性の有る一貫した思考があったのか?謎のキャラだったと。どうとでも解釈は出来ますけどね。(2期からコウモリである事をやめたと描写があったので)

要するにね、ラストの華ってのは、そういう部分を有耶無耶にする力が有るんですよ。面白いんだから多少支離滅裂でも良いじゃんって話です。冷えた終り方だったので、途中の問題が気になってしまったと言うのがあります。結局スレインって何がしたいか?やっぱ分かりにくいキャラだったなと。
春の夜月 さんのコメント (2015/03/31) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
こんばんは。これが最後となると寂しいものですね。自分としては色々な意見があるから面白いと
いつも思っているので、多くの人にウケなくとも続けて欲しかったと言う気持ちがあります。
でも自分も同じ状態でモチベーションを保てるのか?と問い直されたら、言い返せないのも事実。
趣味の世界ですから楽しめなくなった時が止め時は間違いないし・・・お疲れ様でした。

最後となるのかな。いくつかかいつまんでコメントを。

・冴えない彼女
>この作品きちんと萌えをメタに見るって視点は機能してると思う。
ラブコメ系ラノベ原作の典型とみられたり、キャラ萌え中心で楽しむ作品であったのは事実ですが
同人周りの設定や主人公の言動をメタネタ的に消化しハーレム系のストーリーに組み込んだことも
面白さを支える要因だと自分も思っています。自分は恋愛系ゲーム作品の世界をプレイヤー側で
みているような感覚を持っていましたから。ただこのゲームジャンルが衰退してしまっているから
それが多くに共感されるような感覚では無いのかもなとも思ったり。

・寄生獣
>原作見てる人から散々だったけど、これ面白いんだけどな。
現代風アレンジは、基本的には成功していたと思います。原作そのままだとストーリーは面白くても
やっぱり時代背景が違いすぎますから。原作そのままでも大ヒットにはならなかったでしょうし。
まあ映像化にあたって特にセンスを感じるアニメとは感じませんでしたが、アニメ化によって改変
されたとされる季節(時間)という細部のリアルさが、どれだけメインストーリーに影響を与えて
いたのかと考えれば確かに気になるとはいえ、それだけでぶち壊しになるほどのものとは思えないし。
原作を大切にしろ!っていう気持ちは、自分にもあるので理解はできるけれど。
終盤になるにつれ冗長感が増したものの、ストーリー全体として面白かった作品でありました。

・アルドノア2
>私は最終回はイマイチだった。だが全体の評価を落とすほどじゃない。スレインの結末に華が無いから。
この作品は自分も色々語っているのですけれど、あのエンディング自体は自分もアリだと思っています。
でも確かに華がない終わり方なんですよね。散々刺激的なものを前面に出して余韻を否定してきたのに。
これすらも演出的な意表なのだったのかな?もしそうならばもう少し演出を工夫しなければ、流石に
わかりにくすぎるかなと。やはり、あそこまでイナホ最強でやっていたのならイナホが全てをどんでん
返しで持っていく結末を用意すべきだったのかもしれません。アセイラム姫の意図すら打ち砕くほどの。

しかしストーリー的には、2期のイナホはアセイラム姫のためだけに行動していたわけで、その意思を
捻じ曲げてしまうような選択をするわけは無い。スレインは姫が宣言した時点で、もうやる気は失った。
彼に何かを変える力は望めない。ならば自分は第三者のハークライトが奪うならアリかとも考えました。
ただそれだと3人の物語であることを放棄してしまうし、最終話に詰め込むには尺が足りませんが。
もしこの筋でやるならば、遅くとも22話ぐらいで種をまいておくべき展開になってしまいます。
両主人公とも何かを変えようと立ち上がったわけではなく、アセイラム姫の理想を叶えてあげようと
行動していただけだから、3人の関係の結末としてはあのエンドが素直な解であったとは思います。
ただ仰るとおりこれでは華が無い。やはり急に余韻を楽しめって言われても簡単に切り替えは難しい。
名もなき詩人 さんのコメント (2015/03/30) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
> ここだけ見ても非常に厳格な人だと思います。

厳格というより私の話を本当にごく少数楽しんでる人がいるので、その人にもう消えるからって心の準備して欲しいので書きました。私単純にやめるというより存在を消したいからです。だから軽い気持ちで書いてるわけじゃないので、心の準備としてです。自分がその立場ならいきなりはつらいので。

もっと言うとちょっと自分の日記買いかぶりすぎじゃない?って思いも在ります。私は自分ではこんな面白い話題無いと思ってるし、何より発想が個性的過ぎると思っています。はっきりと私の変わりはどこ探しても居ないと思っています。そこでつい肩入れしてしまいますが、冷静に見てでも人気はさっぱり無いよなと思うので、読者への気遣いがかいかぶりだろうなと言うテレ臭さもあります。

> 肯定する風潮があるからといって肯定しているわけではない人はたくさんいるはずです。

ああしろばこ否定派知っています。その事に言及しようとした事があります。私の批判とずれてて一番多い批判がつまらんと思ってるから無視してるのがあります。私はご都合主義を肯定してるんですよ。私はねあれガチンコラーメン道に似てると思いました。都合の良いトラブルが起こって都合よく解決していく。それがやらせだった事が後から発覚しています。やらせはやらせと知らなければ面白い。すなわち虚構だとあらかじめいってあるなら面白いんですよ。

同じ否定派だとしてもより本質的じゃないからつまらんと思っています。派閥の違いみたいなものです。同じ自民でも相容れない考え。

ちなみに私は否定派じゃないです。実は私の意見はもう一つの否定派の答えなんですよ。ストーリー作りがアリキタリなんですよ。これはご都合主義とは違います。だって延々と同じ事繰り返してるだけで工夫が無いですからね。逆に言えばこれで面白いのが凄いんですよ。それは感想でも触れてますが、マニアックに作ってる部分が大きいです。当たり前の基礎的なストーリーつくりだけどマニアさが個性になってる。

そこで私は何故こんな当たり前なのか?に触れてるんですよ。水島監督ってアニメ作りでは原作を含めて欠かせないと思う発想力が一流の水準にアルト思えません。飛びぬけた評価の作品に見合わない監督の発想力。じゃあ脚本家なのか?それも違います。根本的にしろばこって作品に発想力で勝負するような部分が弱いんですよ。

面白さの評価は感情移入を重視する私は一切変えないけど、否定派の意見も分からないでも無いと思っています。ちなみに否定派からヒントを貰ったわけじゃないです。最近ガルパンを見たのでこの人謎の面白さだなと思ったからです。私が高く評価するクリエイターって発想がやっぱ面白いです。だから何故?って思うからです。これが調整の妙なんだろうなと思います。大人や玄人好みのクリエイターなんだろうと思います。

発想力がどれだけ重要か?と言うと、素人にまず冴えカノの加藤なんて造れません。あれがプロの発想力なんですよ。しかも私は常日頃からキャラは運だと書いています。そのキャラを読者の思考を計算して作り上げて当てるなんて桁違いです。萌え特化の力に過ぎませんけどね。

> 名もなき詩人さんはアニメをスナック菓子に例えられていますが、私なんかはむしろ紅茶や酒たばこの嗜好品に近いととらえています。

いやスナック菓子にはおそらく弱い中毒性が有ると見ています。だから嗜好品と同じようには見ています。

> それに、アニメと小説や実写映画やテレビドラマに大きな違いはないように思えます。

そりゃB旧映画について触れてますからね…。後日本ドラマがつまらないからしろばこの評価が高いんだろうなとも書いてますから。小説は大衆向けでは娯楽性の強い推理小説が多いと思います。

> 本質(可能性)ではないと思います。

そうは思って無いです。それが私の経験です。そうやって過去挑戦したがすべて叩き潰された今の姿だと見ています。円盤ビジネス以外を模索できればまた挑戦は出来ると思います。つかー過去子供向けだった時代より頭使わない面白さが重視されて無いか?と見ています。

基本的に根本の問題はアニメーションに有るわけじゃないです。大衆文化に在ります。大衆文化はすべて高度化が妨げれます。ただアニメーションじゃなくて、アニメはどうも頭使わなさが他のものより飛びぬけてると見ています。それでも所詮程度問題です。特に問題が、円盤ビジネスで売れる作品は修練が無く頭の使わないアニメが多い。円盤ビジネス以外の通常枠に大人向けが無いのがない事も大きいです。
非論客 プロバイダ: 31499 ホスト:31598 ブラウザ: 8949
お疲れさまでした。名もなき詩人さんのブログは時々開いて見ることがありましたが
>な げ ぇ よ ! ! (笑)
私もそう思います。(笑)
名もなき詩人さんは厳格な人なのだという印象です。引退すると書かれた記事を目にした後で評価やブログが投稿されていたので、引退してねーじゃん(笑)と思ったりしましたが、引退ってのは事前勧告的なものだったのだと理解しました。ここだけ見ても非常に厳格な人だと思います。
しろばこ肯定と書かれていますが、名もなき詩人さんの目に入る範囲でそうなのであるにすぎないと思います。肯定する風潮があるからといって肯定しているわけではない人はたくさんいるはずです。私なんかはしろばこやバクマンの何が面白いのか分かりませんが、面白くないという感想をわざわざ書く必要性を感じないし興味ないので口を閉じているだけですし。アニメに限らず目に入る風潮の一面をもってそれが正しい根拠だとするのは悲しいことで、誰も専門家で否定している人もいないのだから正しいにきまってる、と妄信して後でくそっ、裏切られた、と手のひらを返す人のなんと多い事か。それって否定している人がいなかったのではなく、否定を口にする人達がいなかったもしくはそれがその人の耳に入らなかっただけの話ということがほとんどのケースでしょう。そういうケースで反論が見られずにもどかしいとあえて先陣を切って口を開くのが名もなき詩人さんのポジションというところではないでしょうか。
名もなき詩人さんはアニメをスナック菓子に例えられていますが、私なんかはむしろ紅茶や酒たばこの嗜好品に近いととらえています。それに、アニメと小説や実写映画やテレビドラマに大きな違いはないように思えます。本質に違いはなくとも、社会の捉え方としてはアニメは子供のものだという偏見があればそれは嗜好品ではなくスナック菓子と同じといわれても仕方ないのが現状ですが、それは実態ではありますが、本質(可能性)ではないと思います。ビール苦いのによく飲めますね、と最初言っていたのにビールうめーというようになるように、アニメも目がでかくて気持ち悪いと最初言っていても、何度も見ていると萌えるぜーという捉え方に変わるのは、嗜好品的な複雑豊満な本質を秘めているからだとおもいます。対象の情報量が少なければ第一印象はいつまでたっても変わらないものだと思います。
名もなき詩人 さんのコメント (2015/03/30) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
> で、アニメの感想はどれもかなり優しい感じですよねー。

私は基本肯定的です。強気をくじき弱きを助けるような部分があります。しろばこ肯定が何か気に入らないんですよ。裏に隠れた今の深夜アニメのいかれたアニメへの否定に見えて。

ただ私は誤った肯定はしたくないと思っています。それだけはしっかりしてるつもりです。私が誤った肯定してると思ってる人は多いです。ですが、それは円盤ビジネスの狂った部分を知らないからだと思います。こんな狂った耐性では狂ったアニメしか創れないと見ています。私がたまたま極端に退屈を嫌うのであってますけど。

> まー適度に休息&リフレッシュしていただいて、その後の第2期を楽しみにしております。

多分無いと思いますよ。言の葉の庭の評価が今の自分をダイレクトについてるからが大きいです。私今の自分が嫌いなんですよ。それはアニメをイマイチだと思ってるのに見てる自分にです。私にとってアニメを見るのは現実逃避以外の何者でもないんですよ。目を背けてるんですよ。

未来においては禁酒したいと思ってるからーってノリで話してますが、過去においてはbitさんと話したのは本当に面白い対話でした。残念なのは好みに全くシンパシーが無かった事だけですね…。これだけ似たような話題を扱うのに全く好みが違うのは驚きすらあります。アニメ入門編のような見方をずっとしてる私が逆に特異なんだとは思います。
bit さんのコメント (2015/03/30) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
おしまいとか書いてるけど容赦なくツッコませてもらおう。

な げ ぇ よ ! ! (笑)

で、アニメの感想はどれもかなり優しい感じですよねー。

後半の膨大な部分は、まぁ詩人さんも色々と思うところが鬱憤のように溜っていたのでしょうけど、内省的なところはその折々で(自分でもコントロールできずに)変容するものですから、そのあたりは深く悩みこんだり思い込んだりしないほうが良いように思いますですよ。
かくいう僕も一昨年~昨年あたりまではマグマのように何某かが溜ってグラグラしていたのですが、いまやすっかり諦めムードでございます、いや自粛モードというかね。色々と控えております。

まー適度に休息&リフレッシュしていただいて、その後の第2期を楽しみにしております。

2.
2015/03/20 「引退」 分類: その他
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突然ですが引退します。ただ評価も日記も残しておきます。次回の日記で最後です。(触れたい作品終ったら上げたいと思います)

再開の予定は?とりあえず無いです。全くの私事です。それゆえに最後の日記以降コメントも私書など送らないでください返答できません。評価はひょっとしたら投稿しに戻る事はあるかもしれません。でも一過性です。もうアニメも基本見ないと思います。

何か描きたいと思ってたのですが、いざとなるとメンドクサイの一言。

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名もなき詩人 さんのコメント (2015/03/24) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
なんというかたまに来て評価だけして終わり。それは今までの活動からすると引退に近いからです。

それに評価にくるか?もその時の気分次第なので。

最近更新がないな。そういう時にどうしちゃったのかな?とか思われるのが嫌だというのが有るので、区切りとして分かるように書いておきたいんですよ。
深淵者 さんのコメント (2015/03/24) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
お久しぶりです、深淵者です。

最近忙しくて全然これなかったのですが、やっと時間とれました、

でも実は今も忙しい次期に引っ越し決まって泣きそうでグロッキーだったりしますw

いやはや、帰ってきたと思ったらまさか詩人さんが引退されるとは・・・・・

ですが引退とかあんまりキッチリ決める必用ないと思っています、個人的に。

ぶっちゃけまた来たいと思ったり気が変わったりしたらいつでも戻ってきて下さい。(数ヶ月来なかった人間のセリフではないですがw)

私も面白そうなのは評価しとくようにします。
ではまたいつでもお越し下さい。
それでは。
名もなき詩人 さんのコメント (2015/03/20) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
まあ日記の継続やめるのとアニメ視聴多分やめると思うので、そもそも評価もやらないから。ただ実写みたらこそっと書くかもしれません。

bitさんとフェティアさんは楽しく話せたのでその点だけ名残惜しいです。
bit さんのコメント (2015/03/20) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
それは僕が困る(笑)。

「作品DB」って不思議な事に「止めます・退会します」ってのをアピールする慣習があるように思いますが(また一般的なSNSに比べて各ユーザー感の距離が異様に近い印象もあります)、僕としては「使いたい時に使い、使いたくない時にはアクセスもしない」ってカジュアルかつテキトーな感じで良いのではないかと思います。

3.
2015/03/13 同日2番目 「前の日記」 分類: 自作小説
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性懲りも無くまた描いてしまった。オールニードなんとかを見て刺激を受けて非日常空間を日常に変えてみた。そうすると逆に多くのループモノと差別化できない。それは分かっていた。書いてる内にこれABの世界観にそっくりじゃないかと。ハードボイルドアンダーグラウンドもそれで思い出してしまった。オチはあまり考えてない。多分続きは書かないと思う。

