"良作"の価値判断(注:やたらと攻撃的)

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1.
2005/07/27 「"良作"の価値判断(注:やたらと攻撃的)」 分類: 徒然なるままに思考する
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私的な観点だが、"その作品の概要から要求され得る要素を一定以上満たし、比較的まとまりのある話を構築している"ならば、それは良作でありえる可能性があると思っている。
……この言い方だと流石に抽象的すぎるので、もっと具体的に言ってみるべきか? とも思うのだけど、上手い言い方が思いつかない。
それでも別の言い方をするならば――個人的な感情と、作品の出来栄えは、切り離して考えるべきではないか、という事だ。
北野武監督の映画に、なんかヤクザものだかマフィアものだか、そんな感じの映画が一つあった。「Brother」とかそんなタイトルだったと思うのだが、以前、それを見せてもらった時、俺はどうしてもマフィアとかヤクザとかの映画に見られる(というような印象のある)ノリとか、なんかやたら荒んで暴力的な感じがダメで、どうしてもその作品を好きになれなかった。
勧めてくれた友人の方は、その作品を随分と気に入っていた様子なのだが、俺はどうにもダメだった。免疫がないというのもあるのだろうが、感性に合わなかったのだ。
だが、しかし、"俺の感性に合う・合わない"という事と、作品としての良し悪しには、実は必ずしも関係はない。ただ、俺の感性のアンテナに引っかかるものがなかったというだけであって、あれを勧めてくれた友人にとっては、それは他人に勧めたくなるほどの良作だったという事だ。世の中にはそういう作品も沢山ある。
つまり、嫌いだからダメな作品だとしてしまうのは、単なる早計だと言うことになる。

たとえば、ナルトやワンピースは、俺の感性のアンテナにはちゃんと引っかからない。ドラゴンボールでもちょっと微妙だ。ちょっと読んだ限り、全くつまらない話という事はないのだけど、物語を俺の中に吸収しようとすると、どっかしらに齟齬が出る。「面白い。良作だ」と言い切ってしまうことに抵抗を感じるのだ。メジャー作品なんか見ていると、よくそういう傾向に陥る。
が、だからといって、それが良作でない、面白くない、という事ではない。俺の感性に十全に合わなかったというだけの事だ。作品の"クオリティ"とは、ある意味で別の位相に存在する事だ。逆に言えば、俺の好きな作品が良作であるとは必ずしも限らない。人形師の夜とか、悪魔様へるぷとか、この辺りの作品がそれぞれ良作かといえば……俺は面白いし良作だと思うのだが、一般的に見てどうなのかは判断つけかねる。故に、どれほど面白いと思っても、控えめに「良い」をつけるのがせいぜいだろう。
それが公正な判断なのかは分からないが、よしにつけあしきにつけ、疑念を抱いた事には慎重になってもいいんじゃないかな、と思うし(ただ、それでもやっぱりどうしても面白い、となったら、「とても良い」とかつけるんだろうけど)。

そこまで考えて、ふと思った事がある。
感情から出た批判は、歪むという事だ。
たとえば、「萌え狙いの作品は嫌いだ」という理由で、「悪い」以下の評価をつけている人はいないだろうか。いや、そうでないとしても、その前提に於いて全てを見ており、"萌え作品に評価すべきところなど一片もない"と、どこかで思っているという事はないだろうか。
或いは、新たなシリーズ作品に対し、「こんなものは俺の愛したシリーズ作品ではない」と、その前提に於いて全てを見ており、"そのような作品に評価すべきところなど一片もない"というような事を、どこかで思っているという事はないだろうか。
或いは現在放送されている作品に対し「昔の作品の方がよかった」とその前提で全てを見ており、"今の作品に評価すべきところなど一片もない"などと、どこかで思っているという事はないだろうか。
好きだから、嫌いだから。それだけが評価の軸になってはいないだろうか。
一言言いたい。そんなものを軸にして批判を行えば、どこかが必ず、歪む。
つまるところ、嫌悪を軸に理由を後付けしているのだから、別の作品に対し、全く同じ理由でよい評価を下している可能性すら存在するという事だ。
仮にそんな事が起こるならば、それを人は、ダブルスタンダードと言う。まあ、起こらない可能性もあるんだからこれは言っても致し方ないことだが。
要するに、感情の批判に対して、往々にして理由は後付けになるという事だ。
嫌いなものは何をやっても気に入らないし、好きな作品なら嫌いな作品と同じ事をやってもそれほど気にならなかったりする。そういう事はないだろうか、という事だ。
ぶっちゃけ、そんなことはない、と断言できる人。どれくらいいるだろうか。

