ダウンサイジングというより、ダウングレード。

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2019/02/11 「ダウンサイジングというより、ダウングレード。」 分類: 日々のたわごと
[この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]拍手:2個

虐殺器官(2007)、屍者の帝国(2012)、BEATLESS(2012)とSFの流れを見てると、技術の進歩とか新発見より、むしろ「人間をダウンサイジング・ダウングレードしよう」って発想のほうが先行してきてないか…?と思う。
似たようなことを考えてるのを、SF以外で見た気がする。東のエデン(2007)だ。
たしか、この作品内にはミサイルの雨で日本国のダウンサイジングを試みる官僚がいた。

---人類の進歩は大事だ。ただし、賢くなるのは俺だけでいい。
人類=俺。他全員はイエスマンNPCでいい。


まぁ、こんな発想。
要するに愚民化政策。

十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。
SF作家の残した言葉。
けど、最近のSF潮流を見るに、

十分に愚民化した読者には、どうせ科学と宗教と魔法の見分けなどできない。

こんな感じ。
…小学館の凋落を感じたの、雑誌「小学何年生」かで、過去に掲載した作品をそのまま載せてたのを見た時だった。
覚えている奴は読んでない(ハズだ)し、どうせ誰も気づかないだろ、という横着な態度。

技術進歩の費用対効果がどん詰まりなのかな…と思う。
あるいは保守点検・維持管理のコストばかり強調され、効果が評価されなくなっている?
その一方で新しいものを出せとわめく読者or出版社。
どうにもまとまりが悪い。もう少し熟考してみよう。

コメントする2個


紅葉青水 さんのコメント (2019/04/13) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
>逆に、興味深いのは~実力と自負があるのです。

これ読んで考えさせられたのですが、集合知の出現を信じているだけではなく、そこも管理しているでしょうね。気づきの確率は作品へのコミットの質量に比例するものですから、制作に関わっている大勢の関係者は視聴者よりも何度も作品世界に入り込んで知識が増しているわけで、プロアマの関係者がSNSでその解説役をかってでるのは自然なわけです。知の再分配がリアルタイムに近い速度で行われるわけです。そのためにはSNSや関係者の存在が重要な役割をしているわけですが、それだけなら零細同人作品でも条件は満たしているわけです。違いは単純に伝搬の量であり、つまり宣伝広告&連携メディアの量やSNSで話題にされる総量です。こう考えるとここで最も重要なポイントは昔から変わってないわけです。実際、SNSやメディアの拡散に触れてない層もしくは一度目にしただけで情報にそれ以上覆われなかった層のこの作品の評価は冷静なものでしたから。

>気づかなかった人の目に届いて納得させられることを
この話題で一番おもしろくなるポイントはそこだと思います。納得って何なの?何に納得するの?ということでして、単に目の前に提示される集合知に納得するという話なら、将来的にはSNSでなくても視聴端末の機能の一つとしてリアルタイムで集合知を表示する機能をつければ同じことになるわけです。その集合知に、作者の知識が直接混ざっていたり、関係者の知識が混ざっていたり、当然ありえるわけですが、それでいかに効果的に納得に至らせることができるかという話です。それとも、納得させられるのは情報の発信源が不特定多数や無関係評論家であるように見える場合だけなのか。
一番面白くなる、と書いたのは、いずれにしても作品自体を手にとった時に、その作品は情報の量を全部背負う必要がなくなるということで、それだけ表現の自由が増すということが起こるからです。登場人物にべらべらと解説させたり、ナレーターのしゃべりが被ってくるという従来の作り方は変化していくでしょう。
私的には端末が知識提供を担う方がスマートだと思いまして、その他の方法だと、不特定多数であるように見える必要があるという性格上、知識に非知識が混ざる玉石混淆状態を見せられることになったり収集を別途行う必要が出てきますよね。
蔦屋 さんのコメント (2019/02/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
>独占に気付く人間がいてはならない

「BEATLESS」(原作小説は2012年)はその典型でした。
あの世界の超高度AIは、TVの前の我々、視聴者の存在を「認識」している。
アマンドの木さんが評価で書かれたように、荒み切った社会であるはずなのに我々と変わらないかのように錯覚させる、清潔な都市空間しか映らないのは、作品の中の超高度AIが視聴者の目すら欺き通すつもりだからです。
作中世界で、悪役のメトーデの顔が遠藤夫人であることに気づいた人間は誰にも知られずに処分、hIEにされてるはずです。
そして現実世界で、メトーデ(実の母親)は「粗暴で短絡的で愚かなAIの典型」として視聴者から笑いものにされ続けます。
OPを3回も変えたり、制作スケジュールが乱れたり、人手不足以上に、多分アニメ制作側も最後の最後で気づいたんでしょう。
最終的なOPでメトーデが月を背景に優しく微笑んでいるのはエヴァの綾波レイ(主人公の母親)のオマージュだからです。
(OP3の歌名が「Truth」というのは、文字通りの意味でしょう)
まるで「サイコパス」の標本事件みたいな構図です。
原作者は「誰も気づくわけがない」、「(母親の顔すら)気づかなければすげ替えても構わない」と考えている。

逆に、興味深いのは現在放映中の「ケムリクサ」です。
この作品、一人で見ていてはまず気づきようがないキャラの挙動の意味、伏線、絵に込められた寓意、背景に見える設定を、
膨大なネット集合知、SNSによって必ず気づく人が現れること、気付いた人が情報を発信すること、それが気づかなかった人の目に届いて納得させられることを「確信」して作られている。
細部に宿る神が、検知・考察され、知の再分配までなされると制作者は「信じて」います。
しかし、ある意味、これは「BEATLESS」以上に怖い。
制作者は自分の手の内を読み尽くされることを承知で、そこから更に視聴者を誘導しようという、実力と自負があるのです。

たった6年でこの急変ぶりを考えると、怖いけど先が楽しみでもあります。

補記:少子高齢化って、要するに「集合知を発達させない」という手段なら為政者にとって最適なのでは…?
ネットの無い昔の人でもこういってました。「三人寄れば文殊の知恵」。
アマンドの木 さんのコメント (2019/02/11) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
利用可能なエネルギーが有限で、利用可能な空間が有限でなら、そこから生み出される富も有限。有限な富で利潤の無限増殖を目指そうとすれば、富の独占を進めるしかない。資本主義であれば当然の帰結です。

そのためには、独占に気付く人間がいてはならない。

現実でも、富裕層に対する減税を行い富の再配分である社会保障を削る政策を推進する大統領を、貧困層が支持するという現象が現れています。そういうのと軌を一にする流れが、文芸の世界にも現れているのではないでしょうか。


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