多くのループモノは脱出を軸にするけど、私はそれをモラトリアム空間に逆にしてしまった。自分の書くテーマは大体そうだから。だから脱出について書くだろう続きを書きたくない。

私は深夜アニメを好きじゃない。でもその中で一部だけ私の心に深く突き刺さっている部分がある。それがハルヒだったから。結局何が嫌いか?でその対した創造性も無いコピーに過ぎないそこが気に入らないわけで。

さてゼロ年代を何故私が嫌うか?それは大げさで何故ゼロ年代は私の愛した80年代を超えられないのか?それは非日常の舞台にあると結論付けられる。これは非常に大きな問題で、まどマギ以降SAO進撃とつながってるのはそこになる。非日常を舞台とした作品の復活。その中でしろばこだけが異色だが、これこそが私が水島監督に何が足りないのか?と問うてる部分。もちろん私は水島監督を高く評価してる。非日常っぽいガルパンもあるし。それでもアニメのクリエイターに足りないものがこれになる。異空間を生み出す創造力が無いんだ。

さて問題はそこじゃない。大きな問題は、アニメの日常空間は、現実に対して非日常空間だという事。こうなると違いがなくなってしまう。社会学系の評論家ならここでそれをそのまま受け入れるだろう。だが商売としてアニメに関わる人間はこれは駄目だ。私には関係ないが、予想をする事でその感性が磨かれてきた。日常=受け手にとっての日常的要素の延長で構成される世界。距離感でも良い。自分の生活に女子高生は居ないはやめて欲しい。あくまで非日常に対する距離感になる。何故大人向けクライムムービーや戦争映画は非日常なのか?そこにポイントがある。リスクを被らない安心感の中でのリスキーな場所への没入。これこそが非日常のポイントになる。日常作品にそういったリスクがあるか?となる。

では世界観の創造性はあまり重要じゃないのか?まあファンタジーで日常系と近い雰囲気は作れる。それはARIAが一番近いだろう。他にもリスクの調整をすればそれは日常空間に近くなる。ただ傾向として、非日常の異世界でリスキーな事は非日常感を強くするのは確か。実際女子高生の居る空間も、リスキーな舞台も受け手の現実的な生活では不足してるので根本的には同じなんだと思う。ただこのループ世界は非日常で非現実世界だが、限りなく日常を舞台にした作品に近い。

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名もなき詩人 さんのコメント (2015/03/14) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
> 村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の事ですかね?

そうです…。訂正感謝します。

> 「ノルウェイの森」以前の、初期作品に分類されそうな作品ですけど村上作品の中でも特に奇抜で偏屈で、独特の魅力がありますよね。

すごい作品です。日本は何故非日常空間を描くことに拘れる作家が居ないのか?と思います。ただHBWは2つの話しの構造になってて、ファンタジー世界は今のアニメが抱える日常作品と同じものを持っています。村上春樹なりの閉じた心地良さに溢れた世界です。私は以前から日常系とライ麦畑との類似性を話してました。フェティアさんにこれ話して置けばよかったなと思いますが、フェティアさん日常系が弱いので。日常系をサリンジャーに魅せたいなと思う部分ありますよ。ただサリンジャーならばらかもんを好むだろうなと思いますけど。

初期の村上春樹のオタク的なリードはすごいですよ。KEYなんてノルウェイの森から着想されてるのがスグ分かります。麻枝氏はHBWからヒントを得たのを話しています。見ればABすぐ分かりますから。そもそもABと類似した灰羽連盟がもろHBWのファンタジー世界から着想したものあと分かります。ただ灰羽は安寧世界への浸り感は薄いです。
bit さんのコメント (2015/03/13) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の事ですかね?
「ノルウェイの森」以前の、初期作品に分類されそうな作品ですけど村上作品の中でも特に奇抜で偏屈で、独特の魅力がありますよね。

4.
2015/03/13 「またあの頃に」 分類: 自作小説
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朝目覚めると夢を見ていたことを思い出す。意識が朦朧として目覚めたのかどうかが分からない。大人になった夢だった。でもその時は高校生の自分が夢を見てるのか?大人の自分が夢を見てるのか?が分からなかった。ぼーっとした時間の中そうか高校生の自分と大人の自分の間の記憶が無い。これで大人の自分は夢だったと分かったとすっきりした。結局その事で目がはっきり覚めて自覚が出てきて、大人の自分が夢である事が当たり前じゃないかと覚めた気持ちになってしまった。夢と現実を間違えるなんてあの時間だけの特別な体験だった。

いつものように学校に行く。そんな日常を繰り返す。そう僕(瀬野雄介)はそんなどこにでもある平凡な毎日を何気なく過ごしてた。そんな繰り返しの異変に気が付いたは誰でもそんな事を体験すればおかしいと気が付く事だった。高校生になったばかりの1年生。3月31日を過ぎると4月1日になって2年生。春休み学校に行く前にすでに気が付いていた。2年生にならない。気が付いたのは新聞からだった。そりゃそうだ年号が1年違うんだから。親にも何度も聞いた。確かに1年前に戻ってる。でも誰もその事を知らない。僕だけが戻っている。困惑したが学校に行った。2度目の入学式だった。1年経って友達になったクラスメートとともまたやり直しだ。もちろん僕は慣れずに当たり前の様になれなれしくして話してしまう。そもそも僕は1年巻き戻ってる今と言う現実を理解できてない。悩んでいるかと言えば悩んでる。親には諦めた。おかしくなったと思われるような話になってしまうから。すぐに察して自分は大丈夫のアピールでやっとそういった疑惑から解放されたのだから。逆に心配かけるからこのことは話したくなくなった。また同じメンバーと友達になった。そりゃそうだ相性が良いと言うかそうやって話が合うやつと淘汰されていった関係なのだから。逆に言えば、前の記憶から前の友達にしか話せなかった。僕の中では去年の事なのだから。

しばらくして僕はある事実に気が付いた。僕はどうやら成績優秀なようだ。なるほど当たり前だ。僕にとっては2度目の授業なのだから。テストの内容はさすがに覚えてない。でも、もしかしたら同じ問題だったのかもしれない。それとも僕が人の2倍勉強してるからなのか?とにかく簡単だった。僕は別に成績に拘ったり勉強が好きではなかったが、さすがにこれは心地良い。違和感と不安を抱えていた毎日がこれで悪くないのではないか?と思えてきた。しかし、その気持ちが3月31日が近づくとまた4月の頃の不安な気持ちに戻ってしまった。すっかり忘れていたが、1度だけなのか?って不安だ。3月31日になるまでに、そうだ寝なければ良いのだと名案を思いついた。この名案は失敗に終わったと感じる事が出来た。4月1人0時0分、一瞬だけ意識が飛んだ。もちろん確信したわけじゃない。ただ強制的に寝たような状態になった感覚を覚えた。僕はスグにネットで確認した。誰もが共有できる年号。ああやっぱりか、また1年戻っていた。僕はさすがに苦痛になってきた。本当ならもう3年生だ。だが僕は肉体の成長は変化が無い。去年慎重が戻っていたのを確認してるんだ。おそらくそうだろう。記憶と言うか意識と言うかそういったものが1年の経験とともに過去に戻ってしまう。

授業が退屈で仕方がなかった僕はこっそり2年の勉強などを始めていた。それでもこそこそ気を使ってやっていたので、それほどは進まなかったが退屈さはまぎれた。僕はもしもこの1年を抜け出せたらと淡い期待をまだ持っていた。だからその時が来た時のためと希望を持っていた。ついにテストがまるで同じ問題である事を記憶してしまった。前回気になったので覚えるようにしたから。すべてが同じと言うわけじゃないが、それは僕が違った行動を取ったら当然見えてなかった世界が見えるからと言うのもあるだろう。でもテスト問題は変わらなかった。全部同じなのだろうか?そこまで覚えてなかった。でもおかげでほとんど勉強してなくても前の学習の記憶と問題の記憶で楽勝だった。多少は復習もやっておいたし。さすがに大半2年生の勉強をしててあまりやってなかったので。同時に僕はサッカー部に入った。はっきり言って退屈してたんだ。ほんのちょっとだけ嫌な気持ちもあった。僕はもしまた繰り返してしまったら1年の最初からサッカーも上手くなるんだろうなと。でもそれは勉強の様に目的じゃなかった本気で繰り返しの1年にしたくない退屈しのぎだった。さて問題の3月31日がやってきた。僕は去年の事からどーせ起きてても同じ事なので寝た。やっぱりかと次の日の年号で分かってしまった。さてこの1年どうするか?と僕は本来なら卒業してるはずの1年の入学式に向かいながら段々この繰り返しが日常になってきた。僕はただこの年はサッカーをまた選んだ。僕は上手くなる楽しさを覚えた。一つの考えがあった。繰り返される時間を逆に利用してやろうと思ったから。もちろん抜け出したい。でも万が一だめだった場合僕はスタートラインが違いすぎる1年生に立つ事が出来た。勉強も3年生に着手していた。そしてこの年から、あまりあわなかった人間とも話していた。変化を欲していた。特に意識していたわけじゃないが、僕は繰り返しの回数を覚えていた。

6回目の1年生。かなりサッカーが上手くなっていた。僕はスポーツ万能成績優秀。そして何よりクラスメートと違うのはどこか大人びた部分だった、クラスで目立つ存在だった。大人って何が違うのだろうか?そのあたり僕は分からなかった。当たり前だったずっと1年生を繰り返していたのだから。だから僕は自分が大人びてると見られることが分からなかったんだ。言われて見て思ったがどうなだろうか?大人ってそういうものだろうか?知りたくても僕は大人になれない。結構その事がショックだった。大人になれない永遠の子供が大人びてると見られることについて。

この繰り返しの年僕は重大な転機となった。様々な人と知り合いになっていく間に僕は自分を意識してる女の子(赤井里美)の存在に気が付いた。そういえば彼女とは友達になった事がなかった。彼女自身輪が出来てしまうので入りにくかった。何故今になって意識したのか?異変に気が付いたから。彼女は孤立してる。なるほど何故今まで知り合う事が無かったのか理解した。この年の彼女は変だったんだ。おまけに向こうから僕を意識してるのがありありと分かったから。

「おはよう赤井さん」
「おはよう瀬野君」
話が続かない…。彼女が孤立してるから良いが、誰かといたらこれは無理だと分かる。そうなんだ6年も同じクラスで話す事が無かったのは過去にもアプローチして失敗してて、そこから彼女の周りには友達の輪が出来て入りにくくなってしまったんだ。もう6年も繰り返す日常に飽きてる事が僕を図々しくさせてるだけだった。何を話そう…。そういえば、まだ始まったばかりだった。良く僕の名前覚えていたな。そういうものなのか?僕は1年目特に女子の名前なんて大半知らなかった。今ではすべての人を知っている。繰り返されるため。初期条件だけは絶対に変わらないんだ。
「僕の名前良く覚えていてくれたね。僕はクラスの女子の名前ほとんど覚えてないよ」
「じゃ何故私の名前覚えていてくれたの?」
あ、たまに出るんだ繰り返してる事で生じる矛盾。これじゃ間がもたないからっておかしなこと言い始めたようにしか見えない。ただでさえ苦手にしてる人なのにどうしようかな…。
「僕の気のせいかもしれないけど、赤井さんにずっと見られてる気がして、それで気になって」
「ふーん」
また間が出来てしまった。やだな自意識過剰と受け取られたかもしれない。でも実際すごい見てるんだよな。だから話してみよと思ったんだから。ただこの事は言いたくなかった。僕だってやっぱり自意過剰だと思われるのは分かるから。でももうこういった失敗すらどうでも良いやって思う部分も出来ていた僕は変化に飢えていた。こうやって上手く行かない事すら恥ずかしさより分かりきったことじゃない刺激が上回ってる。改めて思うと僕は段々普通と言うものからゆがみだしてるかもしれない。誰にももってない特別な状況が僕の中で特別な感情を作ってしまってるから。繰り返されるいつもからの脱出を常に求めている。

僕はこの6年間で様々な事をした。別に女の子が苦手と言うわけじゃなかった。僕は無計画に楽しんでいたが、繰り返しの経験から学んだ事も有る。気軽に外の女の子と付き合ったりもしてたそれは計画的じゃなかった。ただ後から振り返ると繰り返される時間でまた0からやり直しと言うのが辛いとその時分かったからクラスの子とは不味いかもしれないと思っていたのも彼女と距離をとっていた理由も有る。ただ絶対的ルールってわけじゃなかった。だって何よりこのクラスにいる事が一番の退屈だったから。僕は何回目からクラスメートと距離を置くようになっていた。他のクラスの人間との付き合いが多くなった。皆に飽き飽きしていた。僕が彼女との接触が遅れたのはそれもある。まだ話してない人がかなり居たけど、なんと言うか外との付き合いが多くなって、そのせいでなんとなくこのクラスと距離が出来ていてもう6回目なのに僕はこのクラスの子達と深く付き合ってない人がかなりの数居たから。人間よりこのクラスでの繰り返しに飽きてるんだ。条件がいろいろあると思うが、僕は同じ友達から全く同じ会話を引き出したことがある。狙ってやった。大体相手の考えとか分かるから。100%同じ繰り返しではないが、これは結構堪えた。僕にとってこのクラスでの良く知った相手との会話はまるでゲームのようだった。ともに変化していかいので思考の幅が1年ぐらいじゃ変化する事がなかった。僕だけがどんどん変化していった。

刺激を求めていた僕は旅行なども頻繁に行っていた。時間の変化がないなら場所の変化を求めるしかないから。たてが変わらないなら横をかれればよいと。その中でバイトなどもそのためにしたけど、あるときから僕は様々なくじを買うようになった。僕がどう動くか?以外もしかしたら未来は決定してるんじゃないか?と思ってる。この6年で僕は様々な事を知ったバタフライ効果もその一つだ。どうやら僕の行動の変化はバタフライ効果によって宝くじを外す事は無い。ただ覚えるのがすごく苦労した。平方根を覚えるテクニック見たいのも読んだ事がある。おかげでますます成績が良くなってしまったのだが。様々なくじを当ててしまった後はおそらく大きな変化があると思う。僕の代わりに当たった人で外れる人が生まれてしまうから。僕の存在が離れた場所で大きな影響を生む一つだ。まだ6回目だった僕は億の当選は避けていた。万が一繰り返される時間がまだ続くならその時のために採っておきたいから。僕はおかげで様々なくじの番号を頭にたたきこんでしまっていた。僕は金には高校生としては全く不自由しなかった。彼女とのぎこちないやり取りを否定的な気持ち無しに楽しめるのはこういった刺激を求める一つだった。ただ彼女がどう思ってるか?はいずれ考えなくてはならないだろう。僕はそこまではまだゆがんでいなかった。