結論をもう一度言おう。「個人の好みと作品の質には相関性などない」。
極論すれば、低俗でも面白い作品は存在するし、高尚でもつまらない作品は存在する。燃えが正しい訳でもなく萌えが正しい訳でもない。質が高いに越した事はないが、ヘタウマという評価だって存在する。最悪、雰囲気に即していればそれでよいという見方も出来る。
あなたが嫌いでも良作である可能性はある。あなたが好きでも、ダメ作品である可能性はある。
自分の判断を、たまには疑ってみてもよいのではないか。大体どんな作品にも、よいところと悪いところが混在しているものだと思う。いいところだけの作品なんて稀だし、悪いところだけの作品なんてもっと稀だろう。俺が褒めちぎってる作品だって、よくよく探せばきっとどこかに粗がある。多いか少ないか、見えやすいか見えにくいかの違いだろう。
以前、「嫌いな作品を誉めてみる、好きな作品を批判してみる」という質問を提案した事があるが、それは結局のところ、そういう事だ。視点を変えれば見えるものは変わる。それができるかできないかの違いしか、そこにはないのだ。
質の悪い批判者ほど観ていて呆れるものはない。何故なら彼らは、それを"しようとしない"からだ。
質の悪い批判者は、どうでもいいようなことまであげつらって嫌いな作品を作品を貶めようと(あえてこう言わせてもらいたい)する。卵が先か鶏が先かは知らないが、そうなってしまった批判者は、嫌いな作品が行う事、嫌いな作品内で行われる事全てが気に入らないのだ。だからとにかくムカツクと感じる事を論って批難を繰り返す。いい加減にしてほしい。
断定は危険だが、あえて断定する。彼らには"好きだ"、"嫌いだ"という感情がある。作品の評価においては、全てがそれに優先する。見方に拠っては――とか、この辺りはどうでもいいんじゃ、とか、そういう考え方は浮かばないらしい。
仮にそういう人種が、制作スタッフやキャラクターの行動を小馬鹿にして批判するのなら、これほど愚かしいこともないように思う。いっちょまえの論理も分別もない未熟の分際が、他人の未熟や失敗を非難する訳だ。どんぐりの背比べ。五十歩百歩。見事なくらいの低俗笑劇。

もう一度言おう。「個人の好みと作品の質には相関性などない」。
仮に批判をするならば、そのとき一番ダメなのは、「絶対にこうであるべきだ」という意固地な感情、好き、嫌いの好みだけにとらわれてしまう事ではないだろうか(好き嫌いが全てダメとは言えない)。完全にそれらを排除するのは無理だろうが、なるべくそうならないように、冷静でいる事は出来ると思う。
好き嫌いで作品を褒めちぎるなら勝手だろう。別に害はない。最悪な信者でも、せいぜいが「うざったい」で済む事だ。そういう手合に絡まれたことがないからこう思うのかもしれないが、他人の批判に噛み付いて好き嫌いを撒き散らすのでなければ、そういう手合は放っておいても問題はないと思う。
が、好き嫌いで作品を批判する輩は平然と作品を貶める事ができる。第三者に、要らぬ貶めまで事実だと誤認させる事が出来てしまう。それは害だ。だからダメだと思う。
批判をするなとは言わないし言えない。そんな資格は俺にはない。
でも、批判者とはもっと、好き嫌いとは別の位置から作品を見る事ができてもよいものだと思うのだ。
批判と罵倒と嘲弄は全然違うものだ。
一番醜いのは、批判と見せかけた罵倒と嘲弄だ。
そんなものを撒き散らすくらいなら、作品を見ないで無視でもしておいた方が誰に取っても幸福だろう。誰もそこまでして嫌いな作品を見ろなどと、他人に強制などしないのだから。
その上で嫌いな作品を見て、「やっぱりダメだこれ」と批判を撒き散らすだけなら、一番悪辣なのはそういう事をする人間の心性ではないか、とすら思う。
そんなものをしない、せめて、しないように心がけられる人間だけが、真に批判者たれるのではないかと……俺は思う。

