[アニメ]STAND BY ME(スタンド・バイ・ミー) ドラえもん: 2014/08/16 ボルケイノ鈴木


すたんどばいみーどらえもん / STAND BY ME DORAEMON
  • 友情
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藤子F不二雄生誕80周年ということで、ドラえもんの素晴らしさ
ーー殊更に、ドラえもんがいる児童期、いた児童期の尊さーー
を再認識しようという試みが本作である。
なので、劇場版ドラえもんではあるものの、大長編のように異世界を股にかけた大冒険はせず、
あくまでもドラえもんのいる「日常」にスポットライトを当てた話となっている。

ドラえもんのいる「日常」に起承転結を与えるために「しずちゃんとの結婚」を話の核としつつ、その過程で「ドラえもんとのび太が友情を確固たるものにする」というものが大きなストーリーラインとなる。

のび太としずちゃんの結婚
のび太とドラえもんの別れと再開という
最早ドラえもんを観るうえで常識である要素を組み合わせることで、その魅力を再認識しようというこの試みは、
【藤子F不二雄氏が連載を続ける中で獲得した結論】を早足でリピートすることと同義であり、相応の見応えがあるものとなっている。
この【結論】というものが、のび太の駄目っぷりをそのままに、マドンナをものにする成功者として描く【駄目だからこそ、未来がある】というメッセージである。
未熟だからこそ懸命に生きることができるし、懸命に生きることができるからこそ、近くで見ている者の心を撃つことができるという、不二雄先生らしい優しい主張が、かつてのどの大長編よりもありありと伝わってくる。
商業的に間違いなく成功するだろう。
ドラえもんが持つ魅力もさることながら、
ワンピースよろしく【ドラ泣き(=心根の優しい人間なら「好き」に違いない)】という、ある種強迫的に「好き」と言っておきたくなるようなファッション性を含んだ作品となっている。
それだけに、ひたすらに【綺麗なジャイアン】ならぬ、【綺麗なドラえもん】を見せられることになる。
鑑賞の中で私が引っかかったのは、露骨なまでのお涙頂戴というよりは、
ドラえもんの綺麗な部分のみを切り取り、【これぞドラえもんの真髄】とばかりに【ドラえもんがいる日常】を語ってしまったことである。

そもそも、ドラえもんという作品自体、子ども社会の酸いも甘いも含んでおり、必ずしも甘美な夢物語ではない。
ドラえもんを除くのび太やしずちゃん、ジャイアンやスネ夫他のキャラクターたちは、
作劇の中で、子ども社会の生々しさを記号的に配置した結果であるという逸話も有名である。
クラスに1人はいる、【何をしても駄目な子ども】の象徴であるのび太、
彼らを積極的に遊びに誘い力を誇示し続ける【ガキ大将=今で言うスクールカーストの上位者】ジャイアン、
その力に巻かれるように処世術で被害を最小限に抑える【腰巾着】スネ夫。
彼らとはコミュニティが違うために、ボス格に対しても物怖じせずに持ち前の優しさからくる正論を突きつけることができる【優等生】しずちゃん。
この現実味溢れる四者の間で巻き起こる生々しいドラマに、ドラえもんというトリックスターが介入することで、たちまち少し不思議で魅力的なストーリーができあがるのだから、「ドラえもん」はもはや発明ともいえる。

話が逸れてしまったが、要は長年愛され続けてきたが故に「ドラえもん」という作品は、【泣ける】という以外の魅力を数え切れないほどに持っているということである。
しかし、本作はそんな生々しさを極力廃し、ディズニー的なお伽話風に焼き直している。
もちろん、限られた時間でその全てを表現し切ることなど不可能であるが、それでものび太を囲む子ども社会の様子をもう少し描写することで、様々な魅力を仄めかすことはできたのではないか。
しかも本作では、大人になったのび太達の様子を描写してくれる【のび太の結婚前夜】を含むものである。
彼らの成長ぶりを噛みしめるにはもってこいのエピソードだ。
このエピソードの前フリとして、少年期の彼らの未熟さや毒々しさをもう少し描写することで、それらの成長ぶりを見守るという【微笑ましい感動】という形で収束させることができただろう。

以上のように、ドラえもんが持つ毒々しさを極力廃し、あとはほぼそのままドラえもんの常識を流しているため、目新しい描写は全くない。
常識はあくまでも常識である。
再認識といえば聞こえはいいが、乱暴な言い方をすれば【おさらい】に他ならない。
ドラえもんファンを唸らせるには、【おさらい】したうえでかつて劇場版の同時上映として放映されていた「帰ってきたドラえもん」や「おばあちゃんの思い出」のように新しい補完や視点を挟む必要があった。
本作においても、ドラえもんが未来から来た理由、未来へ帰らなければならない理由を保管する「成し遂げプログラム」なるものが加えられているが、これはあくまでも作劇を補助するものであって、新しい見方や感動を与えるものではない。
「さようならドラえもん」において顕著であるが、時間内に収めるために名エピソードの名場面も、補完するどころかしばしば省略している。
もちろん、ただ省略するだけでなく、省略が気にならないようにちょっとした場面を入れている。
同じく、「さようならドラえもん」において、駄々をこねるだけだったのび太がドラえもんとの別れを受け入れ、最後の晩に二人っきりで夜遊びをするという、子どもにとっては夢のようなシーンがあるが、本作ではその件を丸々カット。
なので、のび太はドラえもんとの別れを呑み込めないまま家を単身飛び出し、そのままジャイアンとの決闘のシーンに入るわけだが、家を飛び出す前に「駄々をこねるのび太を気遣うドラえもんに泣きつこうとするも、踏み止まって家を出て行く」というシーンを挟んでいる。
このお陰で、のび太がドラえもんとの別れを呑み込めないまでも、呑み込もうとはしているという描写が為され、ジャイアンとの決闘への接続がスムーズにいくようになっている。
むしろこのような【省略を接続する】場面がグッとくるケースもあるのは、さすが原作ファンを公言する両監督といったところだが、
それにしても原作の魅力をかなり削いでしまっていることには変わりない。

名エピソードのツギハギである以上、ひとつのエピソードを深く掘り下げることが不可能であることは重々承知しているが、新たな視点の提示にも力を入れてくれれば文句無しの名作になり得ただろう。
なんにせよ、ドラえもんのいる【日常】の素晴らしさを語るのに100分そこそこでは足りないというのが率直な感想である。

ドラえもんの魅力を再認識するというコンセプト自体は十分に満たしているが、
ドラえもんが持つ魅力の一つでしかない「泣ける」という要素を大きく誇張して取り上げている本作は、
「ドラえもん像」がボヤけている一見さんやドラえもん初心者にとっては発見できるところがあり、感動もできる佳作である。
しかし、往年のドラえもんファンは、もっと描いて欲しい側面があるのになあと肩透かしを食らうかもしれない。



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