しばらく間が空いてさーてこの会話どうしよう?って思っていたら彼女から切り出してきた。
「瀬野君の言うとおりよ。瀬野君の事ずっと見てた。話しタイ事があるから二人だけで放課後話せない?」
うーん?どういう事だ?面倒だと思ってるけど、それより彼女とはどうも上手く話せないそっちの方がと告白かな?と僕は勝手に考えていて
「うん」
そのまま話は放課後に持ち越されることになった。放課後になり続きになったが、彼女の会話の内容はどうも僕の思っていたものと違っていたのかもしれないと気が付いた。
「いくつか質問したいんだけど。私の勘違いなのかもしれないけど、瀬野君の事をずっと見ていたのは好意とかそういうのじゃないから。どう?」
「そうなの?」
「うん。じゃ何故と気になる?」
「なる。ずっと気になってたから」
「その事はとりあえず置いておいて、質問の続きで、いずれその事多分繋がるから。瀬野君ってあんまりクラスに居ないよね?」
「うん」
「このクラス嫌い?」
「そういうわけじゃないけど」
「言いにくいかもしれないけど、理由を聞かせてほしい」
参ったな。さすがに飽きてるからと言え無いよな。君に話したのも気になったより飽きてない人だからで筋が通るんだけど。
「そういう赤井さんこそどこか浮いてると思うけど?」
「え、質問に質問で返すの…」
「あゴメン、ただ不躾な質問だったから…」
「以外とそれは繋がってるのかも知れないよ。だから聞きたくなったとは思わない?」
「そう来たか」
なんだか奇妙では有るが話しがしやすくなってきた。
「つまり自分と似たもの同士なのか?僕の考えが知りたいという事で良いかな?」
「そうそう」

実際僕と彼女は似てた。でもそれを邪魔したのは前回は違ったからだ。僕は様々な矛盾を抱えている。これもこのクラスでの会話を避けてる点だった。仮になら僕はこういう話を実は結構してた。だがそれは仮にの話であった。真実として証明するのは結構いろいろおもいついていた。3月31日にあって実は数人打ち明けてそれなりに信用してもらっている。問題はその後だ。だからって4月1日には何の意味もなくなってしまっている。1年だけの限定期間の真実なんて段々どうでも良くなってしまった。昔はドラマチックな気持ちを持てていたのだが。
「ちょっと話してみてあわないなと思ったらそれで距離が出来てしまって」
上手く話したと思う。問題はあってた人が居たのに初期の友人と話すのを避けてるから。
「合う人は居なかったの?」
嫌な質問だな。確かに僕はほとんど話してなかった。もう過去に試してるから。
「なんというか直感的に分かる?とか」
「じゃあ私はどう?」
「最初はやっぱりあわないなと思ったけど、今はちょっと話せてる。なんて言うんだろう。最初は自分達が似たもの同士だと気がつかなかったから」
「瀬野君はカンが鋭いのね」
「そうそう」
なんとも嫌な会話だ。検討外れだけど、それが僕にとって面倒が少なくて心地良いから気持ちよくなってしまう。予知できてるのをカンが鋭いと言えば言えるかもしれないけど、日本語の問題だな。

「ちょっと聞きにくいことだから答えたくなかったら答えなくて良いから。私入学テストの点数先生に聞いたら教えてもらえた。今自分が実力なのか?知りたくてね。そこで瀬野君は聞いてる?先生聞きたい人には答えてると話してたから。別に秘密にするようなものじゃないんだってさ」
え?突然だな。ただ僕は知っていた。何せ6年もいるからそういうイベントも合っただけに過ぎない。
「うん、詳しい点数は聞かなかったけど、中の下ぐらい。というかかなり下。ぎりぎりだったようだから頑張らないと僕の授業態度が気になったようで。僕あんまりしっかり聞いて無いから。不愉快だったのかな」
「でも瀬野君って小テストとか質問とかの返答はいつもパーフェクトでしょ?」
「先生の質問は分かるけど、??何故小テスト??」
「あれ後ろから集めるでしょ。瀬野君の列の子に聞いたから。瀬野君どの教科でも完璧に近いから気になったみたいで」
「ああそういう事。うんそうだね勉強してるというかなんと言うか」
「でも授業は集中してなくて起こられてる?」
あれ、何か変な会話になってきた。僕は矛盾してる気がしてる。それでも些細なことなので返してしまった。
「そりゃまあ予習復習と、後はあれは初期の頃で僕が集中して内容に見えるのは印象だけと段々先生も分かってくれた様子で今は何も言われないよ」
実際飽きてるんだからかなり適当でその年も他ごとばかりしてた。
「そっか」

「ねえ瀬野君、どうして入学式の日に傘を持ってきたの?」
ええ?
「おかしい?」
「うんどの天気予報も晴れでみたまんま快晴だった。この地域だけの小規模の突然の雨。結構強い降りだったから。瀬野君だけが傘持ってきてさして帰ったのを良く覚えてる」
「だから僕なんかカンがね」
彼女の言葉をそのまま使った。一瞬彼女が笑ったように見えた。
「あなた繰り返してるでしょ?」
青天の霹靂とはまさにこれだった。6度目の繰り返しでここまで驚いたことは一度も無かった。
「何のこと?」
実際僕はその言葉の意味が何か?を考える事が出来なかった。
「私が質問した一つ一つの事は過去同じ事を別の友達にした事なの」
「中学の?」
「ああ、前言撤回本当のあなた鈍いのね…。今まではコレで大体通じてたんだけど。もしかして心のガードと言うかそういうのが固いのかも勉強になったわ。こういうケースもあるんだ」
「私も繰り返してるの。これで通じる?」
「何を?」
「○○年の1年をずっと繰り返してるの」
「何回?」
あ思わず僕はこんな事言うつもりじゃなかったのに聞いてしまった。混乱してたんだ。僕は何故今まで隠してきたのか?そう隠す事に慣れてしまっていただけで意味なんて無かった。だから言ってしまった事もある。
「3回目」
その返答で僕はすべてが繋がった。

「要するに僕は頭のおかしい人として見られないように振舞わなくてよいんだね?」
「と言うか、このクラスじゃ当たり前の事なんだけどね」
「え?」
「世界中の人すべてに瀬野君は確認を取ったわけじゃないでしょ?自分だけだと思っていた?」
「だがそれなら誰かが言い出すはずだよ?」
「そうだから数は多くない。そしてこれはもしかしたらこのクラスだけに起こる現象かもしれない。それならありうるでしょ?瀬野君は心当たりが有るはずよ。3回ともクラスに深くなれ親しもうとしなかったから」
「ずっと僕を見てたの?」
「瀬野君自分が目立ってる事が分かってない…。1年でリセットされるからそれもリセットされるから疎くなるかもしれないね。考えても見てよ。成績優秀、スポーツ万能。その人がどこかクラスに溶け込めないでよそのクラスの人とばかり中が良い。だからってあなた冷たいって感じじゃない。適度にはクラスに溶け込んでる。だがある一定以上入り込まないようにしてる。そんなのが瀬野君を客観的に見た姿だと思うよ。そしてあなたの変なのは年々その傾向が強くなる事。前回気になってあなたのサッカー1年見てたの。私はサッカーの事は詳しくは無い。でも前回の4月上手くできなかった事が3月に出来るようになっててそれが今回の4月継続してたの。これはおかしいと思った。本来なら4月に上手くできなかった状態に戻るはずだから。私も詳しく無いから前回の4月にあなたに目を付けてなんとなく見てきた。それでサッカーに詳しい子にいろいろ聞いておかしさに気が付いていったの」
「途中で話しかけてくれても良かったのに」
「その時はそれほど気にならなかったから。瀬野君の方から避けていたからそれでよ」
「ああ、3回目か面白いね。これはゲームみたいなものなんだろうね。僕は時間が流れるのが当たり前だと知ってる。それは知識じゃない。だって僕はそうやって高校生になったから。だから今の状態が異常だとは分かってるんだ。だから僕はこれをゲームのようにそしてルールを考えてる。僕は6回目なんだ。これで多分君にも通じるのかな?」
「私の考えるゲームのルールもそんな感じであってる」
「赤井さんには3回目で話してる。その時の反応が悪かったからあんまり話しかけなかった。赤井さんは僕にとって通り過ぎていってしまった人。僕もこのゲームについて自分の状態しか知らなかったので、途中参加する人がいるなんて思いもよらなかった。僕にとっては通り過ぎていってしまった赤井さんと今の赤井さんがどう違うのか?がさっぱり分からない。想像を絶する自体だからね」

「そういえば大事な事を話してなかった。私と瀬野君の認識がずれるのは、このクラスが私と瀬野君の二人だけって意味じゃないって事だから。」
「ええ??」
「ああやっぱり、話しぶりから私が何故瀬野君とずれを感じるか?と言うと私はそのルールをすでに知っていたから。鈍い瀬野君のために話すと他にもそういう人がいたって話」
「鈍いは酷いじゃないか」
「冗談みたいなものだから…。だって私の中で瀬野君はとても頭が良い人なので。もちろん私は繰り返しによっての事は考えたけど、その確信は今得たばかりなのでイメージとしてちょっとギャップがあるんだよね」
「学校の勉強で人の知性は測れないでしょ?って自分だからそう思ってしまうのかも。もう6回目だからね。逆に言えばこれで何も分かって無かったら相当な馬鹿だよ」
「瀬野君の授業態度は私の繰り返す時の中でいつも印象に合ったから。だって瀬野君って予習復習してるように見えないから」
「まあ僕の予習復習は前回の時間だからね。実際何もしてないよ」
「その姿勢でトップクラスの成績ってそりゃ頭の出来が違うのでは?と思うから」
「なるほど、僕目立ってる?」
「だから先生にもいつも4月に注意されてるんでしょ?」
「まあそんな所」
「話が脱線したね。言ったと思うけど、居ただから。何故私が注意深くもっと前から瀬野君を見てなかったか?は、他にそういう人がいたから。坂井君と矢野さんって分かる?」
「二人だけ?」
「私が知る限りはね。それより6回も繰り返して何故瀬野君は気が付かなかったの?」
「その二人坂井は話したことがあるけど、何回目だと言ってた?それっぽい感じは全く無かった。そこから話すのやめてしまったから」
「坂井君は私の2回目の時、2回目だと言ってた。要するに私と同じだと思う」
「そりゃ無理だ最初の一年目に友達になったから。その後疎遠になってる」
「矢野さんは話してないんだよね?」
「うん、中々女子って話しにくいよ。僕も3回目ぐらいから女子にも話すようになっていったから。そこからクラスから離れるようになってしまったので。あれ何か大事な事聞いてない。居た?を聞いてない。過去形。そもそも僕は赤井さんが孤立した感じだから気になったんだから。そういえば矢野さんとか坂井とちょくちょくいたよね」
「坂井君は2回前、矢野さんは前回からで。分かりやすくいうと今年から矢野さんは繰り返した記憶が無い」
「えええ???」
僕にとってこれは衝撃だった。彼女にはもうなれたことなんだろうが、僕はこのゲームのルールがまだ良く分かって無いんだ。

「矢野さんは悲しかったけど、自体としては落ち着いて受け止めれた。坂井君の事があったから。坂井君のときは私も驚いた。何も知らずにそのまま話してて、坂井君の反応が可笑しくて。そもそも私始めてあった4月に当たり前の様に話してたから。その内容がこれだからね…。矢野さんとはその入れ替わりで。」
「このゲームには終わりが有るんだね?」
「そういう事になる」
「その後どうなるの?」
「死んだ後どうなるか?って分かる人って居ないでしょ?」
「きついな」
「坂井君のときから1年あったから考えたから。矢野さんとも何度も話した。私達も最初は抜けて出て時間が進みだすそうやって単純に考えた。でも保証がない。ただそれを思い出したのは矢野さんが行ってしまった後だけど。前回は二人で抜け出すための方法をいろいろ考えて試していた。」
「矢野さんだけが成功して赤井さんだけが残った?」
「そうだから分からなくなってしまった。私だけが失敗した辛さもあって、必ずしも抜け出ることが正しいと考えるようになった部分も有るの。あんまり抜け出す事に神経質になるのをやめたのがあるよ。仮になら止まっていた時間が動き出すとは見てるよ。要するに2年になるって事。でも不思議なものね。瀬野君が見送った私が居るわけでしょ?私が保証するけど、その私は繰り返してないよ」

僕らはファーストコンタクトとしては様々な事を話した。デモなんだろうか。僕は6回目なんだぞ?って喜びであまりこのゲームに関する事を話せなかった。とにかく嬉しい。僕にとって飽き飽きしてたこの繰り返しの生活がドキドキする生活に変わっていた。おかしな気分は有る。僕は孤独だと思った事は無い。いつも人はいた友達も居た。だけど、今ここで初めて僕は孤独だったんだと悟った気がした。喜びを知ってしまうと、僕は僕なりに肯定して楽しんでいたが今までの僕の生活が無味乾燥の生活の様に思えてしまう。

---------------- 続く ---------------------

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5.
2015/03/09 「冬アニメ中間の感想5」 分類: アニメ感想
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冬アニメ感想をまとめたものの中間発表第5弾です。今回特例でまとめ前を入れます。

「評価済み」
・冴えない彼女
こういう話ってある。確実にここってポイントがあるから良いけど、この1話では8話はすっきりした判断が出来ない。ポイントはともやが引き込まれた瞬間。ここで今回の面白さは補償された。しかし、その後のエリリとの話しがメイン。これが中途半端に盛り上がって終ってるので、この1話では面白さがすっきりしないって意味で。相変わらず地味になってるが、加藤との会話は楽しめる。

・クロアン
ちょとちょと面白くなってきたよ。中だるみ間があった。大体その謎は解けてる設定の説明回をなんだってーーってまどマギみたいに楽しめないとイマイチ。ならまどマギってすげー優秀なんじゃ?そうなんだ。実はこの手の作品って学校の退屈な授業になりがち。それをどうやって入り込ませるか?そのテクニックが展開(脚本)と演出(監督)の仕事になる。
今の面白さは互いがすぐにいがみ合ったり仲良くしたりがぐちゃぐちゃとしてたのがいよいよ、本格的ないがみ合いになってるから。元々この作品出てくる人皆が自分の方向しか向いてない。このエゴの物語がこの作品の魅力で間違いなくこれを創ったのは福田氏だと分かる。過去の作品見てないけど、監督として金銭管理がなってないから干されてると知ってるので、多分アイデア担当になったんだろう。脚本よりこれは作品のテーマみたいなのでこういうのがしっかりしてると脚本が創りやすい。ただどこかで馴れ合いみたいな部分があったけど、今回のタスクとモモかとか、クリスのノーマ殺しとかもう行くところまで言ってしまった。そしてどこかで見たようなものの寄せ集めのB級感が21話突き抜けた。エンブリオのラスボス感のすごさ。ここまですごいの見た事が無い。どれだけすごいかと言うと、タスクとモモかが命をかけて殺した相手がへーぜんと生き返る。これは犬死…。ここまで相打ちという燃える展開をこばかにしたラスボスは居ない。無駄無駄って関さんの冷やかし声が聞こえてきそう。褒め言葉で酷い展開。酷すぎて個性になってる。おそらくタスクは分かってるアンジュを逃がすためだけに自爆したっぽい。命を懸けてたったそれだけしかエンブリオには何かをなせない。はっきり言えば時間稼ぎ。ここまで圧倒的な差のラスボスってそうそう居ない。笑いがこみ上げてくるほどイカレタ強さ。これどうすれば倒せるのか?って創造できない。二人とも生きてるかもありだけどクロアンだから。

