[アニメ]正解するカド KADO:The Right Answer: 2017/08/20 E・カリング


せいかいするかど ざらいとあんさー / KADO:The Right Answer
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[推薦数:2] 2017/08/20 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/]
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時代が作品に求めるものというのはその時々によって異なるし、
ちょっとしたきっかけで大きく変化したり、求められる量そのものが爆発的に増大したりするもの、
その要求を上手く埋め、時代が持つ無意識の渇きを癒してくれる、そういう作品が良い作品なのだとすれば、この作品は良い作品の範疇に入るでしょう。

序盤は官僚・政府・自衛隊・報道・学術界・町工場といった様々な職責にある者達が、
受け持つ役割を果たす形でカドに対応する様子が描かれる、群像劇を思わせるもの、
官僚達の仕事の様子を垣間見ると、上のほうはいろいろ有るけど最前線で働く者は真剣勝負なんだなあって、
国家の命運を分ける対策が仮設の屋根にパイプ椅子で行われるという、これが国難に対応する最前線の現場の姿、
そこで戦う者たちの姿に胸が熱くなるのを覚えます。
まるで国を運営する現場のエッセンスを眺めているようで、只事ではないワクワクを感じさせられました。

世界の命運を分けるような最前線での交渉も、「シンドウ」「お前」で呼び合える個人的な人間関係の構築がものをいうといったような、
交渉の最前線にある人間味の表現がなかなか良かった。
もっともこれは、製作者が意識していたのかは判らないですが、日本の外交交渉の弱点がそのまま描かれていたように思います、
人間関係を構築することを重視しすぎて相手に付け入られ、守るべき権益に踏み込まれてしまうところなど。

このようなリアリスティックな社会性が興味をそそり、そのうちに「異方存在」ヤハクイザシュニナのもたらすモノ・コトが人類にとっての幸福に繋がるのか、
そも人類の幸福とは何か、人類の置かれる次元が変わることで幸福のあり方もまた変わる、しかしそれは歓迎すべきものなのか、
といったような哲学的な命題がやがて浮かび上がってきて、刺戟的で凝視できる作品でした。

ひとくちにSFといっても思考のお遊びに重きをおくか、虚構を通じて普遍を描き出すかに分けるとするならば、これは間違いなく後者でした。
その趣旨は一貫していたと思います、それは人類の幸福とは何者なのかということ、
そして高次元(本当は不適切な表現らしい)にある架空の存在を人類に対置させることによって、
人類にとっての幸福とは何に立脚するものなのかを導き出していました。

希望・期待とは時間経過に等しいもの、高次元ではそこまで歩いて行ってしまえば得られてしまうが、人類は時間の経過を待たなければならない、
身体・知能・出生・気質等々、幸福はそういった限界があるからこそ生まれるものだということ。
日々の営みの中で働いて努力して、食料が増えたり新しい技術が開発されたりして、昨日よりも明日は少し生きるのが楽になる、
またそれを足場にしながら次の段階に、そして未来へ繋げること、人類の幸福はこのことに基づいています。
もしも人類が人類のまま高次元となれば、そこは金属のように均質で安定して変化のない、希望も不安もなく喜びも後悔もないものになるでしょう、
はたしてそれは幸福といえるのか。

またエネルギーを無尽蔵に生み出すワムがもたらされたことによって、
既存のエネルギーインフラ・それが生み出す富を得る人々・資源国の経済基盤・エネルギーを巡って血を流してきた国々の歴史など、
全て無効化することの是非に思いがめぐらされます。

もしも幸福のあり方が、上に挙げたプロセスとは全く無関係の、外部からもたらされた物によって変えられてしまうとすれば、
たとえ能力そのものは完全に人類のものに出来ても、それを創出させる要件は人類のものにはなっていないですから、
そのようなものに依存するということは、異方が提供をやめれば全てが終わってしまうということに繋がります。
それは人類の意思決定権は異方に否応なく奪われるということであり、
そこで得られる幸福は人類にとっては家畜の幸福といってよいものになるでしょう。

と、ここまでがこの作品の本分だったと思います、それ以降のザシュニナを止める云々のくだりはまあ余禄のようなものといった感じです。
ハードSFから能力バトルのようになった終盤の変質には確かに唖然とされられました、
これは製作者が自らの処理能力を超える風呂敷を広げてしまったために、収拾できなくなったという感じです。
群像劇風であることから降りてしまったことも残念でした。

でもザシュニナをボコる時に感じた快感は、やはり限界があるからこそ得られるものだったのでしょう、
それは思い通りにならないという限界に立脚しているものでもあるし、
「ブン殴る」という行為は「ブン殴りたい」という願望を持つ前にはできないという、人類の限界に立脚しているものでもあります。
真道幸花登場以降は、さしずめ物語が幸福について考察してきたことの実践編といった感じ、という風に思っておけばいいように思います。

日常系や萌度の高いアニメの爛熟期にあって、このような本格的なハードSF度の高いアニメ作品が無意識的に求められていることを、
世に気付かせたという点でも意義のある作品だったと思います。
評価ですが、終盤は微妙になってしまいましたが、それまでのワクワクした自分を信じて()、大甘ですが「とても良い」にさせていただきます。



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