最後にもう一度言おう。「個人の好みと作品の質には相関性などない」。これが結論だ。
一般論をえらそうに語っているだけのつもりはない。
これは戒めのつもりだ。

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クラウル さんのコメント (2005/07/30) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
ああ、なんだかすごい数のコメントをいただいてしまいました……。
がんばって返信しようと思います。
上手く書けるといいのですが……あれこれ書いてるんで、いらぬ誤解を与えたりしないかと正直ちょっと不安に思っていたり。
とにかく、がんばります。
コメントくださった皆様、本当にありがとうございましたっ!!

>グルグルネコさん
うーむ、客観性の話と捉えられているのですか。確かにそういう感じなのかもしれませんね。
実はこの文章書いたかなり後でもっと単純な言い方思いついて、それで言っちゃうと……

「好き」と「良い」を、「嫌い」と「悪い」をごっちゃにしてないか?(特に後者)

という事です。
感情を評価に入れること事態が悪いというんじゃなくて、「嫌い」という判断に従って「悪い」という内容を評価しようとするのは、どっかしら歪むんじゃないの? という事です。「嫌いだから」というところで思考停止して、単純に「嫌いなところ=悪いところ」と、無自覚に見なしちゃいないかなー、などという事なのですが……。
本文中で挙げた例示を持ち出すなら、「俺はヤクザものの映画は嫌いだけど、今回見たヤクザものの映画が良作かどうかと、俺の好き嫌いに関係があるとは限らない」という事です。その上で、「俺はこの作品が嫌いだから、悪いと評価する」となると、「悪い」と評価する為に理由を集める事になる、だから評価が歪む――とそういう流れで、「嫌い」は「ダメだ」とする理由じゃないよな、と思ったって事なんです。

>プレゼンテーション力
成程。こういう見方って確かにできますね。
万人に受け容れられる作品作りって確かに大事だと思いますし、身内ウケよりは万人ウケの方が基本的に評価は高いというのも頷けます。
ただ、「万人に受けている」状態を判断できるのか? というところが、ちょっとだけ気になっちゃいますけど(苦笑)。

>こういうプレゼンが優れた作品=個人レベルで感動できる作品も、
感動と言う要素を用いて評価は可能で、
結構大きい評価ポイントではなかろうかと思います。
ですね。仰る通りです。
「感動した」っていうのは重要ですよね(笑)。



>蒼麗さん
んー……一部、一読して解釈するのがすごく難しいことを仰っている感じなので……というか、その辺りの蒼麗さんの意見に対して自分なりの解釈を行うだけで、一回分の日記のネタができそうな按配なので、その辺りについてはあんまりたいした事言えなくなっちゃう感じで、申し訳ないのですが……。
自分の評価基準を持って作品を視聴する、それから、自分の嫌いなカテゴリーに位置する作品は見ないようにする、というのは、結構正しい鑑賞態度なんじゃないかな、と思ったりしました。

>「作品を見て世の中に愛着を持てるかどうか」
「作品に触れる事で自分の中に様々な感情や世界観や知識を得られるかどうか。
また、それによって自分の人生観が豊かになるかどうか」
なんだか……すごく高尚というか、形而上的というか……上手く言えないのですけど、いい見方するんですね。そういう作品が、沢山あるといいですね。
……正直、どこまでがそういう作品に含まれるのか、とか、この内容と、後述の嫌いな内容の作品って並立しえるケースもあるんじゃないかなぁ、とか思ってしまう俺は、ホントにひねくれてるよなぁとか思ったりしました。うーむ(汗)。