「気になる作品」
・該当作品無し

「次点」
・純潔のマリア
面白さが上がった。昇格したいぐらい。地味だったマリアの葛藤が見れるレベルに上がってきた。コレにベルナールのゲスっぷりの面白さが加わってる。ずっと思ってたマリアに実力行使すれば良いのに。教会力を持つマリアが怖かったんだ…。実際何故魔女裁判はされたか?魔法と言う力が無かったから。すげーわかり易い。絡めて使ってきてマーサを取り込んで精神攻撃にきやがった…。要するに今まで舐めプなの?って見てたら。なんだ単純に力で返されるから避けていただけじゃんと。しかもガルファ使ってマリア襲うのも自分ではやらない神父なので出来ない事なので手は汚さない。本当に汚い。後は力では戦えないので用意した薬がなんなのか?だけで。
問題点が無いわけじゃない。どことなくマリアの葛藤の描き方自体は良いけど土台が弱い。ファンタジーゆえの奇妙な立ち居地。これが上手くリアリズムと重なるテーマとして描ききれてない。ファタンジーゆえの抽象的テーマってのがSFと重なる部分。同時にファン譚ジーによって先鋭化、誇張、単純化する事で描く現実的テーマもある。これが上手く表現できてない。面白さが上がったのは現実的テーマになったから。
単純に見たら個人の我侭はやめて、皆に合わせろになってしまう。それを単純化しないのがファタンジーの役目になる。小学生のテーマと大人のテーマには共通性が有る。そりゃ人間だからだ。でも明らかに何かが違う。小学生が持つ分かりやすさと大人が持つ答えがすぐ導けない複雑さの間を埋めるのにファンタジーを使える。そこが機能が弱い。子供っぽい形にしかなってない。
これZがかなり上手くやってる。谷口監督って富野監督の弟子だったかな?ただZはそのやり方に美しさが無い。富野監督なので…。カミーユの持つ感情はもっと意味不明な所がある。逆に言えばだからこそ描きやすい。その点戦いって目的に焦点を当てすぎるとあまりに単純化されてしまう。その点UCのバナージみたいになってしまってる。カミーユとバナージでは描きたいものが全く違う。どっちかといえばマリアはカミーユに近い。個人の感情が集団の中で潰されしまうって自分のガンダム製作をそのままアニメにした作品がZだから。マリアはそこまで形が無い感情じゃない。
どこに問題点があるか?と言うともっと頭を使えば魔法を効果的に使えるのではないか?多分ここだと思う。戦いをやめさせるのが思考がストーレート過ぎる。だから感情の話しに単純に帰結されすぎてしまってる。マリアを馬鹿に描いてる?多分そこ。どんなエゴも器用に振舞ってしまえば成し遂げられるから。しろばこの平岡がもっと上手くやったら怖いんだ。しろばこの平岡はもっと深い問題だけど、手抜きと器用さを混同してる少し慣れてきた未熟な社員にありがちな落ち度だから。素直に賞賛できない器用さと言うのは社会には溢れていて、柔軟性と言って賞賛する面もあるから。所謂大人になるのはずるくなる事だって言える面もあるから。何が出来るのか?が魔法で分からないからどうにも雑に見えてしまうんだ。もちろん些細な違和感の部分に過ぎないけど。テーマを真面目に創りすぎてるから出る不満に過ぎないけど。簡単に言えば社会はナポレオンの卵が溢れかえっていて人間が勝手に思い込んだものを常に破壊するから。平岡の問題をもっと洗練された問題にするなら、巧遅は拙速に如かずってことわざに集約される。ただしこれではマリアと繋がらない。平岡って周り=アニメーターの考えとぶつかってるけど、本来ここまで高められたものならアニメーターも落ち度がある。マリアはそれぐらいは高いレベルが有るから。平岡レベル低すぎるから孤立してるだけだから。逆に言えばマリアって本来孤立しないと思うが感情より魔法の使い方が悪くて頭が悪いので孤立してると見えてしまうんだ。ファンタジーの問題点って不可能を簡単に可能にしてしまうので現実的問題が問題にならない部分がある。描写の適当さで無理矢理問題作ってる…。もちろん話が現実的なテーマになってきたから違和感があるだけで、まあ魔法は戦争をとめるための力技しかないとみてる。でもそうすると使い魔の存在とかマリアって魔法を治癒とかにつかってて単純じゃないのが違和感あるんだよな…。
これ大きな問題だな…。考えたくなるように出来てるから考えてしまって粗が見えてしまう。ファンタジーって作るの実は緻密だと難しいんだよな…。基本アニメって馬鹿にさせて突っ込ませないのが一番なんだよな。
ちょっと不味いな。良く考えるとこれ孤独に生きてきたマリアの社会にもまれる事による成長物語じゃないかも?日笠キャラがにぎやかになったと話してるので多分そういう意味あるんだろうなと見てるから。でもこれ違うような気もしてきた。そういえばジョセフがどんな形でもついていきますって言ってるから。これジョセフももう一人の主人公で所謂空っぽ。なんとなく生きてる。だからマリアのやりタイ事があるのが多分刺激になってる。考える物語ってこれが問題だ。途中の感想に意味が無い。だって全体の筋を見て楽しむものだから。上手く短期的に切り取れる部分を切り出さないとだめだ。だってそうじゃないと終わりの結末わかってみる事になるから。まどマギなんてラストのまどか見ないと全体の筋は面白くないし…。
やっぱ根本がイマイチだ。ベルナールの晴天の霹靂とも言うマリアとの対話が元々神の存在にかなりどうでも良い自分には面白みとならない…。この原作者の意図がやっぱり分からない。海外展開でも狙ってるのか?それともマリアを軸にキリスト教時代の欧州の歴史ファンタジーをやるのが目的なのか?描く特にどうでもよいからとキリスト教を無視して欧州の歴史モノは描けない。この点本格的に作ったのだろうか?分からない。もしかしたらマリアを描くのにちょうどよいからキリスト教を利用した気がする。それならすっきりする。当初はファンタジー歴史モノをやる目的のついでだと思ってた。しかしここまで来ると完全にテーマ性で描いてる事が判明する。なら9話の二人の対話はそれなりに盛り上がる場面。おそらく滑稽に描く目的だとは分かる。だがそれをやりすぎてしまうと軽薄なキリスト教批判になる。
神様を作り上げる苦労と信仰が見合わないと私は思える。ベルナールの滑稽さはそこにいきつくから。神様いらんでしょ?ってオチになってしまう。だがそれを神様がいる人の頭の中に笑ってしまうと返すのはな…。それが射るならそれに信仰の土台にしてもいいと思うから。いかんいかん、テーマ的なものに嵌ってしまってる。これじゃマリアの良さが損なわれる。このバランスの良さが魅力。それでもあのシーンがただの道化で終らせてしまうと何がしたいんだ?となってしまう。それでもドラマ性を損なわずにテーマ性に誘い込む上手さは見事。だがな、やっぱりこういう所でこの作品の根幹であるテーマ性への関心、興味と言う部分の弱さが致命的だな。かなりどうでも良いな…。たまに介入する神さまのいない・・・の方がやっぱり神様の話として関心を維持できる上手さがある。これはやっぱり駄目だな私個人においてと書くが根本的にこのテーマ入らせ方が上手くても関心への維持が困難だ。要するにそこが弱いからイマイチ。ベルナールにマリアと同じくどうでも良いよって思ってしまう。
ミカエル意外、これ迷信で片付けられるような話になってしまってる。結局マリアを描くためのキリスト教ダシじゃん…。これキャラの心情だけで見るの無理。谷口監督はいけると思ったのかな。根幹に対する関心の薄さがもろ出てしまった。これ今のままなら評価できない。上手くキャラの心情によってその当たり有耶無耶に出来ないかな…。これ日本人の宗教嫌いを逆に利用してるだろう…。どうみてもベルナール馬鹿だもんな。狙いがもしかしたらそこかな?と思ってたけど、ベルナールの描き方見てると核心に変わる。別に擁護するわけじゃないけど、この描き方はえげつないな。効果的だがずるい。そういう言葉が出てしまう。Cもそうだけどどうしてアニメってめんどくさいテーマやるとその内実は低俗な刺激を重視するんだろう。キリスト教への嫌悪と侮蔑。何か被害にあったわけでもないのに…。ただその点を無視するならマリアをキリスト教を軸にして描くのは上手い。これは素直に上手い。ベルナールが勝手に踊ってくれるからマリアが引き立つ。結局いやな話だけど、物語にはカタルシスを得るための敵が必要なんだよな…。

「その他」
・アルドノア2
終わり近くにこれで良いのかな?と思うけど、展開が激しくて状況を整理できない。それが逆に面白い。ただ見てるだけで楽しめるって私は大事だと思う。そんなの子供だましだとなるだろう。どうなんだろうな。じっくり考えて面白い作品が映像作品として正しい姿なのだろうか?小説的に見ることへの嫌悪感。
ただイナホの3機に対する撃退は面白かった。最後の機体だけ理解に苦しむ。量子状態の雲を表現してるが、それをマクロ状態で表現する技術は今は無い。それゆえ多分無茶苦茶強引な事をしてる。量子テレポーテーションはあくまでマクロの電気信号と組み合わせることで実現するマクロ機能なのですげー強引。まあだからSFってこだわったら駄目なんだよな。雰囲気雰囲気。

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・全体の感想
商品と作品に決着を付けたい。商品は極論だとは思う。ただ純粋な作品よりになる事は決して無いと思う。それが答えだと思う。先んじて回収を考えた合理的な創作って多分良くない。それってどうしても欠陥を抱えるんだと思う。それは何故か?で作品作りって根本的に無駄が正解だから。最初から無理なものを成り立たせようと思ったら絶対に捻じ曲がる。受け手は無責任だ。自分で金出さないから。良い作品とか褒めてればいいだけだから。私作品つくりなんて自分の金なら絶対に投資しない。今分かった良い作品を創りたいなら金をどぶにすてないと駄目だ。商品としての創作も絶対に作品作りの根幹はある。だからどこかで非合理を認めてる部分が有る。それは商品として創作に関わっていても絶対に関わってるはずだ。比較論で言えば組織が抱える非合理性の方が多分無駄の温床だけど…。それはそれで別の問題なので。古きよき自由さに批判的態度を取ったほうが良い。こういうノスタルジックな人って害悪にしかならないと思う。2点の問題が有る。多くの創作で創造性に溢れる作品は大体初期に出来てしまう。創作の大半は初期に終って絶滅してしまうんだ。ロックのありようは本当に面白い。ポップスに大半吸収されてしまったから。ロックがなくなったんじゃなくて、そもそもジャンルを持たないぽっぷすにロック風が吸収されてしまっただけなんだ。JPOPなんてまさにそれだろう。私はどんな形でも残れば良いと思ってる。ロックの精神生はしらん。音楽詳しくないしそこまで話し広げられない。後は歌舞伎の無理矢理残る部分。敢えて税金の話はしない。まさにここが芸術は合理的な商品になれない部分だから。歴史の長い実写はいろんな意味で参考になる。

映画は見事に2極化してる。何故漫画原作が映画化されるの?それは邦画が商品として大半機能して無いから。漫画原作って実はマシな部類だから。多くの人は映画をハリウッド邦画ってわけないと思う。映画は映画だと思う。でも実際産業として機能してるのか?謎が邦画は多すぎる。おそらく誰かが損を被ってる点が多いのではないか?と見てる。ハリウッド批判は簡単に出来る。だが衣食足りて礼節をしる。切羽詰った人間はより悪化する方向に行く。絶滅を受け入れない。作品つくりは非合理である。これを受け入れずに非合理を抱えたまま合理に走った人間の醜さ…。これが最大の問題。芸術、作品作りは無駄の産物で合理の経済活動には乗せられないゆえに維持が出来ない。つねにエネルギーを補給する動物的な存在。それに対して商品は植物的。無駄と言う餌がつきた動物は死を受け入れてくれない。日本映画で合理の輪にのってるのは商品としての性質が強い作品だけになる。そのノウハウがすべて深夜アニメの劇場化に受け継がれてる。深夜アニメの劇場化ってマンマフジ映画システムのビジネスモデルだから。日本で成功してる映画って大半商品の色が強い。それを邦画とハリウッド映画と分けられるか?違うな商売のやり方の方が重要。

商品に非合理の緩みを作れば良いのではないか?大体これが多いと思う。大企業のベンチャーと良く似たシステムだと思う。ただこれって実際は非合理を受け入れた合理に過ぎない。究極的には作品作りって前もって回収を考えられるものじゃない。だから実際ベンチャーじゃない。大体は上層部の裁量だと思う。これはね、多くの利益を生み出す大手では余剰資金が多少生まれる。これを上層部の裁量での投資の失敗を補ってくれる。それが必ずしも眼力とは言えない。良い例を出すと、幾原監督が何故作品つくりを続けてるか?不思議にならないか?となる。あれはピングドラムのときにすでに儲かるわけがないが創っても良いよと上層部が決断してるから。サンライズだとありえないと思うけど、サンライズは作品を創る人間を経営陣に入れないって方針だから。手塚の倒産を受けて創られた会社なのでどうやったら失敗するか?を知ってるから。上層部の作品愛?多分それが無いと生まれなかった作品が多々あると思う。ベンチャーとは違う。だって儲からないと割り切っても作らせるから。作品作りって回収考えたら駄目な部分があるから。でもそれは会社と言う組織の中では余剰資金でなされてるだけ、それでもこれは非合理を受け入れた合理じゃない。全くの非合理を合理によって生み出した余剰でやってるだけ。この2つ違う。例えばベンチャー的性質って若手が多いのじゃないか?と見てる。何故幾原監督は無駄なのか?もう先が見えてる人だから。若手は今はだめでも将来設けられる可能性を秘めてるから。

ベンチャー的性質の投資と経営陣の作品愛って根本的に違う。表面的には似てるけど。これは会社の方針によって違うと思う。長期的ビジョンもベンチャー的な投資と似てると思う。回収を期待しないとやらないって点。根本的に何が違うのか?企業のあり方とずれると思う。完全に作品つくりと分離された経営陣って大半の会社無いと思う。と言うか庵野監督なんてそのまんまだし。利益の前に作品自体を残す意味の方を重く置いてる会社が多々有るから。ジブリなんてこの典型例で、宮崎駿は何も考えてない。鈴木Pでさえ宮崎駿の作品を残す価値に重きを置いてる面がある。当然根底に宮崎引退後滅びがあるとすると、結局はそれは維持されるシステムの中の商品じゃないんだと思う。ジブリは商品的性質が限りなく薄いと思う。芸術が根本に抱える刹那の無駄をこれほど体現した会社も無いと思う。どっちが正しいのか?じゃない。作品としての純粋性を高めれば根本的に維持できないって話し。最初から維持しようとしなければ良い。ここが中途半端だから考えたまとまらない状況が今。維持するなら維持する方向で考えれば良いの。後は経営陣のタイプで程度が変わるだけだから。無理に作品を残すってのを必死になる必要はない。会社の性質としてアニメってどうやっても作り手上がりの社長が多すぎて、経営だけに走る人が皆無だから。ならそういった人が全滅したら?それはそれで仕方ないと思う。どういう形になるか?分からないけど、大手から独立して会社を作るので、必ず新しい会社は生まれる。じゃあこの新しい会社が生まれなくなったら?それでも程度が変わるだけ。それは上層部の姿勢を分かりやすくしただけだから。クリエイター上がりの人が上に上ってくれば大手で同じ事になる。裁量がどれだけ認められるか?で会社の組織のなりたちは重要じゃない。

裁量を無くすべきか?最小限で正直良いと思ってる。確かに私はユリ熊を楽しんでるけど、あれ全く受けて無い。作品として残すベキがあったか?それならウテナを断然押す。結局一般性が高いウテナの方が商品としての性質があると思う。全体の中で少数なら私犠牲になっても良いなと思うから。私が問題視してるのは、商品としての機能がまともなもの作れてない。こっち。正直本末転倒だと私は思うんだけどな…。商品って書くと抵抗が有る人多いけど、これ多分無知。商品と作品って、とどのつまりは娯楽性と作家性に置き換えられるから。客が楽しいものを作り手が一生懸命自分の仕事とする事。これが娯楽性=商品だから。作家性って自分が楽しいものが客も楽しいって結果論だから。さて問題は、じゃああらかじめ客が楽しいものが決まってるなら新しいものが出来ないじゃないか?とんでもない。客は飽きる。客を飽きさせなうにする事が創造性に繋がる。すごく当たり前の話してる。でもアニメって無条件で作家性至上主義の様な部分があったんだ。これに私はNOを突きつけてる。その追求は産業としての維持を拒絶する事と繋がるから。はっきり言って商品として作っていても、絶対に上層部の裁量は入り込むし、かつ商品として作っていても高いレベルで創造性がふんだんに入るから。あきさせないだけじゃない。商品としての機能さえきちんと出来ていたら後は何やっても自由なんだ。作り手の遊びをたっぷり入れればよい。純粋に作品としての価値を高めるって形じゃなくても簡単に入るから。

一部の超例外に振り回されてるけど、商品としてきちんと客を楽しませる事を出来ないアニメと製作者が多すぎるんだ。一部の例外斬り捨ててこっちをやった方が多分面白くなるから。絶対に作品としての性質が勝手に商品の中に入るから。商品を毛嫌いするような視点って私もう意味が無いと思う。何故商業主義ってこんなに嫌われるのか?ってマジで分からん。サービスの一切が自分がよかれとおもいこむモノになったらえらくきついと思う。店員が客に合わせてくれるってすげー気楽で精神的に心地良い。アニメって見てるとそれがすげー分かると思う。何故アニメが面白いのか?に間違いなくそこがあるのに、作品と真剣勝負だとか身構える人にアニメの価値を創られてしまって誰もがそれに反抗しない。何故かさっぱり分からない。結局そういったタイプは情報発信をしないからだと思う。それに尽きるんだ。私でも自分は本当は作品と真剣勝負で対峙するタイプだと思ってる。すべては能動性と受動性に集約される。数が多くないくせに何故か能動的人間の意見が世論になってしまう。これが嫌で私が書いてるが、私本質的にはね…。私は絶対に孤立する。それが分かってしまう。根本的なところで受動的になる怠惰と堕落こそが私のアニメの楽しみだから。それでも私が変に高尚に捻じ曲げられるアニメに腹が立って仕方なんだ。年齢があがってもてあます部分が増えた中年がそのもてあました部分を上手く処理出来てない。これがアニメのゆがみだと見てる。私はそのもてあましを真っ当な方向に振り向けてる。じゃあアニメから離れようとしないのか?思考停止と怠惰と堕落を分かって好きでやってる…。

ずっと書いてるのは絶対にいやな言葉にしか移らないと思うから。違うんだよな。アニメって低俗なものでそれを楽しんでるんだよな…。多分それに心当たりが有るのに目を背けてるんだよな。本心から私に反感を抱く人間はいるだろう。そもそも商業主義に対する嫌悪が混ざってるどっちが歪んでるのかって人もいるから。私が見てきた20、30年の歴史は、純粋な作品性を守る行為は下らない事を生む事にしか繋がらないって事。本当に小さな確率で希少なものが出来る事もあるだろう。だが問題大体は維持が出来ないので一過性だったり。その小さな確率のための不満が数多い点。割り切って商品として創っても多分創造性が混じるから。逆に言えば商品としての経済的合理性なんて保てない。頑張っても出来ないから問題が無い。じゃ何に対して私は拒絶されるのか?イメージだと思う。アニメを商品と言ってしまうことのイメージの悪さだと思う。確かにこれが20年前ならこの発言への抵抗が理解できる。だが今むしろ維持に視点を向けて商品形態によって創作の幅を広げたほうがマシだと見てる。それがこの20年の歴史だと思う。もう諦めよう。どれだけ書いても絶対に抵抗される。それは私自身のHNが持つイメージの悪さも重なるだろう。私としては結論が出ていて、抵抗を減らそうと言うのが無駄な努力だと思ってるから。

話題を変えて純潔のマリアが残念。ほんの少し違和感があって昇格できなかった。基本的には考えないけど。ただ考えてしまうから突っ込んでるよりも。テーマが面白いからこそもうちょっと違和感が無い形が良かった。でもこれファンタジー使わないと多分つまらない。だって日常ドラマなら簡単に描けるもので面白みが無い。結局ファンタジーがすげー不満なんだと思う。マリアってファンタジーを使って現実的ドラマでは出来ない事をたやすくこなして面白さにする。これが無いんだ。ただ出来ない事が力があるでもあんまり本人楽しくならない。ここにある。安直でも、透明に慣れたら女の子を隠れて覗くって方向にまずなると思う。やりタイ事が先にあってそこにファンタジーの力がある。戦争を辞めさせたいやりタイ事にその力が与えられる。でも実際そこから先が無い。満足が無いんだ。ほとんどの作品で得られた力の満足がある。よほど捻くれたわざと不幸になるような創り方をしないと。そこのイビツさだと思う。ファンタジーはね、現実的物語の差別化にも使えて。こっちで使わないからややこしくなってる。本来マリアのファンタジーの効果ってここにある。100年戦争をただ描くだけじゃなくて、ファンタジーによって差別化された世界を描く。ファンタジーによって得られた力を使って満足を得る作品じゃない。所謂この代表が俺TUEEE。基本的には面白いし、その面白さは間違いなく魔女だからってのがある。でも今回の上昇が上がりきれないのは、ファンタジーの使い方がやっぱイマイチ。レベルが高い文句だから本当に困るんだけど。大きく分けて2種類の使い方があるって話かな。当然2つを融合するのが理想だけど。魔法科なんてその代表だと思う。

私がどうしてここまでファンタジーに拘るか?と言うと2つ。漫画も含めて大人向けでファンタジーをきちんと扱える作品が少ないから。この作品かなり上手いし、さすがに青年誌だと思う。だからそういう視点で書いてると思う。もう一つは、アニメオリジナルだと思う。漫画は逆に青年誌でファンタジーを使うのが少なすぎてそれが不満があるから。やんじゃんは逆に多用するみたい。最近くらふとわーくすとか面白いし、鬼灯も悪くなかった。それに対してアニオリはファンタジー使わないとだめなのか?ってのが本当に安直。実写との差別化なのかな。無理に使ってる感じが強くて、作品自体が面白くなくなってがっかりしてしまう。しろばこみたいの創れるならあれでいいじゃんとおもうのだけどな。根本的にファンタジーの使い方がなってないんだよな。無理に使うような作品が多すぎて。SFも含めてアニオリのファンタジーの使い方が本当に不満。

しろばこの平岡に拘ったのあれ明らかなミスなんだけど分かるって人がすくなからず居たから。あくまで記事を読んだものだけど商品開発でコストを絡めた開発する時大体製品つくりとしては手抜きをするらしい。ここが職人気質だと苦労する部分。これが製品作りが分かって無いとただの手抜きになってしまう。致命的にナルポイントを見抜く目がやっぱりプロの目があるらしい。ここにコスト意識のプロの目が入るとどこを手抜くと安くなるか?が入る。この両方の均衡点で手抜きをして作るって独特のノウハウ教えてた。これ言葉にすると簡単だけど、やるの難しいから多分語ってる。言葉で言うのはすげー簡単だから。はっきり言ってレベル低すぎる、実際平岡ってどこでも失敗しててその結果を検証される前に会社移ってない?って見てるんだ。はっきり自分に甘すぎるから出る態度であれ分かるとか言ってたらあかんわ。手抜きと要領が良い均衡点ってもっと上のランクだから。結果出してねージャン。タローより使えるから置いてるだけだ…。社会人共感モノとしてはあれ駄目。だから成長物として見てる。若手でそういう形で描かれてないってやのちんと写った落合だけかと思う。確かに宮森が優秀だけど、タローと平岡抱えて宮森までストップしたらストーリーにならないわ。落合移籍って多分わざとだな。まるでグレンラガンのカミナだ…。宮森が優秀じゃないと話しにならないって状況に持ってきてる。かつやのちんまで途中リタイヤしてたんだ。これ今思ったら酷い状況だ。後新人2人…。落合移籍が伏線だったんだな。今になって気が付いた。結局ねすっきりした答えが出るシーンって全然対した問題じゃない。賛否両論が起きるような決着の方がより問題のリアリズムがあると思うから。これエンターテイメントのコツだからな…。何が言いたいかと言うと平岡って社会人共感よりやらかしてしまってその事後処理って物語におけるトラブルメーカー。

しろばこって悪口言いたくないけど、一つ一つのレベルがすべて低い。結局中途半端な水島監督が作ってるって良く分かる。この人視聴者たらしだわ。悪いところはすべて考えてることの水準が高くない。でも結果は面白い。この人って成功する条件モッテルだろうな。なにやらしてもこれってものがないから器用に出来てしまう可能性が有る。汎用性の有る言葉にしにくいポイントだけ滅茶苦茶抑えてる。これ実写ドラマなら人間ドラマさえ魅力があったらジャンルが違ってもなんでもそれなりに仕上げてしまえる。元医者が銀行員がそのジャンルの小説を書くってこういうケースかなりある。実写ってそれぐらいリアリズムに関してレベル高いもの作ってるから。でも実際そういうのよりとにかくドラマさえ感情移入させられてれば多少良く知らなくても乗り切れる部分がある。そういう視聴者たらしの人っている。漫画もタイプによってはそう。浦沢直樹なんてそうで、全体の筋はつまらなくてもEPごとのドラマはつい見てしまうものモッテル。だからアノ人ってマスターキートンが傑作なんだよな。1話完結の名手だと思う。でも私は浦沢直樹青年誌では破格のアイデアの持ち主だ思ってる。これ最強だな…。水島監督って発想って部分が弱いなと思う。多分ガルパンもなんとなく面白い作品なんだろうな。私あれ1話で切ったもん。アイデアにキレを感じ無いんだよな。しろばこもどうせ企画は別の人間だろ。何の業界にするか?で水島監督がアイデア出したかも知れないけど。

平岡とタローってタローの方がましなんだよな…。一見仕事できるような気がするからタローは見た目からあんなだからタローだからって形でしか参加して無いと思う。だから平岡の方が致命的になるので逆にどうしてもこういう人居るよねってならないんだよな。良くある働かないありは20%のタイプじゃない。働かないアリは邪魔にならないように振舞ってくれるからな。はたらくありとはたらかないアリの中間みたいな感じだな…。平岡に拘ってしまうのって平岡ってこれまでどうしてきたのか?があかされてなくて、このタイプなら何故会社辞めたのか?が謎になるんだ。普通に考えたら会社の輪に上手く溶け込めないからになる。でもそれむさになんだからなんだよな。だってよそに移ったらあの考えだと使えないから。今までそれでなーなーで行ってしまった会社に居たと思うのだ妥当だから。そこから外に出ようとする動機がマジ分からん。一番考えられるのは仕事と関係ないどうでも良い事で気分悪くしてやめてる可能性。仕事がどうでも良いからそこでぐっと踏みとどまれないから。これしか考えられ無いんだよな。潰れそうな会社に直感が働くならタイタニック薦めて涼しい顔やっぱ無いと思うから。なんと言うか平岡見て社会の縮図って言われると何か違うんだよな…。そもそも手抜きがばれるのがおかしいんだよな。社会の縮図なら温床となる部分がある。これすぐばれる。だって本人質とスピードでギリギリでせめぎあってる葛藤0だから。平岡が社会の縮図だとするとタローよりもっとたちの悪い例だと思う。最初のイメージと全然違う。宮森の先輩として時には手抜きでも柔軟な処理を教える必要悪の様な立場だっと思ってた。宮森って見て分かるけど生真面目だから。でもこいつ宮森より使えない…。実は平岡が若手に刺激を受けて成長する物語じゃないか?って考えを改めたから。だとするとこの人アウトって見るのが正解なんだよな。ネット上にたまにある分かるって駄目だな俺って意味なのかな?この辺りが良く分からないので。平岡に正当化する部分0だから…。当初思ってた宮森に別ルートの技を教える邪道先生じゃなかった…。

平岡みたいな奴いないってそういうツッコミじゃない。ギリギリでやってる人ってレベル高いから描くの難しいから。でも逆に言えばギリギリでやってる人って淘汰されないから必ず残ってくるから良く見かけるんだ。これ正当化して俺わかるみたいなシンパシーはちょっとずれてるぞ…。だってこれ描こうとしてるのって多分平岡の変化だと思うんだよな。これ不良少年の典型的更正ドラマだよね?平岡って否定されないとドラマが成り立たない。それにしろばこの根底に有るものが瓦解してしまうから。善悪で描かれるところのわかり易い悪だと思う。悪は当然変わらないといけないし、戒めが必要になる。今回の批判されたのがそれだと思う。本人が逆切れして分からなくなっただけだから。社長が解説として図星だよねとフォロー入れてくれてるから。根本的な部分で水島監督ってドラマの筋がシンプルなんだよな。タローの事があるから。大きく変化すると勧善懲悪臭くなってわざとらしくなるのでそれとなくかな…。平岡に拘ってるのってリアリズムとカタルシスの話しだから。ドラマって現実でもやもやするものをすっきり分かりやすくしてモヤモヤを取り除く役目がある。勧善懲悪がこの典型。これが逆に現実との乖離をもたらせて面白くなくなってしまう部分を生んでしまう。これが近代かと思う。そこからリアリズムの追求がカタルシスをもたらすのを阻害していく。特にアニメはこれが顕著で。子供向けと大人向けの扱いで、リアリズムとカタルシスのせめぎ会いが巻き込まれてしまった。んで今単純明快な俺TUEEEとか出てくる形になってると思う。実際リアリズムだけじゃない。新鮮な刺激を求めてやたらと複雑化した物語にも原因がある。

誤った事をやってきた平岡はなにかしらの?でやや改心して皆の輪に入っていくって筋書きなんじゃないか?と。平岡って多分正当化できるようなものもっていないと思う。最初私が勘違いしてたからそのずれを修正するのに時間が掛かってそれで長く書いてる。どこかで平岡に正当化する描き方してるんじゃないか?って見てしまう部分が有るから。しろばこって本当に丁寧でドラマって派手な枠が薄い。逆に言えばだからきちんとした筋書きが創ってないからトラブルでドラマ作る単調さが横行してる。でもその中で描きたいものは解決してハッピーエンドってカタルシスきちんと描いてる。いやな言い方すれば落としてあげてる。後はこれに新人がトラブルの中で成長していく姿を描いてる。宮森だって壁にぶつかってる。ただそれを頻繁に創らないだけで。おそらく宮森にとって一番の壁はどういう自分になっていきたいか?で細かいトラブルの対処じゃないと思う。それが20話の自分には何も無くても、周りの夢を補助できればって水島監督自身なんじゃないか?ってアリアの名台詞になる。ずっと批判的だった劇中劇ここで感動に近いものが合った。台詞1つで価値をあげてしまうってものすごく難しい。これに劇中劇の最大の価値である外の世界のドラマを上手く動かすがきちんと出来てる。いやな言い方をすれば平岡はリアリズムで出された人間じゃない。おそらく反面教師の先輩として出されている。だから彼は更正変化の中でしかしろばこに居場所が無いと思う。私平岡が最後会社辞めてアニメ業界やめたらすごい作りだなと思う…。水島監督の作りでそれはありえないけどね。だって木下監督なんとなくでここまで来てしまったから。安直にアニメつくりにもっと積極的に参加して変化が平岡の立ち居地だと思ってる。そうじゃなくて、アニメが好きと言うもの無しに出来ない仕事だと悟って去っていくみたいな積極的な退社って形。多分ないだろうな。これならシンプルな成長物語じゃなくて描ける。しかしだ。皆がシンプルにアニメ万歳してる中で晴れ晴れしい顔でもやっとアニメから解放されるって形で去っていく人見せられるか?となる。でも好きじゃないもの無理に好きになるって出来ないからな…。