>向井大輔さん
>これはどうしょうもないというか生物学的見地から体内の物質が受け付へんねん。あかんねん。どうしょうもないです。
それが本当なら、それはそれで仕方ないといえば仕方ない事だとも思いますが(苦笑)。そういうものに触れないのが一番の療養法だという風にも思いますが。

まあ、それはそれとして……本分みたいな文章書いておいてこういう言い方するのもどうかと思いますが、別に思ったままに書くのは悪くないと思いますよ。
本文は、それで「好き嫌い」と「良し悪し」が区分できてないのはまずくないか? という主旨のつもりなんですけど、まあどんだけ正論ぶったって一論客の一意見でしかないですからね、こんなものは(苦笑)。
不愉快なようでしたら、どうぞ気にせずにおいてください。



>蔦屋さん
アニメ版「鋼の錬金術師」の評価欄をある程度以上通読してるという訳じゃないので(多少読んだけど、随分前に読んでそれきりだー(汗)、その評価が"そういうもの"なのかは判断つけかねますが……その可能性はあるんじゃないかな、くらいには思います。

エログロは結構扱いが厄介と言うか、「どこまでならいいのか?」みたいなのがちょっとよくわかんないんですよね、俺は……。
ご飯時のアニメでグロやっちゃいけないっていうなら、「ドラゴンボールでフリーザが両断されたシーンとか、セルが自爆するところのシーンはグロくないのか?」という反証ができて、それがOKだというのなら何故それはOKなのかというところまで反論して欲しいと思うし、NGだというならそういう評価をきちんとしてほしいな、という言い方もできちゃうんですよね。
こういうダブルスタンダードか否かの立証反証も面倒ですけど。

ちなみにアニメ版「鋼」の表現については、「グロはきついかもしれんけどあれはあれであり。ロゼが暴行された云々については、暴行シーンが流れてるわけじゃないんだから(そんなもん流れるわけないけど)あれで問題ないんじゃ?」というのが、俺の現時点の見解です。



>日向一真さん
>しかし、ここは個人からの評価を集める場所。
最初はそういう目的ではなかったようですが、こうして評価を募る以上は、意見がばらつくのも当然であり、ましてやプロでもない我々だ。否応無く、主観が入る。
プロの評価でも、やっぱり主観は入るのではないかな、と思ったりします。面白いつまらないだけなら、大部分は感性の問題ですから。
でも……そうなんですよねぇ。ここで評価をしている人は、あくまで一視聴者で、素人で、だから素人なりの意見が集まるっていうメリットもあって……大体、俺自身、自分で言った事をちゃんと実行できてんのか? とかなると、情けない話ですが正直言って自信ありませんし。
でも、明らかにちょっと考えれば別の解釈可能な事を言葉尻だけとらえた批判を見たり、好き嫌いと質の良し悪しの判断がごっちゃになった評価を見たり、なんかどちらかといえばどうでもよさそうな事を(その人にとっては重要なのかもしれませんが……)批難したりしているところを見て、そういう批判の中で制作者の批判や製作者の人格批判や今の番組への批判みたいなのをしているのを見ると、どうしても「何なんだろうなぁこれ」と思ってしまうのをやめられなかったのですよ。
好きは好き、嫌いは嫌いでいいけど、せめてもう少しくらい、"作品"と真摯に向き合ってみてもいいんじゃないかなぁ? とか。客観的な思考っていうか、それ以前にもっと、視聴者側の鑑賞態度にも問題ありゃしないか? と思う事さえあったので……。
この文章書いた原動力って、そういううじゃじゃけた感情からって部分もあるんですよね、結構……。