良くある俺の平岡を返せって愚痴じゃないから…。よくいるけど勝手に創造して勝手にそれと違ったから文句言うって俺の○○はこんなんじゃないってアイドルオタの様な…。全然違うから当初からちょっとひねくれてみてただけで、直球ではこっちだと思ってた。変化球で宮森が逆に教えられるって形もあるかな?と思ってたから。だって見ていれば宮森って挫折がほとんど無いから。もう自分でいやだなと思うけど、花田先生のようなシナリオに慣れてしまったのも知れない。葛藤回来る?って思ってしまう癖がついてるんだ。平岡じゃなくて、宮森視点で見てて、もしかしてこのちゃらんぽらんな平岡が実は生真面目な宮森に良い手抜きを教える先輩って出来る人だと思ってたんだ。最初だってやたらえらそーなので、おいしんぼの山岡創造してしまった。見た目通りのちゃらいけーはくな仕事しかしない手抜きやろーじゃねーか。本当に水島監督なのか?脚本なのかひねりーねーな。だって実は平岡できる人ってどんでん返しで面白いと思ったから。もちろんそれもアリがちな邪道で、邪道の王道だよなって形だけど。釣り馬鹿がその典型で、タロータイプだけどはまちゃんそれなりに役に立ってるって描写がある。それなりにだけど…。後は当然平岡ツンデレだと思ってた…。冷たい振りして実は良い人で宮森に厳しく接してるようにして器用に立ち回るコツを教えてる人みたいな。け!途中で分かったは全くの勘違いだって。ただの子供レベルの手抜きやローを本当は出来る人なんじゃないか?って騙されていた。根拠の無い自信って怖いわ…。

平岡が若いと感じるのは、手抜きってよほど上手くやらないと、逆に2度手間になるからって学習するのだが…。この辺り会社転々としてて前の会社に負の遺産残して自分に甘いから検証して無いんだと思う。んでじゃもっと上手く手抜いてやろうとなると、そこまでやるならもう真面目にやった方が早いからって大体は悟るんだ。手抜きって実は合理化と紙一重でハイレベルにナルト高等テクニックで結局経験をつんだ能力次第になる。そこを描くのかな?と勘違いしまったので。結構合理化って手抜きっぽい部分がある。無駄を省略していくのだが合理化だけど。無駄?って疑問にナルギリギリさえ見極めるのが上の判断とかになるから。そこまできちんとした経営者数多くいるのか?疑問だけど。これ突っ込むと国家予算の使い方と民間の違いって問題まで大きくなるから。何故アニメを文化として国有化するのに少しだけ抵抗が有るか?と言うとここになる。それを民間側からひにくったのが、庵野監督の押井監督へのお金がどこからか降ってくるからって話になる。でもこれって結局程度問題で、夏休みの課題提出の手抜きみたいのに根底はあると思う。私は日本人らしくないかもしれないけど、精神性みたいのは頭回せばなんとかなってしまう部分も合って日本人ってそういうのが子供の頃単純さからあんまり変化が無いんだよな。別に私は不満じゃない。結局描きたいな物が平岡の変化で、宮森が平岡から教えられるってシナリオじゃなかったから。そんだけだと思う。このまま平岡捨てられる可能性もあるけど…。タローと違ってそれが出来ないややこしさモッテルから処理すると見てるだけで。

いやな言い方をすると、問題は低レベルなほど簡単に解決するシナリオが創りやすい。これストーリー論になるけど、ストーリーに質を持ち込むなら誰も作れないものを創れる人って優れた人になる。だが結果としてそれが面白いのはどうするのか?評価論の複雑さになるけど、受け手の反応なんて良く分からないから一切無視って考えも有るから。基本的にはそうだと思うし、基本自分が面白いものになる。だが客観性の質を問うと正しい間違ってるで判断できる俎上に載せる事も出来る話が有る。だがこれって突き詰めると科学のメスが入るって話になるんだ。科学的なアプローチがしにくいからそう単純じゃないだけで。受け手を無視した質に拘る人って大体ここに行きついてしまう部分がある。高度なもの創った時の問題点って、それがピント来なければ意味が無い。さすがに大人では居ないけど、何故文学などの賞にラノベがないんだろうか?大人はあんまり考えてない人が大半。権威に対する違和感が大半だと思う。実際はラノベの問題は大半コピペで作られてるような作品で新しい創造性なんてからっきしないから。ここに人間の心に深く突き刺さるような刺激も無いしとあわさってきて最後にリアリズムも足りないしとなる。これが前者に絡まるから。こりゃすごいなこの人かかけないわって分かっても面白いか?どうかは別。でもこれはこの人しかかけないってのはある程度客観的に判断できる。ここに心に突き刺さるがきちんとカラムとは思う。だが個性=作家性を見る面は小説だとわかりやすいけど、絵画とか彫刻などはすげー分かりにくい。シンプルに心を動かす描写の部分が無いから。だから作家性や創造性の方が重視されてしまう。受け手が面白いと思うものを無視して評価するって結局ラノベやアニメと言う大衆文化をまた無理矢理芸術性の高い文化として評価してしまうことになる。頭で考えた質が感情を動かすわけが無い。

水島監督には気をつけた方が良い。それだけは確か。誰もが認める本命馬だと思ってる。でもこの馬欠点持ってるぞ?って点。もちろん脚本の二人の問題も有る。だが凪とかたまゆらみてるともっと複雑なものこの二人描ける。別に平岡を元にそれを話したかったわけじゃない。多分ネットの平岡賛同者って勘違いしてると思うから。平岡には正当化できない面があるから逆にシンパシーが生まれると見てる。それでシンパシーを語る人がほとんど居ないから。後者でシンパシーを抱くなら良く出来てると感じてると思うけど、前者でシンパシーは無い。だってこれ平岡否定的に描かれてる面が有るから。水島監督だから単純に強く否定しないだけだから。水島監督ってあの木下監督の通りの人なんだろうな。悪人を作らない。その辺りがリアリズムを生んでるんだけど。なのにストーリーはシンプルだからしろばこって微妙に歪があって、その歪がネットでの平岡に対するヘイト圧倒的な中での微妙なシンパシー。100%平岡ヘイトにしたい平岡嫌いじゃない。ただ、これを仕事の縮図と見るのはちょっと違うと思う。中途半端な若手が通る道の縮図としてはすゲー良く出来てるけど。本当に水島監督って優しい描き方する人だな。正直100%平岡ヘイトでおかしくないと思う。ストーリーしては十分それを描いてる。自覚しにくい演出?上手いんだ。自分のモデルがタローだと言ってるから、水島監督って集団からはじかれる出来の悪い人間に優しさがあると思う。私はそれが好きになれ無いんだよな…。

水島監督って優しいと言うより甘やかす感じが強い。タローはそれですごく良かった。タローは水島監督の采配ですべて満足できて逆にこれは水島監督しか作れない魅力的なキャラ。トラブルメーカーを演じる事が多い吉野さんの最高キャラは荒北とタローだと今のところ見てる。トラブルメーカーの根っこを残したまま創られる魅力。その点で手放しで褒められる傑作の部類。キャラの創り方でヘイトされる部分を取り除くのがパターンで、この逆手をとったのが残念系。ハルヒなんてすごい典型だろう。憂鬱でハルヒアンチをたんまり生んだから。声優さんのアンチとEEの失敗も重なって2期ハルヒは印象的だった。タローと同じ論法で平岡も書いてるんだけど、ちょっとこれ違うなと思ってる。水島監督特有のカタルシスの単純なストーリーと、平岡など集団から阻害される人間のリアリズムと嫌悪しない甘さみたいのがあわ無いんだよな。タローはそれを奇跡的バランスで成立しさせてる。多分平岡は自分の中に無い。凝り性でマニアックな水島監督に平岡を描けると思えないんだわ。カタルシスの中の一つに複雑怪奇な現実に対して単純明快な答えを与える部分がある。だから視聴者と言う集団の中で平岡は叩かれる事によってカタルシスがうまれる。そこに水島監督の怠け者アウトロー的な人間への愛情みたいなものがある。これを両立させるには、手抜きの美学ってのを見せてもいいんじゃないか?と書いてる。実際怠け者に手抜きなんて出来ないんだけどね…。手抜きは極めてしまうと手抜きじゃなくなってしまう皮肉。おそらく水島監督が描き買ったものは違ったと見てる。私は最初から宮森視点だったから。違うなこれ、水島監督は最初からやる気をなくして仕事が雑になってる人間を描こうとしてるだけだと思う。それを勘違いしてる人ちょこちょこいるから書いてる。(もちろん私も勘違いしたのでストーリーはきっちり組んでるので方向性の様な水島監督の平岡周りの演出が一般的感性とずれてるので悪い)タローと平岡が仲が良いのはタローってそういう嗅覚が敏感なんだと思う。これ同類だ。

平岡をシンプルにヘイトしてたら気が付かないけど、これを私の様に勘違いしてしまう人結構居ると思う。でもストーリー的にはこれすぐに気が付く。要するに私達は水島監督の独特の人物描写に惑わされてしまっている。もちろん私が勘違いした理由は違う。私は根拠が無い自信の有る人間に弱い。だって私はそういう事が出来ないから。だから本当にすごいんじゃないか?って見てしまう。もちろんすぐに見抜く目は有る程度ある。ただその後が問題なんだ。水島監督の演出がどうも他の人と違うんだよな。何か平岡に甘いんだよな。これでどうも勘違いが綺麗にぬぐえないんだ。もう完全にアウトだから、ありえないけど、私ぎりぎりまでどんでん返しあるのでは?って思ってたんだ。実は出来る男平岡。全然違った。思ったより低レベルだった。んでその原因が演出にあるんじゃないか?と見てる。7,8割は平岡だめな奴としか思って無いと思うからくだらない話しだけどね。でも宮森視点なら宮森が上手く行きすぎるのに不満モッテル人も多いんだわ。だからってホノカみたいなのみたいとは思って無いと思う。サド的かもしれないけど、まどマギファンに絶対可愛い子が苦しむの好きなファンっているだろうなと思う…。サド的だよな。別に私はそれを望んでるわけじゃないけど、平岡初登場でそういう流れやるのかな?と思ったから。後から分かるけど、水島監督って捻りなくて面白く作るのうまい。これを分からずに捻りに拘ってしろばこ嫌ってる人いるけど。コーナー投げ分けなくても討ち取れれば良いから。いかにもトラブル起きますよって魅せておいて、実は平岡有能で宮森が逆に教えられるって変化球やるのかな?って。無かった…。水島監督は基本シンプルだわ。何故こんな長くなったか?と言うと後からこれ水島監督の演出だと気がついたから。ストーリーでそれを追いかけようとしてたから。私の混乱が原因です。

しろばこって2014年の代表作が思いつかないから2015年またいだけど加えておいた良いと思う。それぐらい意味のある作品。私はピンポンはわざと入れてる。時代がずれてる事への意味を加えてるから。寄生獣の時代に対する劣化に較べて劣化が少ないのも特徴だと思う。しろばこって2つの意味がある。アニメ製作者がファンタジーや漫画に拘らなきゃこんな面白い作品が創れるって事。そしてこれを円盤が売れたからってこのまま円盤ビジネスの中に留めて欲しくないって話。ここが最大のポイントなんだよな。売れたからそれで良いのか?こういった作品を安定的に作る事は出来ない。ここに目を向ける人が居ないんだ。最高点って考え方が無いのと、もしちょっとでもバランス崩したらこういう作品って見向きもされないから。こういう作品ってタダで見てる人はそれほど拘らないけど円盤だとちょっとでも落ちるとまるで見向きもされないと思う。働く女子シリーズとしてこれ確立できてない。もっとこれ他の物含んで出来てる。アイドルの様に働く女子物として括れるか?で苦しいと思う。私はしろばこって宮森効果あると思うけど、基本的にはアニメが題材だからに尽きると思う。円盤を売るために漫画の先端文化じゃなくて良い。これにつきる。そこがファンタジーとも重なる。萌えとファンタジーって結局同じものだと見てるから。わざと先に行かないアニメが創れるようにならないとアニメって駄目だと思う。だってアニメの先端ってアニメーションじゃないの?って思うから。何故漫画物語の先端にいかないといけないの?何度も書いてる円盤ビジネスじゃない一般向けの商売の確立。かつもうアニメ製作者に不細工でレベルの低い先端漫画アニメ創らせるのやめようよって話。ナデシコとかエヴァって当時の先端だったんだけどね…。アニメが漫画文化の先端だった時代って終ってると思う。サトタツが今の時代迷走してるの見るとうーんって思うから。モーパイだけがヒットしたのって、サトタツ原作じゃないのと、サトタツってラブコメより、SFファンタジーって軸の方がやっぱり面白いんだと思うから。

私ってこのサイト来てから好みが合うなと思ったの0に近い。話してても好みは全く違う。私の一般的なほうじゃなくて、今の深夜アニメ好みって誰とも一致しない。分からん。実際このサイトのランキングと会わない部分がちょくちょくある。中年って見るのやめればよいのにって思うほどずれてる人が多い。だって当たり前でしょ基本10代向けの作品なんだから、それを分かってて楽しむ人が居ない。何故かな?と思って考えてみると、映像系の人とは全く合わない。あれは一般人でも居ない。理由は簡単で気軽に見るで映像系の力が鍛えられる事は絶対に無いから。物語って覚えやすいから存在してる面があって絶対にまともな感覚なら人間って物語がすっと頭に入る。それで映像に目が向くってありえない。これ趣味だからってすぐに分かる。だから創り方の基本としては物語に注意しないと駄目だと分かる。次の問題はだからって小説みたいに物語楽しむ人が多い。これもアウト。それは次の物にも繋がる。実写はこれで人間ドラマにいく。何故か?人間ドラマってあんまり考える必要が実は無い…。子供は楽しむのが弱いから大人向けになってるけど、普段の生活でリラックスした会話で考え込んで会話してる人とか少ないと思うから。自然と大人なら感じられる人間同士の機微みたいのを使うので子供が楽しめない。そして最大のポイントは多分一般的人間が一番心動かされるから。簡単に感じられて、かつ考えこまなくて、効果が大きいから。そもそもドラマ以外面白部分あるの?そこなんだわ。何故中年が楽しめないか?分かった。私って退屈しなければそれでよくて感動しようとか高いレベルの感情を求めてない。退屈しなければ良い。それだけしかマジで考えてないし、かつあんまり見ながら考えない。このポイントでほとんど深夜アニメの世代間ギャップって読み解ける。私にとってアニメって気分転換が目的であって、アニメが見たくて見てるわけじゃない。なんとなくその後の整理が趣味になってしまったのが大きい。主目的は気分転換でその手段はなんでも良い。イライラを取るのが一番大きい。