意見に賛成いただけるのは、それでもやっぱり嬉しいし、ありがたいな、と思います。
本当にありがとうございます。
場末の一意見ですけど、ちょっとでもなんかの足しになったらホント嬉しいです。
日向一真 さんのコメント (2005/07/29) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
戒めではありましょうが、あくまで自身の意見を。

ここでの評価は、所詮は素人のやること。
どんなに頑張っても、主観とか、感情として受けた印象からは逃れることは出来ないと思います。

鋼(アニメ)に関しても、これは主観から気持ちの悪さを悪く評価しましたが、それは当然で、
リアルタイムで観ている状態では、血ならばまだしも(多いとはいえ、これは仕方なし)、内臓器や赤い石の嘔吐がバンバン出てくるものなんて、その後に控える食事を前に、とても観られたものじゃないでしょう。主観だろうと、客観だろうと。
だがしかし、流石に深夜放映だと、問題は無く思いますがね。

そして今回の話題。
「個人の好みと作品の質には相関性などない」
作品自体の評価に関しては全然関係ないのも確か。
そういう意味では、評価というものを読む上では、客観重視の物を見るほうが圧倒的に面白いのも事実。
「評価」というものを考えることとしては、その意見は間違いではないでしょう。

しかし、ここは個人からの評価を集める場所。
最初はそういう目的ではなかったようですが、こうして評価を募る以上は、意見がばらつくのも当然であり、ましてやプロでもない我々だ。否応無く、主観が入る。
もしも、こういった場所で客観で無ければ意味がないというのであれば、必然的に好評か不評か普通かの、いずれかしか意見が無いことになるでしょう。


結局、少なくともこういう場では客観的な思考で挑むことは難しいと思う訳です。残念ながら。
しかしながら、私はクラウルさんの意見については賛成する方であり、最近は特にその傾向になりつつあります。
蔦屋 さんのコメント (2005/07/29) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
(クラウルさんのおっしゃる事と少しずれる話かもしれませんが)

>要するに、感情の批判に対して、往々にして理由は後付けになるという事だ。

・・・「鋼の錬金術師」(アニメ)で不評意見のほとんどがこれにあてはまるという気がするのは自分だけでしょうか。グロテスクとか流血とか。あとロゼが暴行されたとわかったときのエピソードも悪評が高かった。
個人的には「殺し合い」や「戦争」を何だと思っているんだ、という気がしますが。
監督・脚本家の方々が非難されてますが、単に「正直」なだけだと思うんですが。
むしろ真剣で真面目なのでは?

・・・なんかわけのわからん愚痴みたいな文章になってしまいました(汗)。

駄文失礼しました。
向井大輔 さんのコメント (2005/07/29) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
>「萌え狙いの作品は嫌いだ」という理由で、「悪い」以下の評価をつけている人はいないだろうか。

はいそうです。これはどうしょうもないというか生物学的見地から体内の物質が受け付へんねん。あかんねん。どうしょうもないです。

まぁ↑のことはほぼ、流して、あんまり、深く考えて書いたことないな。そういうこと。思ったままに書いてるよ。それが一番だとおもうからね。
蒼麗 さんのコメント (2005/07/28) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
例えば「アニメ」の媒体の場合、

「作品を見て世の中に愛着を持てるかどうか」

「作品に触れる事で自分の中に様々な感情や世界観や知識を得られるかどうか。
また、それによって自分の人生観が豊かになるかどうか」

は強く意識します。

よって、最近のアニメにあまりにも多い

「相手の立場に立てない自分勝手を押し通す。そういった作品を見て、世の中が嫌いになる」

「特定の党の考えのみを賛美し、他の考えはその党より下だと教え聞かせて触れ回る。考えに従わない者は作品を見るなと強い集団力による苛め行為同然で追い払ってしまう」

「観客を「数」でしか見ない。作品が、客立場を一人の人間としてみる余裕がなく、常に数勘定
の数学的な世界でしか動いていない」

こういう物は、出来る限り今現在は「見ない」心掛けもしています。

何故か、と言うと、

「もし、15年20年経ってもそういう一部の党の物の考えが
有効で、まだ続いているとしたらいずれその時間を許せる時が来るかもしれない。或いは、また別の者が世の中を動かしているかもしれない。いずれにしろ、今の自分は他人の人生に振り回される為にアニメを見てるのではない。誰々の人集めのやり方が正しいかどうかでアニメを見るつもりはない」