私は一応趣味の部分がある。でもそれって創る事そのもので、それは多岐にわたる。それは電化製品とかでも良いとナル。もっと言うと私は人の頭の中こそが趣味でそっちの方が面白い。書いてあること見ていれば分かると思う。私がストーリー重視が嫌いなのは、専門的な仕技巧的な部分がストーリーって強い。極論を言うとここでこうして、ああーしてここでこのパターンみたいな決まりきった儀式でもよいぐらい。そこまで極端じゃない。でもストーリーだけに絞ってしまうとこうなってしまう。結局それに創造性を入れるのは発想なんだとすべて分かるから。展開とか過去のパクリでもどう組み合わせるか?はその人の創発行為になる。客観的で技巧的とは言い切れない。そもそも発想を後から出してくるタイプのストーリーも多々有る。驚愕の展開なんて大体これ。プロットとストーリーの違いが大きいと思う。ストーリーはタイミングと組みあわせの技術であり、発想とかはプロットの部分が大きい。ストーリーが技巧的、職人的になるのは、いざとなるとプロットとストーリーの分業が出来るから。構成の妙とかそのさいたるもの。私がストーリー派を嫌うのは結局ストーリー派も映像と同じで単純な客観的な正しさで判定できる話しになりがちだから。価値観の違いでどうとでもなる話を映像派もストーリー技巧派も避ける。でも実際面白いのって価値観の違いでどうでもなる部分だから。自分がいう事の正当性に拘りすぎて他人に打ち勝つ話しかしない人が多いんだ。負けてもいいじゃない?って私は思ってる。突っ込まれても良い。正直どうでも良い。本当に重要だと思う事意外話したいと思わない。

普段絵どうでも良いと書きつつ平岡駄目ってダブスタ?って違う。私それ判断するの平岡じゃないと思ってるから。確かに現場である程度質判断しないとどうにもならない。でも悪いと分かってて通すのは根本的に違う。その判断は上じゃないと出来ない。悪いと分かってて通すならそりゃもうアウトだって話し。黙っていれば?だから周りに指摘されて反論できない。正統性が無いの自分でも知ってるから。私は絵どうでもよいとおもってる。何故か?と言うと安かろう悪かろうを割り切ってるから。内容を重視して絵を落とすアニメを創るべきだと思ってるから。だがその大きな決断を平岡ごときの下っ端がするものじゃないし、チームとしてそんなコンセンサスできてないでしょ?早速もめてるしで。普通に考えたらああなる。むさにが拘りすぎなのでは?いやだからタイタニックなんて信頼されないんだ。木下監督のエクソダスのやり直しって多分わざと微妙だったかも?って見てる。他の会社ならもめてもおかしくないから、突っ込まれてるんだろう。わざと木下監督に突っ込ませたと見てるから。私から見ても水島監督のこだわりってどうでも良い部分が多い。マニアックなのは有名なので。ある程度不味いめんがあると分かったうえで突っ込ませてるからどうもキレが無い。しろばこ見てるだけじゃ素人には分からない。平岡ほどの大きな判断は平岡の立場でやったらミスにしかならない。前からもっと低予算アニメ内容重視って出来ないのか?と思ってる。ないように自信が有るなら出来るだろ?って思ってるけど。結局アニメ屋上がりって最後にはアニメーションに逃げるんだよ。最後の最後のよりどころでアニメーションになるから低予算アニメって企画できないんだろうな。どーせ平岡は上に上っても低予算でやろうって熱意の有る企画なんて出せないから。もちろんTVじゃ出来ないと思う。低予算アニメで深夜枠取るの金が高いから。

元々は低予算から始まったB級映画の位置付けのB級アニメっているとおもうけど、大体脚本のレベルが低いからってアニメではなってる。アニメは本当の意味のB級が無い。しかも中身のレベルは高く維持して、低予算のアニメーションのアニメ作ろうって話で。アニメが硬直化するのって本当は安いアニメ観単に創れるのにそこに手付けないから。でもラノベとカムリ。宣伝目的が強く入ってて、角川がそんな馬鹿な事するわけないから。角川も本気の宣伝とアニメ会社主導の宣伝があるけど、それでも劣化したアニメで宣伝されるぐらいなら多分断ると思う。実際微妙に低予算だけどね。ワールドブレイク見れば分かる。ただ全編計画的に低予算でやった方が多分突っ込まれないと思う。昭和のアニメなんてマジで酷いから…。つかー漫画も綺麗になりすぎてる。絵が上手いって上限のレベルが高くなりすぎてる。昔の漫画で絵が綺麗って言われていた人見るとそれほどじゃないレベルが多い。その人が始めて出て、そこからまた進化していくから劣化してしまう。上手いってされるからやっぱり真似されやすいから。ワールドトリガー見れば分かるけど、これアニメ化だけの問題じゃ無いと思うから。あれ原作の絵が明らかに下手だ。ただあれ低予算ってほどでもないだろうな…。根本的に下手な絵だから質が低く見えるだけでおそらくそれほどは予算削減できてない。絵が下手な漫画のアニメ化って致命的だな。こんな事いうやつ絶対に居ないだろうな。結局内容内容って言いながら本気でそこまで拘ってるやつなんていないんだよな。もちろんそんな内容どこからひっぱってくる?って大きな問題が出る。テルマエロマエみたいな奇跡的なものしかない。わざとあれはフラッシュアニメって話題性を使ってるから。低予算アニメじゃ話題性にならない。話題性なんていらない。これから定着させるものなんだから。

勝算は0に近い。問題点がかなりあるから。原作を一切多分頼れないから。原作って宣伝の意味が大きくてこれがしっかり確立されてるので今更低予算アニメ作る意味が無い。宣伝にけちるなら最初からしなければ良いから。実質アニオリだけになる。オリジナルで質の高い中身なんて期待できるか?無理。どーせ面白くも無い変わったもの作るって企画になってしまう。じゃあ何の意味があるんだ?今のアニメってどのアニメもアニメーションだけはレベルが高すぎて、これじゃ高いレベルのアニメーションが何か?って素人目には分からなくなってしまう。これが最大の問題なんだ。アニメーションの質とかべらべら話しててもそんなのマニアだけ。どれもそれなりの水準で創ってて、いちいち差を楽しみに見るわけが無い。だからあからさまな差を創っておかないと何がよいのか?が分からなくなってしまう。後はアニメーションで誤魔化したような作品創りから脱却しろって話し。一生懸命アニメーションなんて創っても何の意味も無いから。それなら平岡?だからあんな下っ端がえらそうに考える事じゃないから。しかもあいつ内容で勝負とか何も考えてないし。後は将来的かな。今はまだ良くてもどんどん制作費って高騰してて、ここ最近やっとましになってきてる。当然過去より高すぎるわけじゃない。ただ過去レベルの作画なら今低予算で創れるんだ。それをしないんだ。過去は過去の水準で高い水準の物だったけど、そんなのどんどん良くなる。だがCPUとかと違って別にアニメって最先端以外意味が無いってマズ無い。そこが根本的にズレテル。アニメの特別なポイントはここになるし、セル画特有の色むらとかないぐらい。アニメーションは使い物にならない過去のCPUと全く違う。単に慣れの問題が大きい。将来的に低予算枠を作っておくと制作費競争に歯止めがかかるから。ただこれ勝算が0の理由は円盤ビジネスではありえないから。いくら内容勝負でも下手したら漫画みたいなアニメ円盤で買う奴多分いないだろうから。

シーズンも終盤に来て未だに評価できないのってマリアだけ。あの作品地味すぎるんだよな。それは置いておいて、本当に酷い不作。冴えカノ良く知らなくて、まさかの俺修羅方式だったとは…。売り上げもこれで怪しくなった。私が売り上げに拘る割りにアイマス、艦これ無視してるのって恣意的じゃない?ってツッコミあると思う。あほか?って感じ、まともなストーリーも無いゲームのアニメ化なんてオリジナルに制約が掛かってるだけでデメリットしかない。セレクターって奇跡の作品。岡田さんすごいぞってマジ思う。あんなもの最初から見るなよって思う。そりゃ見て見ないと分からない。でも、原作って何のためあるか?と言うとストーリーをそのまま使うためあるんだよ。そのストーリー無くて、キャラと世界観だけ固定化されてるので頑張ってくださいって渡されたらそりゃもうアウトだと思う。セレクターだってカードだけはそれできちんと使ってるから。あれローゼンがゲーム的なのをそのまま利用してる。過去ローゼンの脚本で名をあげた岡田さんって有名なんだから。そりゃみりゃまどマギだけど、あれだけしっかりした世界観が構築できてるのはローゼンって土台があるからだと思う。それにキャラまで固定されててどうやって創るの…。あれだよマギで初期モルジアナが初期足にはめてたみたいなものだ。邪魔でしかない。過去ロボット物もそうじゃない?全然違うよ。ガンダムがただの戦争ものならその時はヒットしても数年でわすれされてるよ。もっと昔ってロボット愛されてた。それが今じゃロボット以外を頑張った時ヒットするアホなアニメになってる。ロボット物って正直今は枷でしかないよ。見てる人は面白いのかもしれないけど興味が無い。ラブライブでさえ2期イマイチだったから。1期でキャラに多少愛着が無かったら駄作扱いしてる。

要するに私は単純に否定してるわけじゃない。原作もやってなくてキャラに愛着ねーのに見る気ねーって話し。キャラデ楽しむのが出来が悪いアニメだと単純には思ってない。愛着わくためのプロセスふんでなくて楽しもうって頭が馬鹿なんだわ。それ無視して売れるアニメが面白いわけじゃないってしたり顔で言うのがアホ臭いだけ。実際、アニメ純粋にキャラで楽しむ作品ってどこが違うのか?ってその場でキャラに入り込めるか?の違いでしかない。それアニメの評価としてはおかしくない?だから最初から見ないの。見なければ評価しないから。原作でキャラに入り込んでないなら高確率で面白く無いから。アニメ単体でキャラに入り込んで無いと高確率で面白くないのと全く理屈は同じで、特別艦これとかがつまらんって言うわけじゃないんだ。もちろんキャラ萌え自体が特殊な趣味だってのも理解してる。ただ萌えるためのスイッチが別の部分にある作品なんて見ようとするのが不思議でたまらん。そんなの見る人間ってキャラ萌えがなんたるか?分かってないでしょ?私は分かってるから見ないんだ。良く2期で初めての人に入りやすくして欲しいとかアホなのあるけど、あれアニメじゃなくて原作が続いてる作品が大半だぞ???それイチイチ初見の人意識する?何故こんなにも敷居高いものを無理矢理無意味にさげさせようとするのか?見なきゃ良いって結論で良いのだが。蟲師なら見れるけどさ。

とりあえず今期は新作って意味でとんでもない不作。桁違いだ。より明確になった。冴えカノは売り上げは2巻からだなあの0話失敗したな。ノイタミナじゃなければあんな0話やって無いと思うから成功してた。ノイタミナにとっては必要な処置だったと思う。これからノイタミナはハードルを下げられた。その冴えカノミルの楽しみだけのシーズン。シーズンを代表して楽しむってのが冴えカノしかない。アルドノア2期とか何故不満か?と言うと、もう安定して楽しめてて新鮮さが無いんだわ。当然2クールも。しかも楽しみにしてたグールがぱっとしない。ファフナーが久々ファフナー熱わいてる感じで楽しめてる。それでも新鮮さでは極北ぐらい。マリアどうするか?分からないけど、私がこの時期まだ1つしか評価してないって…。全体でいえば、2クール目と2期ものでかなり楽しめてる。でも私深夜アニメ見てる意味って新鮮な漫画っぽい馬鹿な作品見るために見てるんだ。面白い作品って意外と求めてない。2クール目でますます面白くなったって無いのも大きい。

何故自分が変わった好みとして孤立してしまうんだろうなと不思議になる。全国にすげー数の人間がいるのに不思議。確かに数の背景以外まず無理。だって考えない面白さについて考えるって自然な流れじゃないから。でもこれ映像のオタとかって根本は同じ。じゃ何故?そこが次にナル。出鱈目と向き合うから。大体の頭の良いとされる人間って出鱈目嫌うんだ。成果を期待する。努力をしたらその努力に見合う見返りを求める。元々好みがそうなんだろうなと思う。でも好みなら絶対私の方が多いぞ??だから考えない面白さの中で私の側に来た人間は、最終的に言語化で脱落するんだ。映像って感覚的だけど、それでも技術的な部分がある。私は無理だ。そんなものさっぱり無い。間違いなく私がやってる事が一番アニメで金になる。映像なんてコストばかりかかってリターンが大したことが無い。しかしだ、逆に考えればおいしくない映像にそれだけ知性が入り込んでるってことは。私のやってる事難易度が高すぎるからなんだ。全体の物語好きは話しにならん。正直そんなの語りたいが先に立った下らない面白さだから。魅せたいだけの自己満足も良い所。分かっているが、私より上ならたいしたレベルじゃないぞ?作品にとって一番重要なものが全く話し合われないとは。実際話してはいるんだよ。2chとかの好き勝手な話し低レベルすぎてみてられない…。本人も多分分かってる。捨てHNの雑談じゃないと話してられないって。

おそらく私が根本的に謎に対して好きすぎるんだろうな…。知りたい謎がときたいって気持ちがすごく強くてアニメからの刺激の感情が抱えてる気持ちがほとんどない。多分これ居ないわ…。どれだけ自分を探っても私を突き動かすのは、今謎が知りたいだけで、何故アニメなのか?で過去強い気持ちにさせられたからそれを繋ぐ以外はほとんどアニメだからって強い気持ちは無い。直接的な気持ちはそれが好きなタイプの謎だからってのが大きい。私の根本は語りたいじゃない。知りたいと謎が説きたい。問題ならいくらでも作れるから誰か説いて欲しいと。私はアニメ漫画見ると馬鹿にナルト思う。そういう侮蔑的な視点からなのも不味いのかな?こういった低俗な部分にきがつきもせずアニメ漫画を良い趣味だと思ってる人間がいるならそんな人間正直話したくも無い。つまらんから。良いアニメって結局楽しまされるもので、自分で楽しむものじゃない。能動的に動かない人間は絶対に頭が良くならない。受身の頭の良さは限界がすぐに来る。特に個性って意味ではまるで魅力的な知性じゃない。犬も歩けば棒にあたるぐらいどこにでもいる石ころみたいな賢さ。別にアニメを馬鹿になって楽しんでも私はいいと思う。大人が子供と同じ頭の害悪を気にしなくても良いと思う。

世代間ギャップで話が終わらない点が売り上げになる。10代を中心とした世代間ギャップなら円盤の売り上げが大きく左右する今の深夜アニメの構造がおかしすぎる。これについてはまず20代こそが最大の購買層って点がポイント。10代でもない中年でもない。この世代が世論を創る事になる。この世代の中途半端さがとにかく深夜アニメの視聴者をわけわからないものにしてる。この世代どっちつかずで良く分からん好みだから。そもそも何故お金を持ってない10代なのか?これはものすごく重要で、10代をひきつけないと次の世代の購買層が断絶してしまうから。ここが大きな不満になってる。特にアニメは10代のファンを育成しておかないと、すぱんと切れてしまう。考えてみれば分かるが大人になると見る人が減ってしまうから。ここできらないからこそ繋がっていく。効率よくやるなら2種類のアニメを放送するしか無いと思う。それを分かるようにしておくと良いと思う。以前から私は10代を切り捨てるアニメを推奨してる。大人向けで創ったら多分その中で何割かは中高生が見るから。だって大人向けの実写映画とか普通に中高生の時に見てたから。問題の根底はターゲットじゃない。実は他の大人向けの映像作品との差別化になる。実際はここがポイントになる。10代中心の年齢設定は、延々と客を世代の断然無しに繋いでいくのはこれが効率が良いから。これはラノベで取られてる戦略。もう大人が最大の層だと分かってる。でも相変わらず10代をターゲットにラノベはやってる。これをやらないと断絶してしまうから。これをやらないとロボットアニメと同じ末路になる。それを聞けば絶対に今の戦略は間違って無いと分かると思うから。もちろんラノベも考えていて中年向けレーベル創ってる。だからアニメもこういう戦略をとれば良いと思うだが。