おそらく、自分と相手の双方の利害が一致せずに凍結状態になっている。

だったらどうするか、「無理に従わずに来るべき時を待つのも手ではないかな」と。

______________________________________________________

ドラゴンボールは色々「完璧ではない」面もあれど、「娯楽アニメ」としては
概ね、誰が見てもスカッと気持ちよくなれる。
そういった物は満たしているんじゃないかな。
だから、国内を越えて世界中でも支持されるアニメに成長したのではないかなと
DVDを見て改めて思いました。

「特定の党」とは、この場合例えば「日本人」或いは「人間」といった存在を指す事も可能になる。

もし、ジブリが

「国内のみで賛同を集められればいい」

方針の作品を、日本人ではない海外の「誰か」に見せれば、
その作品は「ジブリ党」主体であると同時に、「人間党」主体の意味にも置き換えられないか。

ちょっと難しいですが、ドラゴンボールをじっくり見て。
例えば悟空が猿と戯れ、リンゴを美味しそうに食べるシーンを見て、そんなことを思いました。

私としては、ドラゴンボールも含めて、

「世の中、自分と、自分以外の様々な人間や動物や自然があって成り立っている」

そういう、「人間観主体」で終わらない幅広い世界観を見せてくれるアニメを楽しみたいです。

ではでは。長文、失礼致しました。
グルグルネコ さんのコメント (2005/07/28) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)]
批判するときに、嫌いな作品はボロクソに書いていると思うので、
後半は結構耳が痛い話です。

えーと、読んでていろいろ思ったので、
僕の意見を述べたいと思います。

「個人の好みと作品の質には相関性などない」
と言うのは、間違ってはいないと思います。
個人の好みとは、その人の趣味感性など成長する過程で構築されたものであるので、
作品の質がよくても、その作品の受け取り方はさまざまでしょう。
受け取り方はそれこそ人の数だけあると思います。

んー、多分僕のいっていることは、クラウルさんの言いたいことではないでしょうね。
クラウルさんは、主観ではなく客観的な評価こそが大切と言っているのではないでしょうか。

それについては、僕は半分賛成で半分反対ですね。
賛成の部分を述べますと、
自分の好みをもって作品の質が悪いとか、作品を良作とする人を非難するのは、(実に耳が痛い)
間違いで、質などを評価するときは客観性こそが大事だと思えます。
一方反対なのは、
それほど、人間の感情を作品評価に入れないと言うのは、エンターテイメント性を求められる作品を評価するときに大事なものが欠けているような気がします。
個人的に見ても面白いと言えることも、評価としてすごく大事なことなのではないでしょうか。

僕が思うに(受け売り)、作品にはプレゼンテーション力が大事だと思います。
要するにあらゆる人に受け入れられる能力を持つのは評価するときには大切なものだと思います。
すべての人に、は不可能ですが、誰にとっても気に入れられる作品は、それはそれですごいものだと言えます。
例えていうと、
身内でうける笑いより、万人にうける笑いのほうが遥かに(作品?として)評価できる、と言うことです。(違うか?)

プレゼン力が高いため受ける作品では、宮崎さんのアニメが言えそうです。
窓口が広い。子供から大人まで、って言うやつです。
しかし低俗かといえばそうではない、
深読みすれば、また違った印象をもてると言うの能力も宮崎アニメは持ってます。
まあ、これはひとつの例ですが、
こういうプレゼンが優れた作品=個人レベルで感動できる作品も、
感動と言う要素を用いて評価は可能で、
結構大きい評価ポイントではなかろうかと思います。

著しい駄文失礼。。。。


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