私は絶対にファンタジーを切り離したらだめだと思う。ファンタジーを切り離した作品は漫画原作で良いと思うし、アニオリでも良い。東京グールってすごく良い位置だと思う。ただあのアニメの残念な部分はバトルの創り方が子供っぽい。これはやっぱジャンプだろうなと思う。基本アクションでやればすべて大人向けに出来る。だが映像だけでバトルをやると相当レベルの高い人じゃないと面白くない。バトル文化が有るので、ただのアクション映像だけじゃまず水準が低すぎる。グールのもったいないところは本当にそこ。あれドラマは面白いのにバトルがちょっとジャンプ的に尖りすぎてる。バトル部分以外は本当に理想の大人向けアニメだと思う。ブリュンヒルデは微妙…。元々B級エログロ路線なので根底が漫画過ぎる。テラフォは触れたくない…。ただヤンジャンの路線は本当に見事だとは思う。いきなり青年誌になると現実的なドラマばかりになって退屈になってしまうから。それが悪くないけど、そればっかりの極端さが私は大人向けのつまらなさだと思ってる。この部分が大人向けで作れない部分。シンプルに発想で楽しませる漫画文化がとたんに楽しめなくなる。これじゃ10代向けを大人が見るの路線が変わらなくて当たり前。きつくいったけど、ファンタジー切り離してよい。5割はファンタジーがはいらないとだめSFを含めて。話しさえ面白ければよいので。大人向け=非ファンタジーってのがすごく馬鹿らしいので。やくざ、犯罪者とかこんな話ばかりになったらうんざりするから。

今回は以前のテーマを片付ける事が軸だったと思う。ほぼ終ってるけどトドメ。これでもう書く事無くなった。平岡が長すぎた途中かいてるけど、失敗して長くなっただけで本当はあんな長くするつもりじゃなかった。アニメーションどうでもよいのに平岡の話し矛盾してない?はこれ平岡関係ない。元々もっと上の人の話で話してるだけ。すぐに低予算アニメの話しに写ってるから。本当に平岡の話し長すぎたそれががっかり。だって長く話すような話じゃないから。後は10代向けの合理性かな。ああ今期の不作っぷりもある。他に私自身の好みの話し。これがもう一度話したいけど、やっぱり考えてみて結論の通りだと思う。私謎が軸で、実際アニメについて強く知りたいじゃない。結局私考えない面白さってアニメ以外にも大きく考えていて大衆と向き合う商品って見てる。車とかがこうならないのって高額であるのと機能があるからだと思う。だからアニメも機能で見たら機能それそのものが考えない事で生じるから当たり前なんだわ。酒とすごく似てると思う。刺激的にはたばこだけど、頭に詰まったごちゃごちゃしたものをほぐしたい。とにかく何も考えたくない。そういう時間が欲しくなるって話。後は大衆と商品って見ていくと様々なものが繋がっていく。アニメはそういった大きな枠組みの中の一つとして適当だっただけだと思う。根本は私は謎さえあればそれにのめりこむ。次にそれがアニメを超えた大枠での興味引かれたから強くなった。とにかく何故アニメだったのか?この動機が私は薄すぎる。昔は違ったそれは確か。今は良いんだ。それゆえにどんな結論になるか?根本がアニメとズレテルから、私と同じのめり込みになるはず無いって話。冷静に考えるとこれは無理だなと分かる。まあ能動的にならずに気になった答えのヒントぐらいなら書いてるからそれで見て楽しんで。それ以上は無理。これ私しか無理だと悟った。根本がアニメを超えた謎の探求に動機が有るから。

アニメの何が問題か?と言えば、成長が終ってる点。これに対して明確に視聴者の心理が変わってない点。中年だけだと思うけど。生まれた時からすでに成熟してた映画と違う。これが一番大きいと思う。アニメが一番か輝いてた時代に生まれてしまったのが運が悪かったと思う。それと比較しても仕方ない。それは自分自身とも重なるでしょ?って話で。では次の問題で、成熟期なのに頂点が低すぎる点。成熟した創作は終ってしまってる分の補償が無いといけない、だから今度は完成度で勝負する時代に来る。成長が足りなかったのか?これが甘い。最大の問題点は、子供向けはTV衰退少子化の中相変わらずそれなりに頑張ってるが、大人向けが全くなってない。その問題点の一つに中途半端な変化を重視する深夜アニメの存在にある。これ自体は悪いと思わない。円盤を売るために萌えが必要だと思ってる人がいると思うが、その根底に様々な作品を生み出す奇抜さがあるのを見過ごしてはならない。萌えが定番化して圧倒的アドバンテージを失ったのは何故か?萌え自体も変化の中で上乗せした魅力を持っていたから。その根底の部分が未だに成長を期待する人達の要請と言ったところだろう。完成度では円盤は売れない。円盤は成長こそ売れる。そこがポイントで今乖離が起きてる。だが多くの人は萌えやキャラと言う視点でしか見れないだろう。見ていればスグ気が付くはずなのだが。大人向けが円盤だけに比重を置くため成熟した創作に発展が出来ない。円盤ビジネスは分離してやっていけばよいが、何時までもこれに依存するのは良くない。どこに問題があるか?いつまでも成長する創作なんて幻想だから。幻想にすがっていてまともな商売が出来るはずが無い。

売れると面白いはあまり否定的に扱っては駄目だと思う。それは買ってる人の価値観を否定する流れに繋がるから。円盤予想の関係で売れる作品の分析をしてきて、それに意味があるのを見出せたから。私は予想をする時一般とオタク向けで分ける。この後者が購買層が純粋に重視するポイントで一般向けは滅多に売れない。たまに売れる作品はオタク向けのエッセンスを含んだものでかつ一般向けが持つオタク向けとしては嫌悪される部分を出来る限り取り除けた部分。次に一般向けでも売れる事があるその例外。それはおそらく本当に滅多に円盤を買わない人が参加してるそれだけの単純な事だろう。これでは商売が成り立たないのに未だに面白い作品が売れないって愚痴が有る。じゃあお前が買えよって一番思うんだよ。私は買わない無責任な意見は言わない。自分が金を出すだろうって点でしか意見を書かない。自分がみたい作品が売れないから創られないから売れてる自分が見たくない作品を不快に思ってしまうんだろうと見てる。一般的に面白いとされる作品が売れないのと一部の人が面白いから売れる事は両立してるので、売れた作品が面白くないのはお前がなーって事に過ぎない。文章の問題に過ぎない。じゃあ私は売り上げ至上主義じゃないか?私は多数決主義の部分がある。私は絶対的な評価基準を嫌ってるんだ。それをやるなら多数決にでもくれてやれと思ってるから平気でランキング売り上げ上位を良い作品で良いのでは?と書く。私は基本的に主観的な相対評価で絶対評価なら多数決にしてるだけ。

私は抽象的な良い作品、面白い作品って議論をする気はない。私がいつもしてるのは視聴者分析。価値を扱うものじゃない。統一的な価値観がしっかりしてた時代なら実り有る議論も出来ただろう。円盤ビジネスみたいな滅茶苦茶なやり方のアニメを字句にそんな話しくだらない。視聴率ぐらいしっかりした基準での議論じゃないと無理だと思う。だって買ってもらうのに多くの人の支持なんてどうでも良いのすげー分かってるから。特定の人間に強い刺激を与えるアニメと万人受けするアニメって価値が違う。特定の人間に強い刺激を与えるアニメは、他の人間に嫌悪されても構わない。一部の人間を選ぶために他をわざと斬り捨てるんだ。深夜アニメはそれが中途半端だから気が付かないだけ。創るほうがどういうもの創ってるか?を考えずに、絶対的なものさしでしかも抽象的な土台での価値なんて図れるはずが無い。創るほうは本音を言わないし、原作が有るものならアニメ側がどれだけ多くの人のために創っていてもどうにもならない。

平岡続きでしろばこで書くべきだったかも。年齢のせいにしたのだけ不味かった。(しかも大学卒後なので平岡30ちけ…)同期の人がすげーすっきりする事言ってた。あまりに手抜いてしまうからおとし所が無いんだよな…。うーんもちろん水島監督なのか?脚本なのか?うーん水島監督だろうなだって脚本にこれは書けないわ。だから実際私の年齢の方が近い。それでも、彼らの年で独立させたってのは意味があるんだろう。平岡いい歳の取り方できなかったな…。逆に同情してきた。21話計算してるんだろうな。同期でああいうの見せ付けられるときついだろうな。明らかに差がついてた。本人は落とし所だと思ってるんだよな。本人だけがね。当然同期で同じ製作だから皆平岡の肩もつけど、そうじゃない現場の人から見たら話しにならない。すごした時間の価値みたいのが二人と大きく差がついた。自業自得だと分かってるけど、分かってるけど、21話良かったな。自業自得だからこそ逆に同情した。やっぱり思ったとおり、これ宮森じゃないな平岡自身を描くのがメインになってる。これ結構良いキャラだ。駄目だから良いんだ。それが分かった。宮森が21話で出てきた社長から壁を与えてもらうよりこっちの方が圧倒的に良い。しかも当初私が思ってた宮森の成長まで同時に描いた…。それを平岡がやると思ってたから私は混乱してた。もっとこれ上手いわ。何が上手いかって多分これ平岡に同情する人いると思う。初期の平岡に分かる分かるしちゃだめだよ。これ平岡失敗してるから良いんだ。簡単に言えばちょっとずれてるかみ合ってない。それが同期の社長との差。

むずかゆい微妙なずれ。だから初期の平岡認めたらだめなんだ。この手の作品って別の誰かに因果の因を持っていく。でも誰のせいでもない自分自身だからマジで同期の社長見るとむずむずのもって行き場所が無いわ。実際しでかしたことが大体人間としてそれ不味いだろ?って事だから。私過去の平岡は結構どうでもよい。だってあんなのアリガチじゃん。多分そうだと思ってたから。それより同期の二人が完全には突き放してない。ここがやっぱ良いわ。長い時間で多分それはちょっと違うよってずれが大きくなりすぎたと見てる。直接過去EPとかやらずに今同期の3人の姿魅せてその差からいろいろ積み重なって言ってる事考えてる事はどこか繋がってるけど、結果何かそれおかしいわってのを上手く描いてる。私の深夜アニメに対する態度も似てるんだよな…。過去の少年時代の感動をもう一度で、初期の頃はあった。でも段々これ何か違うって気が付いてくる。失望したんだけど、同時に気楽に楽しんでる自分もいて肯定できた。ねじが一本2本抜けてて良かったでタローをそれで連想してしまうな。しかし驚いた。まさか当初私が勘違いしてた役割を平岡の同期使ってやるなんて。何度も言うけどこれ本当に上手い。別に私は自分のシナリオどおりでドヤ?なんて無い。私基本この手の自分の思い通りって驚きが無いから嫌い。だからそれをやのちん含めて上手く3人の視点から宮森に接する事でやってきたのが上手い。だってこれ宮森視点だと平岡ってあんまり必要が無い。当然宮森は反面教師的になるから平岡は必要では有る。だが重要度で言えば平岡より社長の方が何倍も重要。これやっぱ平岡をきちんと描くのを目的にしてると思ってる。宮森が平岡と相対するのって、これ平岡が上手く溶け込めない部分を解消するためだと思う。これ平岡視点で見ると宮森のおかげなんだ。一見宮森が輪に入れた話しに見える。しかしいくらなんでもそれは無いと思う。2年目の人間がアラサー社員を立ち直らせるのを軸に描かなくても良い。さすがにそれスーパー宮森すぎるわ。結果としてそうなってるけど。

書く事が無い。良い事だと思う。ここ最近すごく爆発した。何故か?わからない。今回も蛇足に近い部分があるから。わざとやってる。目的はいろいろあって。まあそれは良い。出し尽くそうと思ってる。こんなすごい爆発多分もう当分無い。多くの人はアニメに対してゴッホなどの死んだ後認められるなどの評価を求めてる。今は評価されないけど、アニメってそこまで先見性の有る作品見た事が無い。ガンダムもいろいろ言われるけど、時代がずれていたら再放送ですぐヒットするわけが無い。ああいうのは運が大きい。数年経ってだめならもうアニメって駄目だと思う。大事な事は即時的な視聴率とかはそう単純じゃない。問題は5、10年経ってから認められるって無いんだ。例えばエヴァがデビルマン漫画を参考に作ってるけど、当時から漫画デビルマンは評価されてる。それが20年後に再度寄生獣やエヴァでまたデビルマン的なものが評価されたってだけ。私は時代の先を行く評価なんて出来ないと見てるからそういった評価しない。何故か?アニメって難しく無いんだわ…。受け手もそんなもの望んで無いから。アニメで難しいもの作れるけど、アニメの受け手って基本そういうの求めてない。要するに受け手の価値観が変われば評価されるってのがそういった評価のベースだけど、確かに変わる。だが根本的に難解なものを求める事がないので、すぐ気が付かないような面白さが流行るなんてマズ無い。

じゃ何故今深夜アニメってやや特殊なのか?これは慣れがものすごく大きい。これを評価眼なんて視点で見たら駄目。門前の小僧習わぬ経を読むレベルで、適当に数見りゃ大体楽しみ方に慣れてくる。それでも変わらないのは単純に頑なに全く別の好みが支配してるんでしょ。例えば俺TUEEとか、あんなの古典的な英雄伝説にありふれてる娯楽刺激で何かすごい新しい価値観じゃない。例えばヒロイックファンタジーとか、シャーロックホームズとかスーパーパワーですべて一人で解決してしまうような作品って過去から何度も現れてる。要するに考えない面白さって数が限られるんだ。その中で何十年も先取りしたような面白さが簡単に生まれるわけないんだ。芸術として当たり前の作家性の高い作品作りがあまり有効じゃない。

また気になる作品なくなってしまった。マリアは駄目だな。他の人は楽しめるのも知れないけど。日本人ならキリスト教に対する切り口がありがちなんだよな。もう評価できないな。入り口は良かった。でもやっぱこの切り口じゃどうも楽しめない。ただマリアがどんな形で落ち着くか?がまだまださっぱり分からない。その点1クールで変化を描くってのは面白いと思ってる。宮崎駿は映画じゃ成長を描くのは苦しいって話してて、変化ならいけるとおもうが、マリアの場合成長まで行ってしまうかも。もちろん映画をリアルタイム時間で受け取らなくても良い。でもやっぱ描写不足で、1クールも苦しいとおもう。でもマリアってやっぱまだ結末に楽しみが有る。私がアニオリ嫌いがあると思う。終るアニメが大好きで、物語で終わりに価値を単純には置いてない。でも大半終わりを想定した作品を深夜アニメには無いって点がいやでたまらない。その点終わりを描くのは価値であり、その中でやっぱ原作持ちが理想では有る。アニオリの終わりってあんまり気持ちが入らない。何か練りこみが弱いんだよな。後アニメ会社がきちんと1クールで終るのを意識した濃密さを持ったものを描けない。この点は前から気に入らないから。2クールならまだ信用できるけど。マリアのために感想を最近は書いていたと思ってる。だからちょっと今回ショックだったな…。愚かな盲信者集団。この描き方ワンパターンなんだよな。

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